焦土の新興地と褐色の少女 5

 中庭を目指しながら、明良あきらは憤然として考える。


大都だいとで軍備が整えられ、このイリサワに進軍してくるか、グンカを敵と定めて動き出すか……。どちらにしろ、どれほどの時間を要するか、俺の不足の知識では正確に読みきれない……)


 これまでも「大都の軍備」を巡ってゼダンと言い争ったことはあるが、いずれのときも、少年と大都王とのあいだには決定的な差があった。それは、ゼダンは「軍」を知っており、明良は知らないという点である。

 無理もないことではあった。魔名教会による専一統治のもと、長らく泰平たいへいだった居坂いさかでは、「軍」そのものがなくなって久しい。当然、明良には、「軍」というものがどういう性質であるか、判りようもない。

 だが、ゼダンの「歯止め」となる役目でそれではいけないと考えた少年は、王宮殿にある蔵書をあさり、知識としての「軍」や「用兵」をなんとか身に着けようとした。しかし、資料も乏しく、ここ最近は警護隊の職務もあり、学び取れたものは多くはない。依然として、千年前、自ら軍を動かした経験を持つらしいゼダンには遠く及ばないだろう。

 それでも、少年は断言できる。

 「大都に――どの都市だろうと、軍を置いてはならない」。

 文献に残る「大戦」の言葉は、たったの二文字。だが、その二文字には軍と軍が衝突した史実が内包されている。幾千、幾万のヒトが倒れた悲劇がある。「軍」と「戦争」とは不可分なのだということを、明良は学んでいた。


(ヤツのことだ。迅速に動いてくるのは間違いない。あの態度がもので、すべてヤツが仕組んだものだったとしたら、あらかじめ準備もしていたことだろう……)


 泰平の居坂に「戦争」を呼び込みうる「軍」の再誕。

 たとえ、自衛が目的だろうと、すでに正体不明の軍が存在していようと、自身のちからが及びうる限りにおいて、「軍」を許してはならない――。


猶予ゆうよはない。俺も、すぐに動かねばならん!)


 決心を固め直した少年の姿は、神学館の施工区画を抜けて、開けたところに出ていた。

 これまで歩いてきた道には、積雪の下、石畳の感触があったが、白絨毯じゅうたんがずっと続くようなこの区画に入った途端、足下が柔らかくなっている。土の地面があるのだろう。


「ここが神学館の中庭か……?」


 風雪のために視界は通りづらいが、中庭はかなり広いらしい。崩れた壁面も粉砕された煉瓦れんがも見当たらず、一面に白い景色である。

 足元を見やれば、前に進んだ足跡がいくつもあった。先行した特務隊のものだろう。

 さらに歩を進めていくと、明良の眼前、ふいに、急ごしらえらしい幕舎と、その前で立ち並ぶ人影が現れた。


「明良隊長!」


 上役うわやくの姿を見つけたアナガが、手を振り上げてくる。

 

「アナガ。イリサワの生存者は?」

「この幕のなかです。殿上てんじょうはどうされたのです?」

「……


 手下てかたちのあいだを抜け、幕舎の前に立った明良は、表幕を開けて内部なかを見る。

 決して広いとは言えない幕舎内、中央では暖石だんせき煌々こうこうと照っていた。すぐそばで当たればいいだろうに、内部にいる八人ばかりの男女は、端のほうでうずくまったり、寝そべったりしている。どのヒトも年若い様子だが、軒並みに虚脱した顔をしているため、死人が並んでいるかのようでもあった。


(昨日の今日だ。イリサワ襲撃の衝撃が、よほど強かったと見える……)


 生存者の様子をひととおり眺め渡していた明良は、足を抱えて座り込む、ひとりの少女に目を留めた。いや、

 暖石の灯りに照らされて金にも銀にも輝く、クセ毛の長い髪。他の者の生気のなさとは違って、褐色の肌にはつやがある。まぶたを薄く開いた奥、紅い瞳で光源を一心に見つめており、その様子は、薄く笑っているような表情も相まって、どこかしら危なげな雰囲気が漂っていた。

 惹かれたように目を離せない少女の姿に、明良の口からは思わず、彼のよく知る名がこぼれ落ちる――。


「美名……?」


 声を出したためか、幕の入り口にたたずんだままの少年に、少女が顔を向けて来た。

 彼女はやはり、笑っているようだった。つややかな頬に、くっきりとした

 動揺か、明良は反射的に手を離してしまった。向けられていた笑みは、垂れ幕の向こうに消えていく。


「どうかされました? 隊長」

「いや……。なんでもない」


 平静を取り戻そうと、明良は、冷える空気を大きく吸い込んだ。


(……美名じゃない。ただ、似ているというだけだ。ここに、美名がいるわけない……)


 ようやくに動悸どうきめいたものを抑え込んだ明良は、アナガたち特務隊員に向き直った。


みなも休息を取れ」

「……休息?」

「半刻ばかり、休息をとるんだ。詰めれば、この幕内でも入れるだろう。休めたあとは隊をふたつに分ける。ひとつは埋葬。もうひとつは、生存者たちを近くの村まで送りにいく」

「は、はぁ……。ですが……」


 言い淀むアナガを置いていくように、明良はふたたび、雪の景色のなかに歩み出していった。


「ちょっと、明良さん。どこ行くんですか? 休憩じゃないんですか?」


 振り返った明良は、「俺はいい」と断る。


「皆は休んでくれ。その合間に俺は、犠牲になった者たちの遺骸を探しに行く。なぜかここまでひとりも見当たらなかったのは、どこかに集められているのか……」

「いえ……。そうじゃないみたいですよ」


 そのとき、折良く風雪が弱まったため、明良の目には幕舎の奥の景色が飛び込んできた。

 それは、雪原にいくつも十字の墓標が並ぶ光景だった。


「これは……?」

「埋葬は、もう殿上がなさってたみたいですよ」

「なんだと……?」


 神学館の中庭に作られた墓園は整然としており、美しささえ感じられた。

 少しの狂いもなく等間隔に置かれ、近くまで寄らなくとも判るほど丁寧に造られた墓標。ひとりひとりに献花献灯用の台までしつらえられている。


「幕のなかの者たちが言うには、昨日一日、殿上がこの数をひとりで造ってたみたいです。魔名術でしょうかね。すごいですよね」


 延々と並ぶ十字の数は、一見するだけでも二百を超えている。

 たとえ、ゼダンの魔名術であっても、これだけ整えられた埋葬を容易にできるものではない。雪降るなか、ひとりひとりをないがしろにせず、これほどにいたみきった弔いなど、そうそうできるものではない。


「ヤ、ヤツが……、予め用意して……」


 しかし、明良の口からは、その先がどうしても出てこない。

 少年のなかで、「イリサワ壊滅」がゼダンの自作自演であったとの疑いは、雪がけるように消えていたのだった。

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