小さな段々集落と隠れビト 3

 マオから教えられた「隠れビト」――「バンリ様」の居所は、山のほとんど頂上近く、東側の尾根の陰、少しばかりの平らかな地。

 とはいえ、目的の地までの整備された道などがあるわけではない。

 様々な土地を旅してきた明良あきらにとっても山は険しかった。

 ヒトの通り道どころか獣道さえない。地面は傾斜が強く、踏ん張りが利きづらい地質。

 やぶの葉は鋭く、気付かぬうちに傷を作ってしまう。

 しかし、明良は駆け続けた。


(「バンリ様」とやらが、何か良策を持っているといいが……)


 一刻以上走り続けた明良は、狭くはあるが手ごろな平地を見つけると、そこで小休止をとることにした。


「確かにこれは……、腹ごしらえして休ませてもらったので正しかったな……」


 木の幹に身をもたせ、ふう、と息をつき、懐中より「相双紙そうぞうし」を取り出す。

 紙面にはマオたちと別れる直前、明良が書き込んだ「無事か」の文だけがある。相手――美名からの応答の言葉はない。


「まさか……すでに……」


 嫌な想像を消すように首を振った明良は、視界の端に動くものを捉えた気がした。

 顔を向け、確かめる。

 木々の合間に見えるは細い渓流。

 水際の鳥。


「……見たことがない種だな……」


 鳥は三羽ほど。

 全体は茶色い羽で、肉付きがよさげ。翼のふちは白色が混じり、黒い瞳が大きい。海や渓流の魚が主な食事なのだろう、桃色の長いくちばし

 明良との距離は、野生でヒトを警戒する種であれば飛び立ってしまうような近さである。

 それでも鳥たちは、ゆっくり散策するように渓流沿いを歩き回り、時折、水流に嘴を突っ込むのであった。


「鳥ものんびりしているのか、この島では……」

「……『不飛鳥とばずどり』というんだよ、アレは」


 明良はハッとして、声がした方とは逆に跳び退いた。

 少年に睨まれながら、木の幹の陰から現れた者――。


「営巣の地がこの島でね。島の名の由来にもなってるんだ」


 長い薄茶髪を無造作にまとめた不精髭の男。

 歳の頃は三十から四十といったところ。簡素で汚らしい服をまとい、腰には刀剣とおぼしき得物を提げている。

 まなこが見えないほどに細い目で柔和そうな笑みを浮かべてはいるが、ここまでの接近を感じさせない気配の殺し方、隙を見いだせない佇まい。

 只者ではない、と明良は感じた。


「……『不飛とばず』という名だが、飛ばないわけじゃない。事実、彼らは渡り鳥。時機がくればこの島を去り、戻ってくるよ」


 警戒する明良を嘲笑うように、男は「不飛鳥」の講釈をしながら歩み寄ってくる。


「『不飛とばず』の名は、ヒト側のやっかみだ。ヒトが近づいても、仲間が叩き殺されても、彼らは飛んで逃げない。怖れて欲しいのに。あわてふためいて欲しいのに……。ヒトの卑屈でねじ曲がった心が、雄大な鳥に『不飛鳥とばずどり』という名をつけさせたんだ」


 明良は背の「幾旅金いくたびのかね」の柄に手を伸ばす。


(あと、二歩……。それ以上近づけば……)


「抜くかい?」

「ッ?!」


 思考している一瞬の、男はすでに明良の眼前にいた。


(速いッ?!)


 速いのは接近だけではなかった。

 男の得物。

 腰に提げる刀剣。

 鞘から抜き出されたその流れで放たれる、剣閃。


カアンッ


「ぐあっ?!」


 明良の身が、山中を転げ飛ばされる。

 男は抜刀の時と同じ、目にも止まらぬ早さで刀を鞘に納めると、片目を開いて「へえ」と笑みを深めた。


「刀を抜くのを止めて、守りに徹したかい。早いし、いい判断だ」

「……く、ぅう……」


 男の言葉のとおりで、明良は斬撃の瞬間、胸元の結びをほどき、「幾旅金」を鞘ごと、剣筋の前に突き出していた。

 刃が明良の身に届くことはなかったが、その威力は歴然。

 決して軽くない明良の身体は弾き飛ばされ、刃を受けた鞘は裂け落ち、遺物の白刃が露わにされてしまっている。


「き、貴様ぁ……」

「見た限り、だいぶ年少の刺客だが、なるほど……。司教が放ってくるだけのことはある」


(……なんだと? 今、コイツ、何と言った……)


 言葉に気を取られてる間に、男はふたたび、明良に気取られることなく距離を詰めてきていた。

 少年からすればまだほんの少し遠いが、先ほどの一撃からすると、男の剣ならば充分に剣撃が届く間合い――。


「二度目はどう防ぐ?」

「くッ?! さえぎりぃッ!」


 明良は尻もちをついた姿勢のまま、「幾旅いくたびさえぎり」を形成した。

 剣閃を増幅する「幾旅金」の性質を利用した、円状の盾。

 うろ蜥蜴とかげの「れい息吹いぶき」も、動力どうりきの炎のじゅつも防いできた、守りのすべ

 しかし――。


「っつぁッ?!」


 男の剣閃は、「遮り」をすり抜けて明良を襲った。

 服ごと斬り散らされる、明良の胸元。

 鮮血が山中に散り、少年はまたも地べたを転がされた。


「ぐっ、う、あ……」

「……面白い戦い方だけど、僕の剣は速いよ。刹那に短いの、毛よりも細い間隙かんげきでも斬り込める……」


 いつの間にか男は納刀しており、ふたたびに近づいてくる。

 身を起こすこともできず、明良は胸元を抑えるばかり。


「しかし、懐中に何か仕込んでいたね? おかげで、皮一枚斬っただけだったよ」

「……く、クソぉ……」


 男はまた、間合いの直前で立ち止まり、腰を落とす。

 三撃目が来る。

 倒れ、ろくに体勢も整えられない明良の決死の境――だが、露わになった明良の胸元にチラと目線をくれると、男は「あれ」と素っ頓狂な声を上げた。

 彼が目に留めたのは、露わになった胸元、明良の手中にあるもの。懐中に収めていた銀色の髪束と、最前の剣閃によりたち割られた貝殻――。


「それは……、トバズドリのヒトたちにお願いしてた『あかし』……」


 入り江の集落でマオが持たせてくれた貝殻。「バンリ様」に見せろと渡された、「認めの証」とやら。

 上体を起こしながら、明良は男を睨みつける。

 男は先ほどまでの殺気はどこへやら、元の柔和な顔に戻って脂汗を流していた。


「もしかすると、君……。僕を訪ねてきてくれたヒトかな……?」

「……くっ、では……貴様が……?」

「あ、バリです……。オ・バリ……」


 バリと名乗った男は、恐縮しきった様子で手の甲を向けて来て、「ごめんね」などと言う。

 その向けられている手首を斬り飛ばしてやりたいと、少年は心底から思った。

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