少女と少年とネコ 福城編

再会と疑心

 驚きで固まる明良あきらに、美名と――クミは彼女の肩上の乗ったまま、駆け寄ってくる。


「……明良! 元気そうでよかった!」

「髪も……あと背も、ちょっと伸びたんじゃない?!」

「あ、ああ……?」


 今の今まで、明良は殺気立っていた。

 別の部屋でもあるのか、暗渠あんきょでもあるのか、いくらか薄そうだと見立てた壁に対し、刀を振るっている最中であった。

 この室を脱する――。

 その一念のもと、「幾旅金いくたびのかね」を幾度となく打ち下ろしていたのだ。

 だが、彼のその血気は水袋に穴が開いたように一気に流れ出し、どこかに消え去ってしまった。

 刀から離した明良の片手をとり、ブンブンと上下に振る銀髪の美名。

 ランランとした色違いの双眸そうぼうで見上げてくる小さなクミ。

 彼の心に穴を開けた、ともがらたち。再会を約束して別れ、度々に思い出し、度々に勇気づけられた、少女とネコ。ふたりの姿。

 ひとしきりの驚きを終えた明良の胸中には、如何いかんとも名状しがたい想いが、声が詰まるほどに溢れる。

 しかし――。


『よケいなコとは、しャベらナイほうがイい』


 耳鳴りのような声音がその想いをさえぎる。

 明良は室内を見渡し、次いで室の入り口へと目を向けた。

 そこにはまず、ひとりの見知らぬ男。彼は整った面相に穏やかな笑みを浮かべ、自分たちを見ている。

 そして、もうひとり。男の背後に立ち、刺すような視線を寄越して来ている守衛手姿の少女――。


「きさ……」

『しゃべルなと言っテいる』


 明良が激するのを制するように、またも耳鳴り声がした。


『こっチにも目を向けないで』


(なんだ……? この、頭に直接響くような声は……!)


 命じるような語り口、初めは高低入り交じって調子の外れた気味の悪い声色だったのが、の声へと変化してきている。

 時を経て安定してきたその声音は無論、守衛手しゅえいしゅ、ロ・ニクラのもの――。


『……明良くんにだけ聴こえる、指向性の波導はどう術よ。余計なコトを喋れば、明良くんのその「よきヒト」も、「明良」の名をくれた「客人」様も、ただでは済まさないよ』

「どうかしたの、明良?」


 明良が黙り込んでしまったのと、目線を固めている様子に、美名はチラリと背後を見遣った。

 明良の目線を追った先は、牢部屋の入り口。


「ああ……、あの方たちは、魔名教会のヒトよ。名づけ師のクメン様と、守衛手司のニクラ様」


 美名は、少年が、と思ったようだった。


『私を見すぎないで。ごまかして』


(……クッ!)


 明良は目線を落とし、歯噛みする。


(クソッ! 、何とかなるかもしれんが……)


 美名たちの背後をとっているのがニクラだけなら、まだいい。

 「段」の波導はどう術者とはいえ、動力どうりき大師、去来きょらい大師ほどの脅威を感じる相手ではない。即時に距離を詰めれば、斬り倒せるやもしれない。

 そう考える明良には、しかし、隣の男――クメンが不気味である。

 美名の言葉通りであれば、「名づけ師」。「名づけ師」は「附名ふめい」の使い手、闘争用の魔名術を持たない代わりに、武芸にけている者だと明良は知っている。そして、最悪の場合は、


「ホント、どうしたの? 顔色が悪いわ」

「ってか……、何してたのよ、アンタ。こんなところで……」


 もし、あの男がニクラと通じる者であったなら?

 ニクラを打ち倒すのに専心してるに、不意を打たれれば?

