傷病者と来訪者たち

「おい、ゲイル」


 療養室の戸口際に立って、明良あきらが呼び掛ける。室内には三つの寝台が並んであり、彼の友人は中央にいた。

 寝台に身を横たえ、何か思案するような顔で木目の天井を眺め上げていたゲイルは、少年へと目を寄越すと「よう」と笑う。


「毎日顔を出して来て、お前も暇だな」

「……手首の治療のついでだ」


 「幻の大橋」の戦闘において、名づけ師オ・クメンをかばい、カ行動力どうりきの不穏な魔名術にさらされたシ・ゲイル。彼が受けた火傷は身体の正面全体に及んでおり、通常であれば死に至ってもおかしくないほどに重いものであった。

 だが、彼の魔名がサ行自奮じふんであることが幸いした。

 自らがすぐに施した、「サ行・治癒力強化」の自奮術。段がため、その効果は絶大ではないが、「克己こっきの定めにさえ打ちつ」、サ行自奮の魔名術は、直後に施された「ヤ行・治癒力強化」との相乗もあり、ゲイルの命をすんでで繋ぎ止めた。

 この、他奮手の療治りょうじ館に収容されてからも、日が経つごと、時が経つごとの回復を見せてきたゲイル。赤味と、どこか不自然な見た目は残りもするだろうが、新しい皮も張りきっていて、退館もそう遠くはないだろうと明良は見ている。


「お前こそ、暇だろう?」


 同室の負傷者らに目礼を配ってから、寝台そばへと歩み寄っていき、手近にあった簡易椅子を引き寄せると、明良は腰を据えた。


「同じ染みを、何度となく眺めてばかりでは……」

「そうでもないぞ」


 自嘲気味に笑った友人の目線を追って、明良も天井を見上げる。

 ちょうど、寝台の直上には楕円のような黒い染みがあり、ゲイルはそれを見つめているよう。


「……アレ、明良には何に見える?」

「ン? さあな……。つばだろうか」

「……なるほど。俺は、斜めの『聖十角形』に見える。水車に見えることもあった」

「ああ……。ヤマヒトにもあったな。粉きのためのが……」


 明良の視界のなか、天井の黒染みには刀鍔や、「聖十角形」、水車が次々と重なって消えていく。


「面白いモンだよな。染みひとつとっても、ヒトによって見えるものが違う」


 上げていた目を下ろし、しみじみと言う旧友に向け直すと、明良が少し当惑するほどに晴れやかな顔を、彼は浮かべていた。


「報いを受けたら、俺は旅に出る」

「……守衛手を続けるんじゃないのか?」


 ふん、と鼻を鳴らすと、ゲイルはすぐ横のそでづくえに目を向けた。この療養室を訪れるたびに明良が気になっていたことだが、机の天板上には生け花や読み物が置かれている。そして、花も、本も、来るたびにまるっきり別のものに変わっている――。


「クメン様が何度も来てくれるんだ」


 それで明良には得心がいく。

 ゲイルに似つかわしくない、これらのものは、クメン師が差し入れてくれたものなのだ、と。


「『すまなかった』、『助かった』って、朝も昼も夕も来てくれて、ずっと謝ってる。さっきも来てったよ。いいって言ってるのに、何度も来ては謝るんだ」


 ゲイルは、まるでそれがクメン師当人であるかのよう、生けられた花を見つめる。つられて明良も目を向ける。

 だいだいの明色が目に鮮やかな花弁。爽快に、かすかに漂う芳香。


「クメン様は、落ち着いたら旅に出るんだとさ。メルララさんといっしょに、『名づけ師』としての旅に出るらしい」


 そのことは、明良も聞き及んでいる。

 オ・クメンは、実のところ、当代附名ふめい大師オ・バリのおとうと弟子でしにあたるらしいと知った明良は、トバズドリで出会い、我が身を援けてくれた彼の消息を、ありのままに語った。そこにクメン師は思うところがあったようで、のちに、自らの決心をわざわざ明良に告げにきてくれた。

 「『魔名の段を下げる』術を開いたというバリ大師にならうわけでなく、元来の『名づけ』も為せませんが、わたくしも知見を広げ、附名術者の新しい可能性を模索してみようと思います」――。


「俺も、その旅に同行してみようと思う」

「……何か、目的があるのか?」

「ない!」


 妙に威勢のいい言い切りに、明良の顔は思わず緩んでしまう。


「旅してみて、目的そのものが見つかるかもしれない。そうじゃないかもしれない。だが、それでも、今は色々なところに行ってみたいんだ。旅することを考えると、わくわくしてくる。守衛手はまた中途半端になっちまうが、今回の件の報いを受け終えたら、福城ふくしろを出て、この高鳴りが導く先に向かってみることにした」


