天咲の塔と札囲いの男 7

 星々と月が近い山の頂き。

 打ち捨てられたように傾く石碑せきひ

 白々とした外套衣をはためかせ、この寒々とした夜の地に降り立つ者があった。


「まさか、この機にふたたび訪ねることになろうとは。これも客人まろうどがもたらす数奇か……」


 魔名教司教コ・ゼダン。

 普段も、そしてこの直前も、彼の表情には常に厳格さが伴うものであるが、大陸最高峰からの夜景色を見上げた途端、その顔色は心が奪われたように茫然としたものに変わった。


「カイナ……」


 星のひとつに加えるように、夜空に放たれた小さな呟き。

 ゼダン自身、気付いてさえいないかすかな呼び掛け。


「……千年を経て、ようやくか」


 我に返って表情を引き締めると、ゼダンは天咲あまさきの山頂で歩を進める。その歩み、向かう先に迷いはない様子。

 まもなく、彼は最高地点から少し下ったところに大きな穴が開いているのを見つけた。付近は星と月の光に映し出されているとはいえ、暗い縦穴の中までは見通すことができない。

 だが、その穴が「雷電らいでん」で開けられたものであり、そして、その穴の先が「天咲塔」であること、ゼダンにはすぐに判った。いや、後者については「判った」のではなく、「」。


「やはり『変理へんり』に頼ったか。小娘の浅薄せんぱくが知れる」


 司教は眼下の窪地くぼちに向け、平手をかざす。


「客人の希望にすがったまま、地に埋もれよ。忌まわしき餓鬼ども」


 司教の手のひらがほのかに光る――。

 だが、魔名術が放たれることはなかった。

 不穏な気配を敏感に察知し、ゼダンは魔名術を取りやめたのだ。

 しかし、周囲には風ひとつ流れていない。静謐せいひつな夜空と峰々のような雲海、命の気配が皆無な乾燥の景色があるばかり。

 司教に近づくモノは「焔矢ほむらや」ひとつ、虫一匹さえもなかった。

 しかし――。


「『ハ行去来きょらい』か……?」


 コ・ゼダンには、その気配の正体が何であるか知れた。

 だが、その去来術者の正体までは知り得ない。


「誰だ? 姿を見せよ」

 

 穴を挟んでゼダンの対面、突如現れたのは男。

 首元までの青い髪。

 顔には覆い布。

 右手に黒布の札囲いをしている。


「貴様か……」

「久しぶりです」


 答えた男は、クミらと共に塔を降下中のはずのキョライ。


「生きていたか。見た目容姿まで偽り繕って。ギアガンと相討ちになったものとも考えてはいたが……」

「……あしからず。私などのことより、着々と進めておられるようでなによりです。『大都だいと王』と呼ぶにはまだ早いでしょうか?」

「黙れ。生きていたなら何故、連絡を寄越さないのか」


 キョライは大仰に肩をすくめてみせた。


「私たちの関係に、そのように密なむつまじさは初めからなかったでしょう?」

「……」

「私には私の目的があり、あなたのもとであればそれもいくらか為し易くなると考えた。あなたにはあなたの目的があり、私をいくらか使える者と見込んで手下てかに引き込んだ……。お互いのの都合、上下のようではありましたが、報告を義務付けられるほどの関係ではなかったはずです」

「その関係はまだ破綻してないとは思うが?」


 青髪を揺らして、キョライは首を振る。


「破綻していたのですよ。初めから」


 ゼダンはふたたび手を開く。

 今度の平手は穴でなく、少し先のキョライに向けられていた。


「どうにも意気がりが増してるな。切望の『遡逆そぎゃく』のすべを手に入れたか?」

「いえ。残念ながら、まだ」

「……悪いコトは言わない。過去になど囚われず、私に本意気で従え。本質は違えど、常人を超越した者同士だ。大都だいとが復古する折には要職として取り立てる。ヒトの旅路はかたでなく、行く先にのみある。これからの居坂の栄華は大都に、私に従うことにのみ約束されている」

