幾旅金と人世哀 1

(予感があるな……。舞う雪風ゆきかぜでのこの決闘。生き残った者が、我が今世こんせいの「業嗣ごうし転生てんせい」の相手になりうる……)


 ブルド戦と同じく、明良あきらとバリ、ふたりは向かい合ったまま、時を長く使っている。その間にも雪の降りは強まり、風も出てきた。高座のゼダンからは、見下ろす披露台もかすみがかる。


(……甘く見積もっても、バリ大師が九分くぶ九厘くりんの優勢。明良の死に際は、今日この時だ)


 雪間ゆきまに見える眼下の少年は、少しばかり萎縮いしゅくしているよう、ゼダンには思えた。

 無理もない。

 高位にあり、離れているゼダンでさえ、肌がひりつくほどの殺気を感じている。バリと向かいあう明良であれば尚更なおさらのはず。


(邪魔者どもが勝手に争い、消えてくれるのだ。「私を見張る」などといったおこがましさ。自ら望んだ武闘の果てであがなえ、明良……)


 長い沈黙に雪降りの勢いはいよいよ増し、もはや吹雪の様相になっている。

 それでも、観衆らは対立者たちに感化されてでもいるのか、身じろぎひとつ、吐息ひとつ漏らさずに対峙を見守る。

 風がくだり、雪がへばる音だけが続くなか、やがて、少年が動いた――。


「……幾旅いくたびせん


 もとより、武芸者らの姿を認めるのさえ難しい風雪。

 それが発声の直後、少年の周囲の見通しはさらに悪化し、まるで明良の身が隠されるようになっていく。

 「居合いあい」の構えを崩さないまま、バリは相手の目論見をさとった。


(……目くらましか。あれは、以前に僕も見た、刀を盾に使う技の変型だな)


 バリの眼前、数歩先。『幾旅金いくたびのかね』が雪を撫で、風を斬っている。

 明良は円弧の軌跡で刀を振り、それを多重化し、風雪をかき乱しているのだ。


浅薄せんぱくだな」


 バリの頭上でゼダンの呟きが聞こえる。

 さしものバリも、仇敵のその言葉には同意しかない。


(必殺を仕掛けるのに、視覚を強く頼る相手であれば、効もあったろう。だが、僕は違う……)


 研ぎ澄まされ、深化しんかも極まったバリの感覚は、周囲を細やかに感じ得る。目は視野を広く、肌は敵の気焔を察知し、耳は風とその他とを選り分ける。

 その、附名大師の研ぎ澄まされた聴覚が異音を聴き取った。


(ただの奇襲ではないな……)


 風雪乱れるなか、バリの前後左右、そこかしこ、かすかにであるが、「カン」、「コン」と物音が鳴っている。

 これも明良が仕掛けた、惑わしの手であることはバリには明白である。

 小石か何かを飛ばし、それが披露台に落ちる物音で自らが近づく気配を紛らそうとしているのだろう。


よりも奇抜な、一見すると姑息な手だ。だが、の計ではある。明良くんはどこか、まともな武門に入ったことはないのか……?)


 姑息な手にはもう一段、仕掛けがされているようだ。バリは即座に、そのことも聴き分けた。

 バリの周囲で、風雪に混じった小石の物音は乱れるように打たれているが、ある一方向、バリの左斜め後方からのみ、その音がしない。その向きから聴こえるのは、吹雪の鳴き声だけである。


(浅はかだぞ……)


 細身刀、「人世哀ひとのよのかなしみ」。

 「神代じんだい遺物いぶつ・合わせづつ」。

 居坂随一の武芸者の腰にかれた、秀逸絶品の武具。その鯉口が静かに切られる。

 図ったかのよう、直後にバリは、襲来の気配を察した。


ゆるせッ!」


 発気の声で、バリは「居合」を放ったようである。

 確かな断言ができないのは、その剣筋があまりに速く、捉えることが場にいた誰にも不可能であったためである。傍目はためにはバリが叫び、直後、「チン」と納刀らしき音があっただけ。乱れ吹く雪でさえ、自身が寸断されたことを知らず、流れ舞いを続けていた。

 あるいは、オ・バリは剣を抜いていないのかもしれない。だが、その真偽はからもたらされた。


「ぐアッ?!」


 痛切な叫びと、ドサリと台上に落ちた気配。そして、バリの足元に転がり落ちて来た、一本の指。

 バリが剣を放った真実は、落下してきたにより、まざまざと明らかにされた。

 少年は風雪の悪視界を利用し、上から狙った。

 バリは剣を抜き、襲来を迎撃した。

 一連はあっさりしていたようにも思える。だが、観衆は、一様に身震いに襲われる。

 それは、寒さを思い出したわけではない。先ほどのブルド戦とは比べようもない、オ・バリの「居合」の速さ、凄まじさ、そして、あまりの静けさがため――。

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