不埒な幻燈の大師と幻映の景色 1
「あのぉ……」
石畳みの廊下を跳ねるように先行く、「
四歩分ほど遅れて付き従いながら、その背中に美名が問いかける。
「私たちがお目にかかってもよいものなのでしょうか?」
「……ん~?」
振り返った横顔に笑みを浮かべて、カラペは答える。
「だって、事情と君たちの風貌を話したら、モモ様が連れて来いって言うんだもの。いいんでしょ」
「
「相手は『
ふん、となぜか得意気に鼻を鳴らした「附名」魔名術者は、ふたたび進行方向へと顔を戻す。
「困ったわね……」
美名に抱かれた小さなクミが、小声で囁く。
「まさか、『魔名教に気を付けろ』って言われてたソバから『
「う~ん……。『タ行
美名も浮かない顔をしつつ、小声で応じる。
「……ごめんね、美名。私、気取って、漢字の名前なんか贈っちゃって……」
美名はしょんぼりとする友人に微笑むと、小さくかぶりを振った。
「いいの。私もヒトの名前を字で見たことってあまりなかったから、気付かなかった……」
小さく、桃色の舌先をチラつかせる少女。
「それに、クミに名前を貰って、私、本当に嬉しかったんだよ? 謝ってもらうようなことじゃないわ……」
「……ここよ!」
先立っていた「附名」の魔名術者、ウ・カラペの大声に密談を止めると、美名とクミは顔を上げる。
彼女は両開きの扉の前で腰に手を当て、なにやら
「ここが、ヘヤ教区館長、当代の『マ行
鼻息荒げる笑顔のカラペを
「……うっ?」
その扉はおそらく木製なのではあろう。
精巧な
「教区館の入り口と
(……ケバッ!)
扉の面全体に、取り取りの濃色が、無秩序に塗りたくられているのだ。
目の奥がキュッと締まるのを感じて、美名もクミも瞬きを繰り返す。
「モモ様、入りますよ~」
言うや否や、「附名」の魔名術者は
その無遠慮さに呆気にとられた美名は、自らも扉に近づき、クミと一緒にそろそろと中を覗き見るようにした。
「……やっぱし」
覗き見た室内、部屋の広さ自体は驚くほどではない。十歩四方ほどである。
だが、クミが小さくぼやいた通り、美名が予想していた通り、室の壁面という壁面に様々な配色がなされている。
教区館の入り口も、この室の外扉も、異様な色塗り装飾の仕掛け人は、この部屋の主――「マ行幻燈」の大師であるのは間違いがなさそうだった。
「この
「附名」魔名術者、ウ・カラペはすでに室内の奥、執務机の向こうで座する者の傍らにあって、相手の顔を覗き込むようにしていた。
相手はそれにうっすらとした微笑で応え、続けて、戸口際で顔だけを見せている美名とクミとに視線を向ける。
「ほう。こりゃあ、話以上だ。そそるねぇ」
美名は、射すくめられたように胸が高鳴るのを感じた。
(なんて、綺麗な方……)
幻燈の大師は、妖しく艶やかな女だった。
背後の大窓からの陽光を受け、絹のような金色の直毛に光の粒を舞わせている。前髪は編み込んで横に流し、
頭髪と同じ金の眉のすぐ下には長い
鼻梁は高く、形が
「なにしてる? お入りよ」
微笑を深める幻燈の大師に促され、美名は小さなクミを抱いて執務室に足を踏み入れる。
視界の中の騒々しい色々。
鼻孔をくすぐり出した、頭の後ろに抜けるような匂い。
目の前の、妖艶で
美名は頭がふらつくのを感じながら、歩を進める。
「そこにお掛けなさいな」
しなやかに白んだ
美名とクミも、この寝台の存在には一見で不思議に思っていた。
「執務室」という部屋の役割にそぐわない、まったくの就寝具。これこそまさに絹なのであろう、白一色の、模様もない布団が掛けられている。
この極彩色の空間では、その白さが際立って異質なのだ。
美名は、クミを抱く腕に少し力を込めながら、柔らかな感触の上に腰を下ろす。
「すでに名があるんだって?」
執務机からふたたび放たれた視線の矢に、美名はビクリと身を震わす。
いろいろな場所で、いろいろなヒトと出会ってきた美名でも、「このヒトは怖い」と直感していた。
「……罪に問われるのでしょうか?」
マ行の大師は、一瞬、目を丸くする。
彼女のそんな驚きの表情には無垢な少女のようなあどけなさが表れていて、それが一層、美名の不安を掻き立てる。
美名のそんな様子を見抜いたような視線をもうひと度くれてから、大師は笑い飛ばした。
「そんなこと怖がってたのかい? 可愛いねぇ」
そう言うと、幻燈の大師は立ち上がって執務机を回ってくる。
彼女の足運びの度に、むせ返るような匂いが立つ。
白外套の下は、ほとんど下着のような、肌を多く露出させた着物であることに気付いて、美名とクミは何度も瞬きをした。
相手は、ふわり、と美名の横に並んで腰掛ける。
「自己紹介するだけさね。私には教えてくれないのかい?
「……美名、です」
答えて、手の甲を向ける美名。
「マ行幻燈」の大師は美名にウン、と頷きを返しただけで、視線を落とした。
「……こっちのは?」
その視線と詰問の相手は――黒毛の小さなアヤカム。
射すくめられたようにドキリとしたのは、今度はクミの番だった。
「こっちの『
大師は視線を外さず、クミに顔を近づける。
明らかに、クミに問いかけていた。
(き、気付かれてる……?)
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