 言葉の終わり、ゲイルは「メルララさんが俺の好みにどんぴしゃりなのもあるけどな」と付け加えた。

 悪童のような顔に、明良は呆れ笑いで応えてやる。


「……ヤマヒトに行くことがあれば、親父さんにも顔を見せてやれ」

「そうする。お前はどうするんだ?」

「俺……?」

「そう、お前はこれから、どうするんだよ」


 実のところ、明良の今後は不透明である。

 福城を訪れた当初の目的――ホ・シアラから告げられていた「戦禍の兆し」は、まず間違いなく今回の件であったろうが、それも今や混然となり、『何を為すべきか』、『どこかへ向かうべきか』、単純で明快な次の道標みちしるべを見出せていない。

 携行していたギアガンとヒミの遺髪は、彼らの最期の顛末とともにグンカに渡し終えており、第二教区に赴く所以ゆえんも果たされている。

 今、黒髪の少年は着くべき地を失い、浮遊した状態――。


(しかし、あえて……、あえて挙げるとすれば――)


 誰かに言い訳するような繋ぎの言葉を前置き、明良が考えたのは「美名の旅」に付き添うことであった。彼女の「先生」を探す旅。それに、同道どうどうする――。


「『よきヒト』とは結ばないのか?」


 心中しんちゅうを自奮の友人に読まれたかと、明良の身がビクリと震える。

 努めて冷静を装い直すと、「何をほざいているんだ?」と返す少年。


「福城や他の町での独り身の多さには少しばかり驚いたモンだが、ヤマヒトの辺りでは、今の俺たちぐらいの年頃であれば婚姻するのはそう珍しいことでもなかっただろ?」

「時期が早いとか、そういうことを言ってるんじゃない。邪推も大概にしろ」

「なぁんだ? まさか、まだ懸想けそうの段階なのか?」

「婚姻とか、懸想とか……。美名と俺とは……」

「はっは。しっかり認めたな? 俺は、あの洒落しゃれた髪ののことだなんて言ってないぞ。足をすくわれたな」


 旧友にしてやられた明良は、これでもかと顔をしかめてみせる。強がるようなその所作が、より一層に病人の笑いを誘った。


「俺が見るに、お前らはお似合いだぜ。似合い過ぎてて寒気がする」

「……そうか? 本当に……、俺と……」


 少年が言いかけた、そのとき――。


「あ、いた」


 背後からの、ふいの麗らかな声に、明良の身はまたもビクついた。

 おもむろに振り返った先、療養室の戸口際に立っていたのは、ふたりの少女。美名とロ・ニクラ。

 室を覗き込むようにしていた美名は、ゆっくりと室内に入ってきて、明良とゲイルのもとへやってくる。つづけて、ニクラも入室してきた。


「ゲイルさん。お加減どうですか?」


 礼をしてからの開口一番、美名は病人を労わる言葉を掛けてきた。

 「大丈夫だよ」とニヤつきながら答えて、ゲイルはニクラに目をくれる。

 

「ニクラ様、面会に来てくれたのでしょうか?」

「……もう私は守衛手司じゃない。敬称も敬語も要らないよ。それと、私たちの目あてはゲイルくんじゃなくて、このが明良くんを探し回ってたどり着いたのがここだったってだけ。生憎あいにくね」

「もう、ニクラ!」

「えぇ~……。それは残念だなぁ」


 言葉とは裏腹に、明良に意味ありげな目を寄越してくるゲイル。


「私たち、これからお昼ゴハンを一緒に食べようってなったの。明良も一緒しようよ。明良も、ニクラとのいざこざ、終わりにしよう」

「『ふたりきりで』って言ってたくせに、つくづく、ややこしくしてくれるわね」


 うかがうようにいてくる美名に、毒づくニクラ。

 事態の急転にうまく追いつけていない明良は、援けを請うよう、友人に顔を向けるが、それをゲイルは勘違いしたらしい。相手は「気にするな」とニヤつきを深めた返答である。


「俺のことは気にせず、行け。行け。早く行け。これ以上あてられたら、俺は凍えて死んじまう」

「火傷なのに……、凍える?」


 首を傾げる美名の一方で、ニクラもまた、嘲笑じみた顔をしている。きっと、最前のゲイルとの会話が波導はどう術で聞かれていたに違いない、と明良は察した。


「はいはい、さっさと行きな」

「ゲイルさんも、養生してくださいね」


 雰囲気はすでに退室の流れになっていて、明良は従うよりほかなかった。「また来る」と告げて、立ち上がる。それに続けて、二色髪の少女もペコリと頭を下げた。


「……昼食といっても、俺はそんなに腹が減ってないんだが」

「私の部屋で作るらしいから、量も中身も明良くんの要望に合わせるよ。美名がさっきから、『神世かみよ』の甘味かんみが忘れられない、試しに作ってみたい、ってうるさいのよ」

「明良には隠し事をした弁明をしてもらう約束もあったからね。それと、フクシロ様からの言伝ことづてがあるわ」


 退室した彼らの姿が見えなくなり、開け放たれた戸口の外でも声が遠ざかっていき、やがて、まったく聞こえなくなると、寝台の上のゲイルは笑みを浮かべたまま、ブルリとひとつ、身震いをした。

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