新たな輩の子と名づけ術師 5

「んん! 美味しい!」

「ホント、うんまっ!」


 蜂蜜と羊酪ようらくを塗った麦包ぱおを頬張ると、美名とクミは感嘆の声を上げた。

 そんなふたりの様子を微笑んで見守る養蜂ようほうの一家。


「この蜂蜜……、とっても甘くて、香りがすごい!」

「バターもしっとりしてて、パンとすごく合うよぉ」

「またすぐクミは、クミの世界の言葉を使うんだから……」

「だって完全にパンだし。完全にバターだし」


 しょんぼりとしながらも麦包ぱおにかぶりつくのを止めないクミに、場には笑いが溢れた。

 リントウとサナメの子への祝福を、美名に次いでクミも見様見真似で捧げたあと、一家の昼食に招じられたふたりは、その親切をありがたく受けた。


「そんなに美味しいって喜んでもらえるのは、嬉しいねぇ」

 

 「おかわりたくさんあるからね」と優しい老婆は言い、焼きたての麦包ぱおが零れ落ちんばかりに盛られた皿をふたりの方へと進める。

 美名は、さっそくふたつめの麦包ぱおに手を伸ばす。

 クミは「私にも!」と、自らの皿に麦包を載せるよう、美名に催促する。


「お子さんが生まれても、こんな美味しい蜂蜜、すぐに食べさせてあげられないのは残念ですねぇ」

 

 クミの言葉に、美名は「どうして?」と訊ねる。


「まだ成長してない赤ちゃんに蜂蜜は食べさせない方がいいんだよ」


 クミの返答に「へえ」と感心する美名。

 その横で、リントウ一家が揃って目を丸くした。


「やはり、『客人まろうど』様の見識は広いのですね……」

「ン?」

「その話は迷信というか、おまじないとして、子どもが丈夫に育つようにと『養蜂家』の組合内では知られていることなんだ。『自ら求めるまで、我が子に我が蜜を与えるな』ってね。普通のヒトにはあまり知られていないのだけれど……」

「『波導』のことといい、物知りよね。クミは」

「いやぁ……、確か、蜂蜜を食べると感染症にかかる可能性があるとかだったはずなんだよね……。そんな教訓があるってことは、『居坂いさか』にも同じ細菌がいるのかな?」

「『最近』?」


 首を傾げる皆に「細菌」の説明を試みようとするクミだったが、上手く言葉が出てこない。

 数瞬のちにはその試みを諦め、小さなクミは皿上の麦包ぱおにかじりついた。


「大人とネコは、どんどん食べてよし!」

「もう、どういうことなのよ。クミぃ……」


 場にはまた、笑い声が満たされる。


「『オ様』からはお子さんに、どんな魔名をいただけたんですか?」


 美名に訊かれたリントウは、壁際の「魔名壇」に目を向けた。

 小さな社の形をした木組みの「魔名壇」は、どの家庭にも据えられている縁起物である。このリントウ一家においては「タ行大神たいしん」を祀るものだろうと、美名には予測がついた。

 その祭壇の正面に、封蝋ふうろうのされた折封筒がある。リントウはこれを見つめているようだった。


「まだ出産前だから、ウチは『あと名づけ』にさせてもらったんだよ。男の子か、女の子か。まだ楽しみにしていたいのもあったからね。『名づけ師』様からいただいた属性名は、ああやって祭壇に供えてあるよ」

「そうですか……」

「『後名づけ』って?」


 疑問を挟んだクミに、美名とリントウ一家から「名づけ」の説明がなされた。


 「名づけ」には行使される魔名術に基づいて、ふたつの流れがある。

 「ア行・命名めいめい」。

 「ア行・渡名とめい」。

 「命名」において定められるのは魔名の属性名である。

 属性名は「主神」と「十行大神じっぎょうたいしん」の託宣により定められるもので、「名づけ師」を含め、ヒトの思惑が入り込む余地はそこにはない。

 「渡名」は、そうやって定められた属性名に個人名を加えて、「魔名」として名前を授ける魔名術だ。

 「命名」の魔名術は「ア行附名ふめい」の「段」魔名術者にしか詠唱できないのだが、「渡名」は「段」以上の魔名術者であれば扱える。

 このふたつの流れを滞りなく、「段」の魔名術者が続けて実施するのが通常の「名づけ」。 

 「段」の魔名術者に属性名だけを先立って定めてもらい、時をあけて「名づけ師」よりはずっと身近な「段」以降の魔名術者に「渡名」を為してもらう形式が、「後名づけ」。

 リントウ夫妻のように「生まれ出でてから子の性や容貌を確認し個人名を定めたい」という要望があった場合や、「名づけ師」が多忙な場合、この「後名づけ」形式が採られることも多い。


「へえ……。魔名の『名づけ』って結構メンドウねぇ……」

「『客人』様の学識は、『名づけ』には及んでいないのですね。偏重していますね……」

「ふふ。それがクミです」

「ちなみに、ひとまず『渡名とめい』だけして授かる個人名が『仮名かな』になるんだ」

「手順としてはズレてるから、『仮名』はあんまりよくは思われないけどね。でも、今度「ア行」の魔名術者に出会えたら、私も『美名』を『仮名』にしてもらうわ」

「美名さんの名は正式な『仮名』じゃなかったんだね」

「はい。説明足らずにしてしまって、すみません……」


 美名は魔名壇の封筒に目を遣る。


「お子さんの魔名は『タ行』なんですか?」


 リントウは首を振る。


「まだ僕たちも知らないんだ。『渡名』のときに、魔名が響く喜びをこの子と分かち合おうと、妻と決めていてね」

「『タ行』じゃなくてもいいと思うんです」


 穏やかなサナメは、自らの夫に優しい眼差しを向ける。


「『タ行』じゃなくても、魔名術を使わなくても、養蜂を営んでいけそうだということは、夫が示してくれています。『他行ほかぎょう』だったとしても、歩む道が養蜂じゃなくても、この子が無事に生まれてきてくれて、居坂いさかの元気な旅路を過ごしてくれるならと、そう願うんです」


 互いを慈しむように見つめ合ったのち、夫婦は揃って膨れたお腹に目を遣る。

 そんなふたりの姿を微笑ましく眺めながら、美名とクミは新しい麦包ぱおに口をつけた。

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