太古の礼拝殿と司教 2

 少年の依頼に、美名は目をみはる。


明良あきらに術がけしてって……、どういうこと? 私は?」

「『ワ行・奪地だっち』は人体に変調をもたらすのだろう? ならば、お前はこの先に進まずに待機していてくれ」

「……それは、クメン様やグンカ様、メルララ様たちを助けだすのに必要な方策なの?」

「……違う。……明言するなら、ただ、お前の身が心配なだけだ」


 明良の瞳が自らをとらえて離さない。

 その目を見れば、美名にも判る。

 目の前の少年は、真に自らを案じてくれている。彼の性格を考えれば、照れくさいのをよほど我慢したのであろう、殊勝な文句を述べている。

 その心配りが、少女には嬉しい。

 だが、それ以上の怒りが湧いてきていた。


「見下してるの?」


 紅い瞳が、たぎった色で少年を見据える。


「そんなこと言われた私が、素直に首を縦に振ると思う? おとなしくここで待ちぼうけできるって……、明良は本当にそう思ってるの?」

「……」

「明良のことは信頼してる。剣の腕だって、度胸だって。冴えや機転のよさは、私なんかでは敵わないとも思ってる。でも、私を見下すのはやめて」


 美名はおもむろに立ち上がると、「ワ行・奪地だっち」と詠唱する。

 直後、少女の「地を奪われた」身体はふわふわと宙に浮かび上がった。


「大事なともがらがすぐ目の前で捕まってるのに、呆けて待っているだけだなんて、そんなこと、私の心が許さないわ。私は助けたい。明良と対等でいたい」

「美名……」


 見上げていた少年は、自身も立ち上がり、浮かぶ少女に「すまん」と詫びた。


「見下していたわけではない。お前の身を心配したのは……、俺の心の内にあった、存外に弱い部分から来たものだ……」

「……うん」

「要らん想いをさせて悪かった。俺にも術をかけてくれ」

「でも、明良……。私はいつのまにか元に戻ったけど、他のヒトの重みを奪って、元に戻る保証は……」

「構わん。共に行こう」


 噛み締めるように頷いた美名は、明良に平手をかざし向けた。

 はじめて、自分以外のヒトに「ワ行」の魔名術を施す。

 その相手が明良であることに、少し面映おもはゆいものを感じながら――。


 身体能力が優れているとはいえ、少女の先例とおなじく、少年が「飛翔」に慣れるのには少しだけ時間がかかった。

 飛翔のコツ――美名が教示した「空を蹴ること」に最初は小首を傾げていた明良だったが、ひとたび感触を得ると、四肢を用い、自在に空中移動ができるまでになった。もうひとつのコツ――「奪う重みの調整」での滞空や制止は、劫奪こうだつ術者ではない明良には会得できないが、「空を蹴る」の応用で同様の動きが可能であることも、勘の良い少年は見つけ出した。


 そうして、とらの刻の鐘が鳴って少しした頃、夜明けも間近というなか、大河の上をふたつの影が飛び越していった。


 *


 神殿区には丘が全部で七つあり、いずれも台地状。大きさもさまざまである。

 最も大きいものが「主神の丘」。主神ンに捧げられたもので、かの神を単独にたてまつる神殿が六つある。

 中心のこの丘から最も離れ、丘群のなかでも最も小さいのが「劫奪こうだつきゅう」。これも劫奪大神たいしんのみをまつ単柱たんちゅう神殿をもつが、その数はただひとつ。ほかの丘のように複数の神殿をもつがゆえの賑々にぎにぎしさもなく、造り自体の装飾も乏しく、どこかうら寂しい、規模の小さなものである。とはいえ、この「ワ行神殿」だけでも、ヒトの家が悠に三軒は入る広さであった。


 さて、美名と明良のふたりが向かったのは、二番目の規模の丘、「カ行の丘」である。

 丘自体の広さに比して建てられている神殿の数は三つと少ない。しかし、それも当然のことで、この丘には、すべての神殿のなかでも最大規模の「祈勝きしょう殿でん」があるのだ。

 この神殿はその名のとおり、「戦争の勝利を祈念する」由来を持ち、まつられている神も五柱ごちゅうと最多を誇る。なかでも「カ行動力どうりき大神」は戦の好結果に寄与する神として親しまれていたから、「主筋しゅすじ」として、「カ行の丘」に建てられている理由になっていた。

 「魔名解放党」と仲間内で、捕囚になった者は百人弱に及ぶはず。

 それだけの数が収監されているとしたら、規模や造りからしてこの神殿に間違いないだろうと見定めたふたりは、周囲に人気ひとけがないことを確認し、「祈勝殿」の礼拝口前に降り立った。


「やはり危険だな、この魔名術は……。頭がフラついてきた……」

「私も……。やっぱりこれは、『慣れればどうにかなる』とかではないね……」


 明良に向け、平手をかざす美名。

 彼女は「奪地」について――というより、おそらくは「ワ行劫奪」の特質であろう、「返却」についても感覚を掴んできていた。

 「奪ったものは自ら利用することもできるし返却もできうる」。まさしく、モノを奪取した際と同様である。

 明良が「飛翔」の習熟に励んでいる間、美名は美名で、この「劫奪」の性質を得ていた。意志を傾けて平手を振れば、明良の分を上乗せした重みを自らに課すことも可能であるし、すべてを、あるいは分割量を少年に返却することもできると学びとっていた。

 「劫奪」の魔名は悪逆などではない。

 ほんの少し力を借りて、あとは、感謝して相手に返すことができる魔名。

 相手がいたからこそ得られた「劫奪」の真実である。


 そうして、平常に戻ったふたり。変調の名残を飛ばすかのよう、揃って頭を振ると、美名と明良は「祈勝殿」の礼拝口、上り段に足をかけた。

 だが、その直後である――。


「貴様らか」


 ふいの声にふたりは振り向き、驚愕に目をみはった。

 背後にいたのは、肩章けんしょう付き白外套がいとうを身にまとった壮年の男。

 あの「夢乃橋ゆめのばし」の夜、わずかな時間に対峙しただけではあるが、ふたりにとっては忘れもしない面相。


「貴様!」

「……ゼダン!」


 ふたりから怨嗟えんさこもる目を向けられても、意に介さず、無視するかのよう、司教は周囲をうかがいだす。


(今の今まで、誰もいなかった。絶対にいなかった。ハ行の「何処いずこか」だろうけど、ずっとここで、私たちを待ち伏せてたの……?)


 ゆっくりと辺りを見回している司教ゼダン。まったく隙だらけに見える。

 剣を抜き、距離を詰めれば、一刀のもとに斬り伏せられそうな気にさせられる。

 だが、ふたりは動けない。

 男の脅威を体感済みのふたりにとって、その悠然さが怖い。


「貴様らだけか?」


 睥睨へいげいしていた目を戻すと、確然とした声音でふたりを刺すかのよう、司教ゼダンは問うた。

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