昏中音と居合の一閃 1

「なんでわしがこんなことを……」


 海と空、少しの白雲。点々と見える島々。

 その景色の中を横切る者が在る。

 四方が三歩分ほどの敷布の上、胡坐あぐらをかく姿。そのさまで空を駆るのは、およそ奇怪とも呼べる光景。

 焼け焦げた外套衣の残りを小さくはためかせ、陽光下に禿頭とくとうさらし、装飾指輪が騒がしい五指ごしで白髭を撫でながら、ぶつぶつと愚痴を述べている。

 当代識者しきしゃの大師、ノ・タイバである。


「生意気小僧を探し出してこい、とは……。クミ様め。儂が大勢たいせいから外れたのをいいことに、手下てかのごとく使う気でいるんじゃあるまいな?」


 タイバは左の手元に目を落とす。

 しわだらけの手中にあるは、硝子がらすのような透けるふたの中、一方向を指し続け、赤く発光する針を持つ円形の装飾物。

 「神代じんだい遺物いぶつ指針釦ししんのこう」――。 


「見る限り海しかないが、もう近いようじゃな……」


(小僧の身柄と引き換えに『神世の稼ぎ方』を聞き出し、儂も早々にトンズラすべきじゃ……)


 しばらく空を行くと、ノ・タイバは不思議な光景を見つけた。

 波風ささやかな海上、ポツンと浮かぶ――。


「なんじゃ? あれは……」


 さらに近づいたところで、タイバは空中で制止をかけた。

 「海上の黒い浮遊物」。

 彼が扱う魔名術の通り、物事に広く知見を持つ識者の大師は、その文句が示すものを思い出したのだ。


「まさか、くらくあたるおとか……?」


 高く距離を保ったまま、指針釦に目を落としながら、浮遊物を囲うように旋回する大師。

 探しビトの位置を示す針は真っ赤に光り、旋回の中心――黒い物体を指し続けている。

 近くに比較するものがないから判然としきれないものの、見る限り、「黒い浮遊物」は小さい船を覆うほどの大きさ。

 旅路の長いタイバ大師もこのアヤカムに遭遇するのは初めてであるが、「くらくあたるおとは船ごと囲われ、中の者は脱出叶わず、ただ魔名を返すのみ」――聞き及んでいた様を、今、目の当たりにしているわけである。


「明らかに……、小僧がアレに食われとる最中……か……」


 大師はコクリと喉を鳴らした。


(どうする……? 拾い出せるものなのか? アレから……)


 タイバはつやつやと真新しい杖――橋上の戦いでお気に入りを失ったため、即席でこしらえていたもの――を手に取ると、浮遊物に向け、「伸化しんか」の識者術で伸ばした。

 杖の先端が浮遊物に触れる。

 長い杖身を伝ってくるのは、手応えのない感触。少し押せば、たるんだ皮膚に埋まるように杖は呑まれる。

 しかし――。


「むぅ?!」


 長く伸びた杖をが上って来た。うごめくようでいて素早い、黒い異形。

 その様子を認めた大師は、咄嗟の判断で杖から手を離す。

 「伸化」で伸びた杖は海面に落ちるより早く、黒いに染まってしまった。


「触れると呑まれるか……。不可解極まりないの……」


 少年を囲む球から伸びた一条の黒線は、そのまま海に落ち――やがて、視認できないほどの海中へ沈んでいった。


(さて……)


 タイバ大師は心中、はかりにかける。

 小さな黒ネコがいう三億のあたい、「神世の稼ぎ方」を得るためのタネ、少年の救出か。

 三大妖さんたいようくらくあたるおとの脅威を避け、引き返すか。


(……無論、答えは判りきっておる)


 タイバ大師を乗せた布は、主人の意に沿い、くるりと回転した。


「命あっての旅路。心身確かならばこそのカネ儲けじゃ……」


 肩越しにチラリと黒玉を見下ろし、「すまんの」と呟く。


「小僧。お前様にも、魔名が響くよう」


(クミ様には「死んどった」と告げればよかろう。その頃にはくらくあたるおとも終わり、針の回転が儂の言の証左にもなる。「神世の稼ぎ方」を得る策は、帰路、また考えるとしよう。極まっても、波導はどうの娘たちの目を盗めれば、力尽くにでも……)


 帰路の方角を定めるため、海洋と空とを見渡し始めたタイバ大師は気が付いた。

 洋上、こちらにまっすぐ向かってくる影が在る。

 帆を張り、海を走る小さな船。

 押しかい式の船であろうか、ともにたち、しきりに腕を回している人影――。


大悪たいあくのあとの小善しょうぜん。どれ、向かう先は今、アヤカムで危険だと告げるくらいはしてやろうかの」


 タイバは目を凝らしつつ、船へと近づき降下していく。

 ちょうど帆布ほぬのの裏になったため、人影の正体は大師がだいぶ近づくまで、男か女か、若いか老いているかも判らなかったが――。


「むぅ。お前様は……」

「いやはや、これは識者大師……。久しいですね」


 漕ぎ手は、大師が見知った顔であった。

 長らく目にしていない間に髪は伸び、髭も無様に散らかしてはいるが、その細い眼光と、修練を積んだ武芸者特有の、隙のない佇まい――。


「生きておったか、バリ」


 行方知れずの附名ふめい大師、オ・バリであった。

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