劫奪者と使役者 6

幾旅いくたびたちッ!」


 黒髪の少年は、赤髪の大師の呟きなど問答無用とばかりに、斬撃を放った。

 の、閃光。

 去来きょらいの大師は常套じょうとうのとおり、「何処いずこか」に飛ばすべく、剣閃の前に平手をかざす。

 だが、刹那せつな、大師はその一閃のきらめきに、明確な思考や推測に基づくのではなく、で嫌なものを感じた――。


「……カ行・氷盾ひょうじゅんッ!」


 その直感に従い、大師は「何処いずこか」で対するのでなく、自らを護るように

 しかし、「幾旅金」の剣閃は、易々やすやすと盾をち切っていく――。


「ぐぁッ!」


ガッシャァッ!!


 騒然とした硝子がらすの破砕音とともに、大師の身は、夜のとばりが落ち始めた外部へと飛ばされていく。

 いや、のではなく――。


(……危なかったッ! 「動力どうりき」の「浮揚ふよう」で後ろに飛び退いていなければ、真っ二つに斬られていたッ!)


 パラパラと、硝子の破片が中庭に落下していく中、大師は空中で、くるりと身を回転させる――。


「……どういうわけだ?」


 黒髪の少年が窓際に立ち、問いかけた。

 相手に対する警戒が高まっていることは、その刃の切先が差し向けられていることからも伝わってくる。

 遠く、拍子のような音が聴こえる、よいの口のそら。どうやら、「大使館通りの慰労の催し」が始まっているようである。


「……なぜ、『ハ行去来』の貴様が?」


 宵闇よいやみの中、庭園の上、去来の大師の長躯姿は、空中に浮かんでいた。

 まるで、見えない地面がそこにあるかのような立ち姿であった。


「……なぜ貴様が、ヒミの『氷の盾』を使えている?」


 肩で息を吐きながら、ホ・シアラは相手の顔を見つめる。

 執務室からの明かりを背にしてもなお、少年の瞳は、憤怒の光激しく自身を睨みつけていた。

 そんな敵意を一心に向けてくる相手が、「去来」の「何処か」を突破するすべを持つだとしても、大師はなぜか、心底からの喜悦が込み上げてきて、口元が緩まずにはいられないといった様子だった。


「……か? 『劫奪こうだつ者』も『使役しえき者』も、全て、なのか?」

「……素晴らしい『かえり』になったッ……!」

「ほざいてないで、答えろォッ!!」


 大師はズレた眼鏡がんきょうの位置を正すと「そうです」とうそぶいた。


「私は『魔名を奪う者』……。『五十のおとべゆく者』! 『劫奪者』や『使役者』などと、矮小わいしょうくくらないでいただきたいッ!」

「奪った魔名は……貴様が使えるということか? 『去来の大師』をかたる、『ワ行』の逆徒ぎゃくとがッ!」


 空中の大師はふう、と息を吐くと、首を振った。


「……勘違いしないでください」


 その仕草は、明良の言葉の否定とともに、自身の激昂げっこうを抑える意味もあったようだ。大師の声音に、穏やかさが戻っている。


「私の魔名は、ホ・シアラ。『ハ行去来』の大師であるのは、まことです」

「ならば……なぜ魔名を奪える……? なぜ、永年えいねん不在の『ワ行劫奪こうだつ』を行使できるッ?!」


 「魔名はひとり、一行いちぎょう」。

 「名づけ」で定められた魔名とヒトとは、その旅路を終えるまで、「段上げ」があるにしても、共に歩み続けていく。魔名を返上するその時まで、各々のぎょうの魔名を響かせ続けていく。

 それは、絶対的な法則のはずであった。 


「……アキラさんは、物を書いたことはありますか? ふみを誰かにしたためたことはありますか?」


 突拍子もない問いに気を削がれまいと、明良は柄を握る手に力を込めた。

 答えない明良に構わず、去来の大師は続ける。


「『私はあなたを殺します』。この文を書いたとして、おかしなことに気付きませんか?」

「……何をほざいている?」

「読み上げてみると、判りますよ。『私はあなたを殺します』……」


 明良は生唾を呑み込む。


(『私はあなたを殺します』だと……?! 何を訳の判らない……)


 だが、少年は目を見開いた。

 心中に浮かんだ文字面もじづらに、悟ったのだ。

 わらう大師が、さとそうとすることを。


(『私は』……『わたしは』……。『わたし』……『は』! 『は』の文字を……『……!)

 

「……気付きましたか?」

「バカな……。そんなことが……、『ハ行去来』が『ワ行劫奪』に変わるとでも言うのかッ……?!」

「……私の推測ですが、純粋な『ワ行』の魔名は、後にも先にも存在しません。ヒトが長年使っているうちに、元は『ハ行』だった音が『ワ行』の音に変化したように、年月を経て、高みに至ったごく僅かの『ハ行去来』の者だけが、『ワ行劫奪』を得る……」

「そんな……子どもの絵空事みたいなこと……」


 赤毛の大師は薄ら笑いを浮かべて、「事実です」と断言した。

 

「どんな書物にも記されていないこの現象を、私は『ハ行の転呼てんこ』と名付けました。そして……」


 大師は、自身の手の甲を明良に向かって掲げ見せる。


「私は居坂いさかで唯一の『転呼者てんこしゃ』、ホ・シアラです」

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