太古の礼拝殿と司教 3

「美名……」


 司教の問いには答えず、明良あきらが小声でささやきかける。


「合図したら、神殿内に駆け込むぞ」

「……うん」


 少年少女の密談は、十数歩先の相手が、聴き取れないほどに小さい。

 だが、司教は彼の公然の魔名、コ・ゼダン――「カ行動力どうりき」以外にも「他行ほかぎょう」を使いこなす。彼が「転呼てんこ者」であるならば、去来きょらい大師ホ・シアラがそうであったように、「ラ行・波導はどう」も備えているはずである。間違いなく聴かれているだろうと明良は踏んだ。

 ゆえに、最小の言葉で、最短で行動した。


「行くぞ!」


 囁きの直後、発せられた明良の合図できびすを返すふたり。

 背を向ける間際、ゼダンの顔がほくそ笑むようになっていたことが、美名には少し気掛かりであったが、神殿入り口の最上段を目掛け、明良とともに跳び上がった。

 しかし、彼の笑みの意味は、次の事態を仕掛けていたがためであった。


「ッ?!」


 美名と明良、ふたりが神殿入り口にほぼ同時に足をかけたとき、足元の石畳はすっかりと消え去った。

 足場が消失し、投げ出された形になったふたりの眼下には地面。剥き出しの土。

 直後には、まるで大地が意思をもつかのよう、土石の奔流がふたりに襲い掛かっていく。

 咄嗟とっさに、明良は美名の腕を掴んで引き寄せた。

 だが、あまりの瞬く間に、出来たのはそれだけであった。

 ふたりはに囲われた。


「聞こえているか? 罪業ざいごうぶか餓鬼がきども」


 長靴ちょうかを鳴らし、悠然と段を上りくる司教ゼダン。


「聞こえるはずもないか」


 「祈勝きしょう殿でん」の入り口に不自然に出来た穴のなか、これもまた不自然に出来た土石の山を見下げ、ゼダンは鼻で笑う。


「『独詠どくえい』。荷重に反応する『ナ行・識者しきしゃ』を軸とし、『他行ほかぎょう』の簡易な魔名術を発動させる複合の術。私のように、特別な者にだけ許される自動仕掛けの罠だ。雑魚ざこを使い、おびき寄せたらを捕らえるため、去来術と『カ行・磊牢らいろう』はもとより仕掛けてあった……」


 冷然として吊り上がる口の端。


「貴様らのことを報せてくれたのも同じ『独詠』だ。に『音射おんしゃ』を仕込んでいた。よくもこんな明け方近くに来てくれたものだ。おかげで、寝入りが足りない」


 見下げたまま、ゼダンは平手をかざし向ける。


「生かしておいても貴様らにはなんら価値はない。フクシロの居場所をまでの数瞬、息がもっていればいい。『雷電らいでん』で千切れろ」


 だが、司教の平手が照準を合わせたと同時、小山のような磊牢の頂点は裂け、瞬間、影がふたつ、飛び上がっていった。

 礼拝殿の屋根より高く、各々に抜刀し、夜空に浮かぶ少年少女。

 囲い牢の魔名術を破られたというのに、それでもなお、ふたりを見上げるゼダンは悠然としていた。


「『独詠』の仕掛けは、じかに放つものよりいくらか劣るとはいえ、脱けるほどの力はあるか」

「……同じ魔名術はすでに三人目なものでな。いくらか、そのの急所も心得ている」


 少年は白刃を差し向け、眼下の白外套衣を睨み下げる。

 少女もまた、大剣を上段に構え、いつでも剣閃を放てる体勢。


「ふむ。抗するか」


 応じるように、司教は伸ばしていた平手を宙に向け直す。


「ならば、あえて訊こう。『幻燈げんとう』でのには達成感がない。相手を屈服させるたのしみがない」

「……」

「言え。フクシロはどこに潜んでいる? 貴様らが『何処いずこか』を脱け出した方策は何だ?」

「……残念だったな」

「私たちは、あなたに屈服なんてしない……」


 歯向かう言葉。差し向ける剣。少女と少年は毅然としていた。

 だが、迷っている。


 逃げるか、戦うか。

 ゼダンが待ち伏せていたとあっては、「祈勝殿」に仲間が囚われているという情報自体、おとりであった可能性が高い。この神殿にはクメンら、捕囚の者がいない目算が高い。であれば、「奪地だっち」を駆使し、逃走するより他にない。

 だが、万が一。

 真にこの「祈勝殿」に捕囚の者らがいるのだとしたら、以降、これ以上に近づける機の確証はない。この機が唯一最後かもしれない。これを活かし、ともがらを救い出すためには、目の前の強大な敵を打ち倒さねばならない。

 少女と少年は言葉を交わさずとも、同じ迷いにあぐねていた。

 思い悩みの激しさをあらわすかのよう、ふたりの鼻孔からは、つぅと流れる赤い血――。


「逃げられはしないぞ」


 そんなふたりを嘲笑うかのよう、苦笑交じりで司教は言い放つ。


「自慢ではないが、私の『動力』は今世こんせいの居坂において随一だ。ギアガン……、カ行の大師であろうが、比肩ひけんに及ばない。貴様らのその拙い『浮揚ふよう』など、すぐに追いつける」


 挑発のような言葉が、少女らのはかりの最後の重しとなった。

 戦う。

 この、傲岸ごうがん不遜ふそん極まる、奸計かんけい手繰たぐを前にして、逃げてなるものか。

 ふたりの若い闘志が、強風に煽られるかのよう、たけさかった。

 だが――。


「幻燈のモモノも、魂の旅路に彷徨さまよい、嘆いているだろう。せっかく拾った命、無駄に散らしに来たのだからな」


 その言葉に、ふたりの闘志は水をかけられたように鎮まった。

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