波導の少女と風韻の魔名術 1

 美名は気が付いた。

 ロ・ニクラが自身を見てくるのは変わりないのだが――にらむようにしていた目つきが、どこか見惚れてでもいるように変わったのだ。


「……綺麗な二色にしきがみね」

「……」

「今度はその髪を切ってくれるのかな?」


 美名は「かさがたな」のつかを握る手に力を込め、ニクラに正視を返す。

 

「……投降しなさい。今、投降すれば、。何もとがめることはないと、教主様は約束してくれたわ」

「……私の話は聞く耳持たず……なんだね」


 ふっと失笑して、ニクラは肩をすくめる。


「……罪や罰をはかりに乗せても、私は上にも下にも動きはしないよ。……。そう思うから、私は……」


 言うや否や、朝の木立こだちの景色からロ・ニクラの姿が忽然こつぜんと消えた。鮮やかな色調の被服と頭髪とで森の中で目立っていた少女など、まるで、はじめからいなかったかのように――。


「……波導はどう術、『曲光きょくこう』……?」


 「ラ行・曲光きょくこう」。

 「光を曲げる」ことができる高位の術で、波導の魔名を持たない者にも遠くの景色を見せてやることができる、「遠望えんぼう」の使用法がよく知られている。

 ニクラはこの術に精通しているようで、「姿を実体と違って見せる」使い方をしていたと、明良あきらから聞いている。この「ニクラの消失」も「曲光」を巧みに利用して、「周囲の景色に姿を溶け込ませた」のだと、美名はすぐに察した。


「逃がさないわ!」


 今朝交わした、モモノ大師とのやりとりを美名は思い出す――。


 *


「姿を消す、足音を消す……。戦争の時代、光と音の波を操る波導術者は、だった。けどねえ、美名嬢。小娘と美名嬢とでは、経験の開きが大きい」

「経験ですか……?」

「ああ。小娘の経歴はあらかた知ってるがね。ヤツの実戦経験はせいぜい、魔名教学館での教練と、治安が良好な福城ふくしろの、退守衛手の仕事だろうよ。まぁ、それだけの経歴でも怪物みたいなはいることはいるんだが、小娘はじゃぁない。一方の美名嬢は、野を駆け、山を越し、アヤカムと野盗を相手に日々、命のやりとりをしてる」

「……居坂の旅はそこまで危険じゃないですけど……」

「そういうことにしときな。謙遜ばかりじゃいけない。自信を持つことは度胸が据わって、ちからに繋がる。ともかくも、小娘を見つけ出すときや逃げ出したとき、『指針釦ししんのこう』をのんびり読み解いていたら機を失することもあろうさ。遺物に頼り過ぎず、美名嬢は美名嬢の経験に照らし合わせて、周りに注意を払うんだよ」

「私の経験……」

「波導の密偵は、去来きょらい高段術者のように、綺麗さっぱり消えて失くなるわけじゃない。見えない、聴こえないってだけで、。美名嬢ならきっと、それを看破できるさ」

「……モモねえ様は加勢に来てくれないのですか?」

「……アタシはちょっと、野暮用があってねぇ……」


 *


(注意を払う……。感覚を研ぎ澄ます!)


 少女は目を凝らし、耳を澄ませ、鼻を利かす。


(……ただの林……)


 緑の景色。

 木立の中。

 風が少し流れている。

 美名の全感覚は今、首から上に集中していた――。


(ニクラを見失った……? ……いえ!)


 美名の鼻孔をくすぐる、かすかな兆し――。


(……枝が折れた香りがする……。土が蹴り上げられた匂いがする……。!)


 美名は風上に目を向ける。

 木々の合間に見える、やぶくさの茂み。

 二十歩以上先のその中に、があることを美名の目は捉えた。――。


「そこね、ニクラ!」


 二色髪の少女は「かさがたな」を抜くと、草藪に向かって駆け出した。

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