「……似たような誘いをかけるのは、同類だからなのでしょうかね」


 覆い布の奥、鼻で笑ったようなキョライ。

 司教の誘いに対し、キョライの返答は明白に「いな」。

 それを悟ったゼダンは、彼に向けている平手を光らせはじめた。


「ならば、貴様はここで死ぬしかない」

?」


 キョライの言葉に射すくめられるようになって、司教の手の光はピタリと止んだ。


「あなたが私を引き入れた本当の理由。それは、私があなたのだからだ。私を敵に回し、千年かけて得たことを恐れた。あなたの異質さを知ったときから、推察するまでもない自明でしたよ」

「……餓鬼め。増長するなよ……」

「『』を極めるあなたであれば、私を葬り去るのは容易たやすいことでしょう。ですが、致命傷に至る前に私が一行いちぎょうでもあなたから奪えれば……。さて、どうなるでしょうか。魔名が揃うまで、また幾度も『転生てんせい』を繰り返すのでしょうか」


 ゼダンは表情険しくキョライを睨み下げる。

 その形相ぎょうそうの意味するところ、今にも魔名術が放たれそうであったが、ゼダンの腕は下ろされた。


「……その穴は貴様が開けたものか?」

「そうです」

「貴様であれば『雷電らいでん』も修得可能か。では、この天咲あまさきの塔に何の用だ?」

「遺物を探しに。私の目的のため、『五十音を総べる』だけでなく、も同時に進めていたのはあなたもご存知でしょう?」

「塔の中に識者しきしゃ大師、波導はどう大師は……」

「タイバさんにニクリさんに、教主ですか? あなたが『伝声』で伝えられていた、『大罪人』……」

「……中にいるか?」

「この塔にですか? さあ? どうなのでしょう。ここを開け、内部に立ち入ったのは私のみです。ご存知かどうかは知りませんが、中は一本道。あなたの気配を感じ、『何処いずこか』で上に戻ってくるまでのあいだ、ヒトの気配どころかい虫さえいないようでしたよ」

「……真実だな?」

「言葉で信じてもらえないのであれば、やはり、平手を振り合いましょうか?」


 司教ゼダンは大きくため息をつくと、きびすを返した。


「……私の邪魔をすればその時は『遡逆』の夢幻ゆめまぼろしついえると知れ」

「しっかりと覚えておきましょう」


 司教の姿が夜空に浮かぶ。


「遺物を探すのに気が済んだなら……、いや、すぐにでもだ。そのを繕っておけ」

「そうすることにします。せっかくの古跡観光、ご心配の教主だけでなく、第二、第三の邪魔が入らないとも限らない」

「……『』の餌食えじきとなり、残る一方の手を失わぬよう、せいぜい努めることだな」


 大きく舌打ちを鳴らし、ゼダンは山景色から飛び去っていった。

 星の輝きより小さくなるまで、司教ゼダンの強大で醜悪な気配がまったく感じられなくなるまで、キョライが夜空から目を離すことはなかった。


(……『奪名だつめい』に両の手が要ることを明かさないでいたのが功を奏したか)


 星々だけとなった空を眺め上げながら、キョライはぽりぽりと頭を掻く。


(あとは波導の少女らが今の会話を聴いてなければいいのですが……。もし聴いていて、コトを起こしてくるとしたら、その時は……。私らしくもなく起こした『キョライさんの気まぐれ』を払い、探索を続けましょう)


 土石を出現させ、「何処か」で行き来が出来る程度、内部から出るのにそれほど苦労しない程度に入り口を覆うと、キョライの姿は山頂より消えた。

 「何処か」を伝い、自らがやすむことに「二十四番目の部屋」へと戻りゆくのだ。

 しかし――。

 もしも、「何処か」にいる去来術者が明確にの様子を知れるのであれば、「二十三番目の部屋」の前を通り過ぎるキョライは気付いたかもしれない――。

 「波導の遮り」が張り巡らされた戸口の奥。

 「見張り」のため、クミとともに起きていた波導の少女。

 クミの話に適当な相槌を打ちながら、戸口の外に顔を向けていたロ・ニクラ。

 微かに下あごを震わせた、驚愕の只中にあることを示すその顔に。

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