ふくよかな自奮大師と洒落者の使役大師 1

 「十卓じったく堂」の内部、入ってすぐは白い絨毯じゅうたんが敷かれた広間であった。中央には上層への上り段があり、幅広ではないが、白の中にほのかに赤みのある桜石さくらいしの造り、手摺てすりには細やかな彫金装飾と、さすがの格調の高さを窺わせる。左右には奥に伸びる回廊。窓からの陽光に浮かぶその廊下は、続く白絨毯のすみやかさも相まって、幻想の先へと誘うかのよう。

 一行はしばし、ほうと息を呑んで堂内の景色を見回した。


「上……、かな?」

「私のほうを向きながら訊かないで。こっちも初めてなんだから」

「……ごめん」


 ニクラと美名のぎこちないやりとりを見上げながら、黒いネコはふぅと、ため息を吐いた。


「……怒ってるわけじゃない。波導はどうの大師サマに聞きなよ」

「こっちだのん。リィたちは『ラ行の』で、美名ちんたちは『ワ行の座』だから」


 ニクリが先導し、一行は広間から右側の回廊へと歩みを進める。


「このお堂の真ん中に『シツギえんたく』って部屋があるのん」

「シツギ園……?」


 ニクラが「ふざけた冗談ね」と呆れ声を出した。


「教典の序段、『魔名神置まなのかみおき』って話で、主神が『神世かみよ』から『十行じっぎょう大神たいしん』を招いて酒盛りをしたって場所が『シツギ園』よ。後にも先にも、大神がすべて揃ったのが『シツギ園』だけだから、大師が集会する部屋ってことで、それになぞらえた呼称なんでしょ」

「へぇ。魔名教のお話には神様の宴会なんてものもあるのねぇ」


 燦々さんさんの回廊を歩き出してすぐ、一同はひとつの扉の前にたどり着いた。

 年季の入った木製戸で、何かしらの金属製であろうか、「聖十角形」の紋章が掲げられている。しかし、この紋章、十個の頂点のひとつ――もっとも右下の頂点と、その点から中央に伸びる線が太く、大きくしつらえられていて、ただの「聖十角形」ではない。


「ここは『ワ行の』っていう部屋だのん。『シツギ園の卓』に入る前の、ワ行劫奪こうだつ大師専用の控えの部屋。美名ちんと、美名ちんの関係だからクミちんもここから入室するのん。リィとラァは、もう一個先の、『ラ行の座』から入る決まりだのん」

「……ややこしいわね」

「こういう、意味の判らない不合理さが魔名教の悪習よ」


 「それじゃあ、またあとで」と回廊の先へ行こうとする双生の姉妹だったが、美名は彼女らを呼び止める。


「あの……、今みたいな決まりって、他にもあるんでしょうか?」

「他……?」

「その、『シツギ園の卓』に入るときの作法とか、他の大師様への挨拶の仕方とか……」


 相似の顔が揃って呆気の色を見せたすぐあと、ニクラは冷笑の顔、ニクリは満面の笑みに変わる。


「ダイジョブだのん。リィがはじめてここに来たときも、モモちんが『リィらしく入ってリィらしくすればいい』って教えてくれたのん。美名ちんもそうするといいのん!」

「は……、う、うん……」

「『座』の部屋にもう一個、扉があるはずだから、そこから入ってすぐの席が美名ちんの席だのん」

「……うん。ありがと、リィ……大師」


 意を決したかのよう、美名が「リィ」と呼んでくれたことに、ニクリはさらに笑みを深め、ついには天を仰ぎみるようにして「のん!」と素っ頓狂な歓喜の声を上げる。

 その横では、双生の姉の方も見透かすような冷笑を強めていた。


「私とやり合ったときはあんなにも強気だったくせに、君って、度胸があるんだか、ないんだか……」


 波導姉妹と別れ、「ワ行の座」に入った美名とクミ。

 室内は案外に狭く、簡素である。調度の品は綿入りの、座り心地が良さそうなひとりがけ用の椅子が二脚と、小さな座卓がひとつのみ。気になる点があるとすれば、ニクリは「もうひとつある」と言っていたのに反し、入ってきた戸のほか、部屋にはふたつの扉があった。

 入口の前で立ちすくむような美名を置いて、怖じもせずに歩み進んでいくクミ。椅子のひとつの傍まで来ると、彼女はそこに飛び乗り、身を落ち着ける。


「結構いいカンジのソファね、これ。美名もひとまず、座ったら?」

「うん」


 おくれて対面に腰を下ろした少女に向け、ネコは出し抜けに「仲良くしたいんでしょ?」と訊いた。


「仲良くって……?」

「ラァとよ。美名、ニクラともっと仲良くなりたいって思ってるんでしょ? だから、どう接すればいいのか判んないって顔、ずっとしてる」

「……そんな顔、私、してた?」

「してた、してた。もろにしてた」


 離れていた数日間、行動をともにしていた少女らの成長を間近で見てきたクミであったが、「神世かみよ」や明良あきらとの行動、司教との戦闘を経て、美名もまたひとつ、成長したんだな、と実感していた。

