不埒な幻燈の大師と幻映の景色 2

客人まろうど?! この愛玩あいがんがですか?」


 「附名ふめい」の魔名術者、ウ・カラペも執務机を回り込んでくると、寝台に座る美名たちの前に立ち、しげしげとクミを眺める。

 口をつぐみつつ、居心地の悪さが増すクミだったが――。


「……ひゃ?!」


 不意に自身の身体が浮かび上がり、思わず声を出してしまった。


「あれま。女のようだってハナシだったけど、オスじゃないかい」


 クミを抱え上げたのは、幻燈げんとうの大師だった。


(な、なんてこと……)


 両脇から抱え上げられ、地に引っ張られるようにだらりと伸びたクミの肢体したい

 彼女の尾から耳の先まで、興味深そうに眺める幻燈の大師に、美名は怖れおののいた。


(クミを動作に、まったく反応できなかった……)


 美名は自身で、感覚は鋭敏であるとの自負が少なからずある。

 その感知能力をってしても、幻燈の大師の動きが読めなかったのだ。


(『マ行幻燈』は、闘争に不向きな魔名術だと軽く見ていたのかもしれない。とんでもなかった……。『大師を敵に回すな』……。先生、正鵠せいこくです……)


 美名の緊張の面差しに、クミの黒毛の身体越しに気が付いた幻燈大師は、ニヤリと笑みを浮かべる。


「そんなに怖い顔しないでおくれよ。可愛い顔が台無しさね」


 そう言うと、幻燈の大師は美名の膝の上にふわりとクミを戻してやった。

 ほう、とひと息吐く客人のネコ。


「腐ってもこの教区を任されてる『十行じっぎょう大師たいし』だよ? アタシは。『クシャの災禍さいか』――うろ蜥蜴とかげした白金しらかねがみの少女、そして、客人のアヤカムの情報は、耳に入ってるさ」


 固唾を呑む美名に、膝上のクミがチラリと視線をくれる。

 美名が小さく頷くと、クミは大師に向かって「クミよ」と名乗った。


「私の名前は、クミ。自分が『客人』かどうかは知らないけど、この姿は『ネコ』!」

「おお。喋ったよ!」

「わお。喋りましたね!」


 妖艶な大師と奔放な「附名」魔名術者とが歓喜する様は、美名の目には、クシャの遺児、ヤッチが初めてクミと相対あいたいしたときの姿が重なるほど、幼なげなものだった。

 その姿に美名は心中で踏ん切りをつけ、口を開く。


「大師様……」


 客人の小さな姿から目を戻し、「ン?」と応える幻燈の大師。


「……僭越と断じていただいても構いません。よろしければ、ふたつほど、大師様にお伺いしたいことがあります」

「……なんだい。お嬢の方はかしこまってくるのかい」


 見透かすような目で美名を眺める幻燈大師。

 りょうと返事を貰えるまで負ける気のない美名。

 ふたりの沈黙にクミとカラペも黙ってしまい、少し気を揉んでふたりを見守る。


「……いいよ。なんでもお聞きよ」


 先に折れたのは幻燈の大師だった。


「トジロ様……、『名づけのオ様』が大師様をお訪ねになったと聞きました。こちらにおられるのでしょうか?」

「ン? トジロかい……?」


 目線を宙に少しだけ飛ばし、幻燈の大師は首を振った。


「ヤツは挨拶しに来たと思ったら、またすぐ出て行ったよ。行先も告げずにねえ」


 それを聞くと、美名は少しだけ長く、息を吐いた。

 だが、その反応がどんな心情を示すものなのか、「心を読む」魔名術者の筆頭、幻燈の大師にはすぐに察しがついたようだった。


「……魔名を手に入れたいのかい? 白金しらかねのお嬢は」

「……はい」


 「なるほどねえ」と呟くと、大師は美名の目を見据える。


「アタシが『ア行』だったら、お嬢には魔名を授けてやる気にはならないねぇ」


 大師の青緑のまなこに、これまで匂い立っていた妖艶さ、垣間見えた幼さ、それとは違った「威厳」の光が宿る。

 これこそが「大師」なのかと目を背けそうになるのを、美名は堪えた。


「それは……どういう意味でしょうか?」

「お嬢は、魔名を何か、勘違いしてやしないかい?」

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