劫奪の少女と奪感の魔名術

「く、うぅ……」


 体勢を崩し、後退あとずさるロ・ニクラ。

 気勢を取り戻すように頭をひとつ振ってから、彼女は美名を睨みつける。

 喋っている最中に下からあごを蹴り抜かれたものだから、口の中を切ってでもいるのか、血が混じったつばを吐き捨てた。


「……立てるとは……回復が早すぎる……! つくづく野生児ね!」


 ロ・ニクラは――美名からの反撃を、「『風韻ふういん』の効果が切れるのが予想外に早かったため」と解釈していた。

 そうではない。それはである。

 ニクラは美名に向けて平手をかざし上げる。


「ずっと聴いてなさいッ! ラ行・風韻ッ!」


キィィキン……


 波導の少女の手のひらからは、「風」とともに「異音」が放たれる。

 しかし、その音が――「感覚喪失」の効果が、美名に

 ちぢこむように身構え、「風」を踏ん張ってやり過ごした美名の姿に、ニクラは「なッ?!」と驚きの声を上げた。

 「異音」を聴けば、身体中の感覚は混乱し、まともに立っていられなくなり、「風」の直撃を受けるはずである。しかし、相対あいたいする二色髪の少女は、「風」に耐え抜いたばかりか、ニクラに向けて駆け出してきた。


「ニクラッ!!」

「どうして……、効いてないッ?!」


 たじろぐニクラ。そして彼女は、ようやくにして気が付いた。

 先ほどの美名の、「劫奪こうだつの詠唱」――。

 途中のようであったが、あれですでに術が発動していたことを。すでに美名はことを。


「まさか、耳を……? のッ?!」


 ニクラが驚くあいだに、美名はすでに眼前に迫っていた。

 平手を突き出していたニクラの腕を掴み、引きつける。

 駆けていた勢いも合わさり、振りかぶった美名の拳は、放たれた矢のごとき速さでニクラの頬にめり込んだ――。


「……ぐっぁッ!」


 すでに二度、波導はどうの少女は頭部に打撃を受けている。勢いがついた三度目は、ニクラが倒れ込むほどに強烈だった。

 しかし、倒れたからといって、美名は攻勢をゆるめはしない。

 倒れたニクラに馬乗りになると、その顔面に美名は、もう一度拳を叩き込んだ。


「ぐッう?!」

「もう……ふぅ……終わりよ。降伏しなさい……」

「……ぐぅ、うぅ……」

「投降するなら……、降伏するなら、両目を閉じて……。閉じてぇッ!」


 恫喝どうかつを受けてもなお、ニクラはがんとして目を見開いている。そのまなこの憎々し気な色の中に、美名の姿を溶け込ませている。

 彼女の叛意はんいは、いまだ燃えている。

 その証拠にニクラは――組み伏せられながらも、よじるようにして、美名の背に平手を向けていた。

 

「……『雷矢らいし』ッ!」


 ニクラの手が光る。

 細糸のような、金色の光が飛び出す。


「ッつぅッ!」


 しかし、その光は、美名の背中にチリッとした焦げ跡と痛みを与えたのみである。

 あまりにささいな、「かみなり一矢いっし」。それが彼女の魔名術となった。


「……んのォ!」

「ッ……」


 美名がもう一発、拳を見舞う。

 それでニクラは沈黙した。「魔名解放党」の首魁しゅかい、波導の使い手、ロ・ニクラは完全に失神したのだ。


「ふぅ……、ふぅ……」


 肩で息をする美名は、ニクラを見つめ下ろす。


「馬鹿……、馬鹿よ。アナタも……私も……」


 同いどしくらいの少女。この歳で波導の「段」まで昇り、「福城ふくしろ守衛しゅえい手司しゅし」という立派な稼業に就いていた、才覚高い少女。

 可愛らしい顔が土に汚れ、鼻と口から血を垂れ流し、頬は赤く腫れあがり、気を失っている。目尻からは、土汚れを洗い流そうとするかのように涙の筋が流れていた――。

 何が彼女をこうまでさせたのか?

 どうして自分はこうまでしないといけなかったのか?

 美名の心中には、やるせない問いが溢れる――。


「ふぅ……。やれやれ……」


 その想いが巡っていたのと、疲労、劫奪の魔名術で聴覚を奪っていたこと――。加えて、の気配の消し方がであったこと。

 それらがため、美名はに気が付くことができなかった。


「……依頼されてるとはいえ、嫌な役目じゃ……のう!」

「……ッ?!」


 美名は意識を失った。

 腰が曲がった老人の、じょうでの一撃は、容易たやすく少女を失神させたのだ。


「『劫奪』の魔名が響き始めた、か……。お嬢ちゃんは好ましくて肩入れしたくなるんじゃが、カネを頂いてる以上、それとこれは別問題じゃ。『烽火ほうかの開始までの間、ロ・ニクラの身柄が押さえられんよう警護する』……」


 「ちょいとごめんよ」と言って、老人は気を失って倒れている美名の懐中かいちゅうあさった。

 抜き出されたのは、「神代じんだい遺物いぶつ指針釦ししんのこう」と煙草けむりぐさ――。


「……悪いが指針釦これは預かっとくぞい。代わりに、狼煙のろしは上げといてやろう」


 老人はくれない絨毯じゅうたんを地面に拡げた。林野りんやに絨毯――まったくもって不調和な光景である。

 美名の隣、気を失っているニクラの身体を転がすようにし、その絨毯の上に乗せると、老人は平手をかざす。すると、絨毯ごと、少女の身体が

 

「……願わくば、お嬢ちゃん。居坂いさかの価値基準がひっくり返るまで、そうやっておとなしく寝ていてくれると可愛いんじゃがのう……」


 天に昇る煙と、そのたもとで眠るように倒れる美名。

 「ナ行識者しきしゃ」の大師、ノ・タイバは、どこか名残惜しそうにその光景に一度だけ振り返ると、あとはもくして、ニクラを乗せた空飛ぶ絨毯とともに、林の中へと姿を消していった。

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