 それでもまだ、こんなふうに思い悩んだりもする。いじらしく、可愛らしい、とクミには微笑ましくもある。


「正直に言ってみなよ」

「正直に?」

「うん。ラァに、美名の気持ちをちゃんと。私も第一印象は最悪だったけど、あれで結構、根はいい子だってことが判ったよ。大体の減らず口は、本心のうらっ返しが出てるだけね。明良みたいなのがもうひとり、いるもんだと思いなさいな。美名が『仲良くしたい』って言えば、『君が言うなら』なんて気取りながら、内心、結構喜ぶはずよ。あの性悪ガールは」

「そうかな……? そういうものかな?」

「そういうものよ。あんな毒舌、いちいち気にして、真に受けてたらキリがないわよ」


 考えているかのよう、少し目線を宙で遊ばせてから、美名は「うん」とうなずいた。


「あとで……、言ってみる。殴ったこと、ちゃんと謝らないとなって、それもずっと気になってたから……」

「それはお互い様でしょうよ。ラァは顔腫らしただけでしょ? 髪は切るわ、骨が折れるわで美名の方がヒドかったでしょうに」

「ふふ。私はいいの」


 それから少し、軽く話を続けていると、「ワ行の座」にいる少女らの耳に鐘の音が聴こえた。尾を引くき音がまだ続くが、朝ここのつ――の刻を報せる鐘であろう。

 大師集会が始まる刻限である。


「さぁ、美名大師、誕生の瞬間がやってまいりました!」

「もう。からかわないで」


 クスクス笑いながら、ネコは椅子より跳び降りる。


「で、これ、どっちから入ればいいの?」

「こっちは……、開かないわ。鍵が掛かってるみたい」

「じゃあ、そっちかしら」


 果たして、入り口とは真向いの戸は鍵が掛かっておらず、美名らは続く間へと足を踏み入れた。


 ニクリによれば、「シツギ園の卓」。代々の十行大師らが年始の定例集会や緊急議会に際し、参集してきた由緒ある部屋。

 そこは異様な会堂であった。

 おそらくは「十角形」なのであろう、広い室内の中央でぐるり、切れ目のない卓が据えられている。卓に囲まれたかのような空間、室のもっとも中心には、背もたれのない、あまりに簡素な座椅子がひとつ。それとは別に、立ち入った美名のすぐ前、卓に添えるように腰掛け椅子があり、ニクリの言に照らせばそこが彼女の指定席なのだと知れる。

 そして、これがもっとも異様な点であるが、堂内の壁にはすべて、鏡が張られていた。堂自体も「十角形」なのだろう、角度がついて映し出される鏡像にはさらに別の鏡があり、さらにその鏡では同じように別の鏡を映しており――それが繰り返される、目のくらむような無限が「シツギ園の卓」の景色であった。

 延々えんえんと映される空間。そして、先に卓についていた者らの、背後、左右、正面、いくつもの反射姿――。


「ほっほ、お嬢ちゃん。ご機嫌うるわしゅう」


 十角の卓と中央を挟んで美名の正面、ちょこんと座る見知った顔に、美名は顔を晴れさせる。

 美名が敬愛するひとり、当代識者しきしゃ大師、ノ・タイバである。


「タイバ様、おはようございます」


 彼に目を向け、朝の挨拶を投げてから、美名は他の者を見渡した。

 まずは、少女のすぐ右手、ニクラとニクリ。大師であるニクリは椅子に座り、微笑むように美名とクミに目をくれているが、ニクラは先ほどまでとは打って変わり、神妙な様子で妹の後ろに控えて立っている。

 そして、対面。いや、真の対面はノ・タイバであるから、やや左に傾く対面には一見して垢ぬけた身なりの中年男が座する。さらにその左隣りには、ふっくらとした体格の、これも中年らしき女性。

 鏡に無限に映されるがため、ヒトの影は視界のなかにいくつもあるが、真実の世界、堂内にいるはこれで全員であった。


(私が『ワ行』で、向かいのタイバ様が『ナ行』だから、男のかたは『タ行使役しえき』で、女のかたは『サ行自奮じふん』の大師様ね……)


 不躾ぶしつけに見定めるような眼を投げてはいけないと、美名はひとまず、一歩進み出す前、その場にて深々とお辞儀した。

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