少女と彼女の真名の芽吹き 2

「これより、ワ行劫奪こうだつの大師が不肖ふしょうのハマダリンにたすけをくれる。セレノアスールのともがらには、ただ、すべてが終わるまで静かにしていてもらいたい。そして、どんな事態に至ろうと、彼女をおとしめず、さげすまず、ワ行の大師の誇りと誠実せいじつとをたたえてほしい。私からの願いだ」


 集まった住人らの顔をひとりひとり眺め渡す演説を終えると、ハマダリンは、颯爽さっそうとして窓際から身を引いた。

 大師の願いはしかと聞き届けられたのだろう。大師の姿が見えなくなっても、群衆は静けさを保ったままである。


「ふぅ……、ぅくッ!」


 寝台まで戻ってきた大師は、やおら布団へと倒れ込んだ。


「大丈夫ですか?!」


 すかさずに美名が手を貸し、大師の身体を抱え起こす。


「さ、サン……、く、ゴホッ!」


 言葉の途中から、ハマダリンはき込みだす。手で抑え、押し殺しはするものの、苦しそうな咳きは長く続く。

 美名や参集した住人らの手前、咳ひとつも我慢してきたのだろう。それがついに限界を迎えたのだ。


(絶対に、この精悍せいかんなヒトを援けてみせる……)


 美名は、黙って大師の痩せこけた背中をさすり続けた。


「……すまなかった」


 いくらか呼吸の調子も落ち着いてきたハマダリンは、自嘲じちょうするように笑って礼を述べた。


「自分の身が思う通りに動かないのは悔しいものだな。だるさ痛みには気の持ちようで慣れてもくるが、この悔しさばかりは慣れるものではない」


 美名は椅子を引いてくると、寝台に腰掛ける大師の前に座る。

 少し息遣いが荒いハマダリンと少女とは、お互いに見つめ合った。


「……始めてくれるか」

「はい……。クミ」


 少し離れたところにいたネコが、「ン?」と短く答える。


「近くにいてもらってもいいかな? なんでだか、クミが傍にいてくれたほうがうまくいく気がする。『物貰ものもらい』のときはいつも、クミが傍にいるから……」

「……判った」


 ネコが膝の上に跳び乗ってきてから、少女は手のひらを上に向け、大師へと差し伸べる。ハマダリンは小ぶりな手のひらに自らの手を重ねた。


「為します」

「……頼む」


 少女の手で光がほのめきだし、大師の手に伝わる。

 煙が昇るように、腕、体、頭、足先――黒い光が、大師の全身を取り巻いていく。


「おい、あれ……。大丈夫なのか?」


 見守る他奮たふん術者らにどよめきが起こる。

 無理もない。

 黒い光でハマダリンが包まれる様は、一見すれば禍々まがまがしくもある。

 だが決して、その黒い光は悪意の顕現けんげんなどではない。大師の快復を真摯しんしに願う、純心の光なのだ――。


「ワ行・物貰ものもらい


 少女の詠唱があっても、明らかな変化は傍目はためには判らない。

 しかし、当事者らはすぐに気が付く。


 まずは、ハマダリン。

 地に引かれるような身体の重さ、だるさ。最前まで必死に抑え込んでいた咳き込みの衝動。この半年、やむことのなかった頭痛と耳鳴り。何かが腐ったような重苦しい臭いと微かな血の香り。それらがすべて、波が引くように弱まっていく。

 少女の劫奪術を疑っていたわけではない。

 だが、いかに他奮の術を受けようと変わることのなかった病状が、途端に快方に向かっていく。気丈の性根であっても、その変化には大師も目を丸くした。


 そして、美名。

 彼女は自身の「物貰」の魔名術が、「黒い光」が立ち消えたときにと知っている。術がけ相手の「悪い物」をすべてもらい終えた合図が、劫奪の光の消失なのである。

 だが、光が消えず、まだ中途であるというのに、は強くやってきた。

 体が重い。頭が働かない。喉奥がからむ。数日前に殴られたかのような鈍い痛みが体中できしむ。いくつもの見えない手によって手や足が引っぱられ、やがては節々が外れ、バラバラに弾け飛んでしまいそうな感覚――。


(こ、これが……、ハマダリン様をずっとむしばんでた……)


「く、うぅ……」


 ついに、劫奪の少女の口からは小さなうめきが漏れ出る。瞑目めいもくの表情には脂汗が浮かびはじめた。


「……美名? ちょっと?!」

「う、ぅううぅ……」

「美名、ことはできないか?!」


 歯を食いしばりながら、少女はぶんぶんと首を振った。

 だが――。


……! けど……、けど! 私はまだ!)


 朦朧もうろうとしだす視界のなか、いくらか活力を取り戻したらしき大師がで重なる部分があったからだろう、少女は遠く離れた「よきヒト」の姿を、眼前に見た気がした。

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