意地と拳 3

幾旅いくたびたちッ!」


 真っ直ぐに突進していった明良あきらは、相手の身体の正中せいちゅう目掛け、上段から振り下ろす。

 しかし、振りきる前にバリの剣が素早く抜かれ、少年の斬り下ろしは根元で弾かれた。


「つッ?!」


 バリの左手にピリとした痛みが走る。

 左腕を負傷しているがため、抜刀時にさやをうまく取り回せないバリは、鞘の代わりを自らの左手としたを使っている。「人世哀ひとのよのかなしみ」の刀背とうはいを、親指と人差し指のあいだで走らせているのだ。

 細身とはいえ、重厚な刀剣と抜刀時の速度。当然、無事で済むわけがない。

 彼の左手の水かきは、出血はほぼないものの、今の一回だけでパックリと裂けてしまった。

 しかし、一度ならず、少年は続けて襲いくる。


ざんッ!!」

「クッ?!」


 傷口をあらためている余裕などない。居合の態勢を整える暇も与えられない。バリは、抜き放たれたままの刀で剣撃を払いける。

 二日前からの負傷と「カ行・磊牢らいろう」からの脱出。居坂随一の剣豪とはいえ、やはり、疲弊ひへいの度合いは大きかった。


「っらぁああぁ!!」


 そのことを承知のうえ、少年の猛撃が勢いを増す。


(どの一刀も牽制なんかじゃない! 僕を斬り抜くつもりのいい太刀たちすじだ! ――)


 刀で受け流しつつ、じりじりと後退あとずさりさせられながらも、バリは、少年のを見抜いていた。


(だが、!)


 バリの左。

 それは、隻眼せきがんとなったがゆえ、附名ふめいの大師が失った視界域である。左から攻めることを心がけたなら、攻めだけでなく、守りにおいても格段に有利に働き、明良の独壇場となるはずである。

 だが少年は、愚直に、真っ直ぐに攻め来るのだった。


(情けのつもりか、明良?! その情けは――)


 バリ大師には自覚があった。

 この決闘は、負けるが濃厚。

 疲れもある。居合も満足に使えない。そんな自身と少年とでは、今や、実力伯仲はくちゅうとみていた。そして、伯仲のふたりに勝敗を決定づける最も大きな要因は、それぞれの気運であるともみていた。

 少年には、鳥が天空へ昇りゆくかのように高まる気概が感じられる。一方、自らにはそれがない。ただ落ちゆくのみを感じる。

 昇る者と落ちる者。ならば、結果は歴然。バリは、敗退を覚悟してこの決闘に臨んだ。

 だがそれは、、の前提である。


(その情けは、僕の左を避けるは! 雄飛を落としめるもとになるぞッ!!)


 バリは、少年の連撃を受けつつ、自らの顔の覆い布に手をかけ、剥ぎ取った。


 決闘の渦中にさらけ出されたのは、生々しい傷痕。バリの左眼球部に流血はないが、まなこはすっかり失われ、代わりに見えるのは、せり出してきたかのような。脈動する肉の色である。その奥に垣間見えるのは、相手を吸い込まんばかりの闇。炎に照らされるがゆえにできる影で、より深く、より暗く際立った眼窩がんか――。


 少年の猛攻が、ピタリと止まった。


(やはり動揺したな、明良!)


 当代きっての武芸者バリは、当然、そのすきを見逃さない。

 臨時の居合の型をすぐに構えると、大きく踏み込み、渾身の一閃を抜く。光のように放たれた剣閃が、少年に目掛ける。

 だが――。


「っうッ?!」

「なにッ?!」


 仕掛けたバリも、仕掛けられた明良も、「決まった」と感じた一刀であった。明良の胴体は、真っ二つに斬り裂かれるはずだった。

 しかし、「人世哀」は

 千年ものあいだ、その形を保ち、様々なモノやヒトを斬り抜いてきた名刀が、折れるでもなく、割れるでもなく、まるで軟体なんたいの生き物が垂れるかのよう、少年の脇腹に触れてのだ。

 いかにも柔らかそうにしなる愛刀に意表をかれたがため、今度、隙を見せていたのはバリのほうである――。


「クソッ!」

「ぶヴッ?!」


 少年による反撃の拳が、バリの顔面を襲った。

 身構えていなかったバリは、拳に振り抜かれるがまま、地べたに倒れ込む。「幾旅金いくたびのかね」を放り投げた明良は、すぐさま馬乗りになった。


「バリぃッ!」

「ッ?! グぁ!」


 ひとつ、ふたつ。

 明良は、相手の顔面を殴りつける。


「聞こえるか、バリ! これが、ゼダンになそうとしたことか?!」


 殴られてうめき、血反吐ちへどを飛ばし、それでもバリの右目は死んでおらず、少年を睨んできた。


「貴様がまずなすべきことは! 自らの教区に帰り、長年の不在をともがらに詫びることだ! これから変わってゆく居坂で、十行じっぎょう大師たいしのひとりとして、輩の旅路をたすけていくことだ!」


 明良は、叫びつつ、殴り続けた。

 この愚鈍な大師に少しでも届けと、拳と言葉とを加えていった。


「ゼダンを見返すというなら、ヤツ以上の統制を見せてみろ! 第一教区を、他に類を見ない安息の区域にしてみせろ! それができないというなら、今、この場で俺に殴られ、倒れてしまえ!」


 最後の一発とばかり、大きく振りかぶる明良だったが、その動作が隙を生んだか、脇腹に拳を入れられてしまった。

 少年がり、ゆるんだいましめから身をよじって脱け出すと、すぐさま足蹴あしげを入れて突き飛ばし、バリ大師はゆらりと起き上がる。


ひひふほほり……。ホハフホヒのはひへはら、はひほかお……」

「何を……、何を言っているか判らん!」


 駆けていき、作った拳で相手の顔を殴りつける明良。

 踏ん張ってこらえたバリは、膝蹴りを腹に見舞い、少年がうずくまるところを殴り飛ばす。


 こうして、炎取り巻くなかでの決闘は、ついには言葉を交わすことさえなく、殴り合いの様相になっていった。


「なにしてるの、あれ?」


 少し呆れるようではありながら、目を輝かせてふたりを眺めるローファは、隣のグンカに問いかけた。


「もう決着はついたんじゃないの? 明良くんの勝ちでしょう?」

「……お二方とも、もはや『勝ち』などよく判っていないのでしょう。ゼダンのことさえ頭にないかもしれません。ただ、目の前の相手が倒れるか自身が倒れるか、その結末に至るまで、拳を振るうのみ。意地の張り合いです」

「意地……ねぇ」


 ローファは、ふたりに目を戻し、えくぼを浮かべる。


「面白いね。耳無みみなしは、こんなにも面白かったのか」

「……」


 ローファとグンカに見守られながら、やがて、決闘にも終わりが訪れた。

 両者ともに足が震え、殴打の勢いも緩慢かんまんになっていった果て、少年の一打に頭を揺らされたバリは、力無く倒れ込む。それを最後に、附名大師オ・バリは、沈黙に伏したのだった。

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