寒日の馬車と蟲 1

 日も沈みかける頃合い。

 大都だいとの町から伸びる主要な街道のひとつ、三師さんすい街道において、一台の荷馬車が北上のにあった。

 美名らの一行である。 

 農馬が一頭だけで引く馬車。手綱を握るのはバリ。荷台は、急な調達だったため、粗末な板木のうえに干し草を敷き詰めただけの簡易なもの。その吹きさらしのなか、グンカとヤヨイが寝そべっており、明良あきらは彼らの介抱に尽くし、美名は、手に持つ紙片に目を落としていた。


 彼女らはなぜ、馬車などで移動しているのか。どこへ向かっているのか。

 この現状は、「魔名降ろし」の新術を成し遂げ、それでもなお残ったいくつもの問題――それらが複雑に絡み合い、起因している。

 特に、もっとも喫緊きっきんの問題とは――。


「どうだい? 様子は」


 背中のまま問いかけてきたバリに、少年は「駄目だ」と答える。


「ヤヨイは、貴様が言っていたとおり、心配要らないだろう。ただ寝ているだけのようだ。だがやはり、グンカ師が……」


 もっとも危惧すべき問題――それは、「レイドログの魔名降ろし」を経てもなお、グンカが快癒しないことであった。


「血の気が引き、青ざめたまま、意識が戻ってこない。どこか落ち着けるところでしっかりとヤ行に診せられたらいいのだが……」

「悪いね。君たちの反対を押し切り、僕の意見を優先させてしまって」

「……仕方あるまい。このうえ、ゼダンと一戦構えることにでもなれば、勝敗はおいておくにしても、グンカ師の容体はさらに絶望的になりかねなかった」

「ヤヨイくんが起きてくれたら彼もヤ行なんだろうけど、今は彼、『降名こうめい』の余波で段に落ちているからね。無理に起こすのも可哀想だし、事情を話すのと昇段にも手間がかかる。それだけの時間も惜しい。今は、できるだけ早く、大都の領域を出ないと」


 「魔名降ろし」の直後、グンカに快復の兆候が見られないことに気付いた一行だったが、すぐ、次の問題が立ちふさがった――ゼダンからの退去催促である。


 これ以上の長居を続ければ、「今日中に大都から退去せよ」との指示にそむくことになり、最悪の場合、ゼダンを――ひいては大都全体を敵に回してしまいかねない。

 それでも、美名と明良のふたりは、ゼダンとの交渉も視野に入れ、治療にあたることをを主張したのだが、附名ふめい大師バリが首を縦に振ることはなかった。

 美名たちも判ってはいたのである。

 あのゼダンに「グンカが快復するまで」などと言っても、滞在を了承するはずもない。同情を引ける相手ではない。「邪魔者が消えてくれる」などと笑いを誘うのが関の山である。あるいは、交渉に行ったその場で戦闘になる危険すらあった。

 ならば、最善の行動は――。

 こうして一行は、急いで荷馬車を調達し、大都の町を出てきていたのだ。

 

「僕が渡したサカは飲ませたんだろう? 脈拍みゃくはくのほうはどうだい?」


 訊かれた明良は、ふたたびグンカの首元に指をあてる。

 じっとりと汗ばむ感触を通じ、グンカの苦悶が伝わってくるようで、少年は顔をしかめてしまう。


「脈は確かに早まってはいる。今は、俺とそう大差ない。だが……」

「起きないか……。やはりそれは、ヤ行他奮たふん範疇はんちゅうにないものかもしれない」

「……どういうことだ?」


 ふぅと息を吐いたバリは、肩越しに荷台の様子をうかがう。


「単純に他奮術で快復できるものなら、ヤ行の魔名はそこらじゅうにいる。レイドログほどの熟達者が仕掛けてきて、あれだけ図に乗っていたからには、おいそれと快復できない類のもの……。そう見るべきなのかもしれない」

「ならば、他奮大師を呼び寄せて……」

「ハマダリンさんに可能だとしても、彼女がセレノアスールからここに来るまで、その時間の猶予はないだろう? 大陸を一日二日で行き来できる、動力どうりき大師たいしがやられた、というのが大きいね……。あるいは、それも計算のうちだったのかも」


 「それなら」と言いかけ、明良は口をつぐんだ。


 仲間うちで、グンカと同様、空を飛べる者はあとふたりいる。

 劫奪こうだつ大師美名と識者しきしゃ大師タイバだ。

 だが、「このふたりによる飛行移動は止めておく」との結論は、大都を発つ前、すでになされていた。

 前者、美名の術は、その性質上、身体に不調を来たすため、こまめに休息をとらねばならず、大海を渡ることはできない。それはなくとも、奪地だっち術での飛行はあくまでも「重みを奪われた者」が自らを制御して飛ぶものであり、意識のないグンカとヤヨイには役に立てない。タイバについては、動力術よりは速度が劣るものの、海を渡ることが可能でふたりを運ぶこともできる。だが、識者大師への援助の要請は、が障害となっていた。

 それを無視し、強行したとしても、ハマダリン大師の他奮術も確実ではない。

 それがため、明良は提案を口に出さず、呑み込んだのだった。


 もうひとつため息を吐くと、バリはふたたび進行方向に顔を戻す。


「『むしき』」

「……何か言ったか?」

「ゼダンが口走っていた言葉さ。グンカくんを見て、『蟲憑き』ってね」


 明良は、騒動の当初、突如としてゼダンが姿を現したことを思い出した。

 確かにあのとき、ゼダンはそのようなことを言っていた気がする。


徐脈じょみゃくに有効なサカ丹が効かず、レイドログがタ行大師である事実からすれば、グンカくんの不調は外的な要因、使……。なんらかの『蟲』……。術が解けてもなお、それが体内に居残り、悪さを続けている。そうとも考えられる……」

「『蟲』……。虫か……」

「領地をけられたら、ヤ行他奮だけでなく、タ行使役も探してみよう」


 道を進むことに専心してきたおかげか、三師街道をこのまま行けば、四半刻もかからないうちに大都の領域を出られるところまで来ている。そこは、カ行動力大師管轄の第二教区。そこまでたどりつければ、ゼダンにとやかく言われるいわれもなくなる。

 だが、それより先、グンカを救出できる確実な手立てはない。

 バリが言うとおり、使役術者をあたっても、「蟲」とやらを排除できるとは限らない。むしろ、さきほどの推論に照らせば、タ行の魔名とてそこらじゅうにいる。そう易々と解決できるとは、到底思えない。

 明良は、鬱々うつうつとする気分を払うように頭を振ると、美名に目をやった。

 彼女は、手元の紙片――遠く離れたクミ、そしてフクシロとついになっている「相双紙そうぞうし」を読んでいた。バリとの会話に入ってこなかった様子からすると、どうやら、一心に読みふけるような「新しい連絡」があったらしい。

 その連絡内容が、についてであれば、さきほど踏みとどまった案――タイバ大師を呼び寄せる手段も取り得る――。


「美名」

「……ン。うん……」

「どうだ? フクシロやクミからは、レイドログや『操狗そうく』について……」


 少女が否定の意味で首を振るよりも早く、明良は、その顔色でもって悟った。「新規の連絡」は、美名や明良が待ち望んでいた内容ではなかったのだ。


 一行が抱えてしまった別の問題――それは、があるため、今の現状を安易に報告できないことであった。

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