 疑心の明良には、ニクラに斬りかかることも、彼女の本性を暴き立てることもできず――。


「……なんでもない」


 心中穏やかでないまま、悪辣あくらつな少女の言いつけに従わざるを得ない。


「ここでは……、その……アレだ。手ごろな壁があったから、少し『幾旅金いくたびのかね』の鍛練を……」

「鍛練て! 手ごろな壁て! 節操ないわね! 時と場所を考えなさいよ!」


 笑い飛ばすクミだったが、明良の表情が冴えきらないことに美名は気付いた。

 自分たちを邪険に思っているわけではない。一瞬だけ垣間見えた彼の青灰色の瞳の輝きは、明良が自分と同じく、再会を喜んでいることを物語っていた。

 しかし、それも今やなく、少年は目を伏せるばかり。


「明良……?」

「どうも、明良さん。はじめまして」


 戸口からやってきて、クメン師は言う。


「オ・クメンと申します。美名さんとクミさんには、大変お世話になりました……っと、これは失礼」


 優男やさおとこの附名術師は自己紹介しつつ右腕を掲げ上げたが、言葉を挟んで下ろすと、代わりに左手の甲を掲げ見せた。

 当然、明良は彼の右腕の「ふだがこい」に気付く。


(拳が……ないっ?! まさか……)


 「札囲い」――手首から先をくしている男。

 それで連想されるのは、赤髪の眼鏡がんきょうの青年――ホ・シアラ。


(声も違う、容姿も違う、体格も違う。だがヤツは、「転呼てんこ」で「波導」を使える……)


 「ラ行波導」でニクラから散々に化かされたばかりの明良には、全てが怪しく思えてくる。そして、その疑心は極まり――。


(もしや……、この美名も、クミも……)


 「幾旅金」を握る手に力を込める明良。

 だが、それと同時に、明良はもう一方の手にも強い感触を受ける。

 美名が握る手。

 彼女が、明良の左手を強く握りしめてくる。そして彼女は、真っ直ぐに明良を見つめてもいるのだった。

 その紅い瞳に映る自分自身の姿に、明良は確信する。


(いや……、美名は……美名だ!)


「……明良。俺は、明良だ」


 少年の返答に、ニッコリとするクメン師。

 明良は彼の下げられた右手をチラリと盗み見る。


(「札囲い」は右手か……。ヤツではない……とは、言い切れん。コイツは……だ?)


 疑心が晴れきらないままの明良は、またも左手に感触を得た。手のひらをなぞられるような感覚。

 美名である。美名が明良の拳を開き、自らの指を走らせているのだ。


「なに……」


 言いかけて、明良は少女の面差しにハッとした。

 息を止めるようにジッと明良を見つめ、瞬きさえしない。その真に迫る表情に、明良は目線を外すことができない。


(美名、どうしたんだ……?)


 少女は見つめてきながら、明良の手に指を走らせ続けている。


(なんだ……? 何か、のか?)


「実は、これから美名さんたちと出向くところがあるのです。明良さんにも同行頂けるとよいのですが……」

「出向くところ……?」


 顔を向け、クメン師に応じながら、明良は手のひらに感覚を集中する。美名が伝えようとしていることを判じようと、研ぎ澄ます。


(『イ』……。『刀』……いや、『九』か……?)


「はい。教主様のもとへ……」

「教主……。俺がか? 美名たちと……クメンと、ニクラと?」

「はい」


(『イ』、『九』……。『仇』……? 『てき』か!)


 ハッとして、明良は美名に目を移す。

 彼女はひとつ瞬きをして、少しだけ首を傾げた。その、問うような仕草――。


(『敵がいるのか?』といている……。察したのか、美名!)


 顔をクメン師に戻した明良は、しかし美名に目線を残したまま、大振りに頷いた。当然、美名の問いに対し「その通りだ」と返す意を込めて――。


「よかった。では、このまま向かいましょうか」


 明良の頷きを「同行に了解」と受け取ったクメン師は、顔を輝かせる。

 対照的に、明良の頷きを「敵はいる」と受け取った美名は、眉根を寄せ、訝しむような顔になる。

 そうして横目で、戸口に立つ守衛手司の様子を窺った――。

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