包囲の穴と静かな大都市 2

「フクシロからお達しが来たよ」


 馬を走らせつつ、ラ行波導はどうにて絶えず妹と連絡を取り合っていたニクラが、明良あきらに告げてきた。


「『物見ものみを第一。可能なら、一連の首謀と思われるレイドログについて、投降勧奨しての身柄確保。あるいは捕縛。抵抗ある場合、応じてよし』」

「『応じてよし』……?」

「『生殺与奪の判断は一任する』……、ですってよ。明良


 波導の少女は、大都だいとでの明良の役回りを知っているのか、冗談めかして言った。「こんな時に」とたしなめたくもなった明良だが、目を向けたところ、少女の顔色が険しい。

 この切迫した状況で、彼女とて茶化しのひとつもせずにはいられないのだろう。


「『殺してもよし』……か……。フクシロにしては物騒な指示だな」

「教主としての苦渋の選択でしょ」


 まるで自らがその苦渋を味わうかのよう、ニクラは、その顔をさらにしかめてみせる。


贖罪しょくざいの機を与えられてもなお、暴虐をなす相手に、さしものフクシロも決断せざるをえなかったか……)


「『いずれにせよ、私たちの無事を最重視』とは言ってくれてる。『無理しすぎるな』だってさ」

「当然だ。無法者にくれてやる魔名など、俺たちの誰一人とて持ち合わせていない」


 そこに、バリが「馬を降りよう」と言葉をかけてきた。


小豊囲こといもそろそろ近いはずだ。派手に音をたてれば、すぐに見つかり、ことになる。ここからは静かに行こう」


 附名ふめい大師の提案に従い、三人は馬を止める。


「音といえば、ニクラさん」

「……なんでしょうか、バリ大師?」

「後方とのやりとりだけでなく、向かうところの状況も探ってくれるとありがたいのだけれど……」


 気後れする様子のバリに、不機嫌そうな顔を向けるニクラ。


「言われずとも、やっていますよ」

「いやはや……、これは余計な口出しだったかな。標的の居場所も、もうすでに知れてるとか?」


 ニクラは、不機嫌のなかに当惑するような顔色を混ぜ、「いえ」と言い淀む。


「……

「聴こえない……?」

「何が、だ?」


 「何も、よ」と、ニクラは明良に向けて返す。


「小豊囲の方角からは何も聴こえてこない。なのよ」

「……どういう意味だ?」

「ヒトは、自分が思ってるよりも多くの音を出してる。歩行、衣擦れ、呼吸、脈動……。

「まだ遠くて、それでニクラさんの波導術の範囲にないかな?」


 バリの邪推を「いや」と否定するのは、ニクラでなく明良。


「ニクラの『ラ行・拾音しゅうおん』は秀逸だ。『烽火ほうか』の折、俺自身が身をもって体感している。こいつが『聴こえない』と言うなら、小豊囲はすでに聴き取れる範囲のなかにあり、それでも『ヒトの音』が聴こえてこない。それは確かなのだろう」

「……だとしても、それが真実なら、どういう意味になるか、自分で言ってても判るだろう、明良くん?」


 当然、明良も最悪の予想をしていた。

 

 数日前に使役しえき大師に襲撃され、隔絶された大都市。詳しい数を知っているわけではないが、ヘヤや希畔きはんと同じ教区都としてみるならば、住人は十万はいるはずだった。

 その十万、生物としての気配が一切、聴こえてこない――。

 明良の脳裏では、「全滅」の二文字が――そして、うち捨てられたまま、山となったらの光景が、否が応でも想像された。


 *


『この地は浄化された。立ち入り住み着けば、魔名返上に至るもやむなし』


 明良とバリ、ニクラの三人は、敵方の見張りや住人との接触もまるでなくたどりついた門の前、張り出されていた文言の前で茫然とする。

 小豊囲という町は、本総ほんそう大陸でも一、二を争うほど大きな湖――小豊囲湖のほとりにあるのだが、三人の居場所からは少し離れるはずの湖から、波の音がかすかに届いてくるほど、一行も周囲もしんと静まっていた。


「浄化……? どういう意味だ?」


 やっと絞り出された少年の問いに、バリが「『衆生しゅじょう源生げんせい』かな」と答える。


「『衆生源生』っていうのは、魔名教典内の神話のひとつだ。少し長い話になるけど、土着の人々の生活を確固としたものにするため、主神と識者しきしゃ大神たいしん、使役大神とが、さまざまに知恵を絞って奔走する内容になっている。説諭ではかいつまんで取り上げられたりもするね」


 「そのなかにある主神の言葉がこれよ」とニクラも続く。


「『衆生源生』のなかのひとつに、住人の生活用水を確保するため、汚濁が激しかった水源に石と剣を投げ入れ、澄んだ水に変えたという逸話があるの。この文句の前半は、そのときの主神の言葉そのままだよ」

「水源……。『この地は浄化された』……。すぐそこの湖にかこつけて、神を気取った真似事か?」


 明良は、苛立いらだたし気に張り紙を破り捨てた。

 それから一行は、警戒しつつ町の中へ入っていく。

 しかし、三人は、小豊囲のにすぐに気が付いた。


「これは一体……、どういうことだ?」


 目の当たりにした異様さをさらに確かめるため、小さな村ならふたつは入る広さの区画を探り回ってからようやく、明良は困惑の声を上げる。


「どうして……。なぜ、んだ?」


 小豊囲の町は、明良の記憶にも新しいイリサワのように、ところどころで爆撃跡が見られた。だが、散々に破壊された様子ではない。まったく無事な人家や通りも多く、これならば、生き延びたヒトがいてもおかしくないはずである。

 だが、生存者は見当たらない。どころか、死体の影さえない。

 使役大師に襲撃を受けたのは、たったの数日前。この数日でいったいなにがあったのか。小豊囲の十万は、どこへ消えてしまったのか。

 大都市小豊囲は、ニクラが「ヒトの気配が聴こえない」と言い、明良が予想したのとはまた違う、ただただ困惑するばかりの状況だった。


「食事の準備がそのままの家も見られたね。まるで、時が止められて、ヒトだけがいなくなってしまったみたいだ。だ」

「……ニクラ、ヒトの気配は?」

「ダメ。聴こえるのは、ネズミや家畜らしい音だけ……」


 当惑しつつの三人は、やがて、この町で最大の施設、教区館の区画へたどり着いていた。

 この館がもっとも激しい襲撃を受けたらしく、屋根構造は崩れ、瓦礫が散らばるのもそのまま。だがやはり、この付近にあってもヒトの気配を見つけられない。

 そして、三人は、教区館入り口にあたるであろう倒壊跡に、立て札があるのを見つけた。


『この地は浄化された。住み着けば、魔名返上に至るもやむなし』


 立て札には、町の入り口と同じ文句。

 筆書きの手本のように綺麗な字形に、寒々しい怖気おぞけはらんでいる。


「レイドログは……、ここにはもういないね」


 バリが静かにつぶやいた言葉。

 事態の混迷のなか、少年は、「クソ」と舌打ちを鳴らすのだった。


(第四章の終わり)

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