寒日の馬車と蟲 2

 ヤヨイのほかに悪道の使役しえき者が潜伏している可能性――。


 魔名段を降ろしたことでヤヨイを解放することはできたが、もし、すでにこの場にいないほかの仲間に操りの罠にかけられていたとしたら。バリの魔名降ろしがそちらの解放にまで至っていなかったら。そうでなくとも、直後にはふたたび魔名段を昇らせ、操狗そうく術を使えるようになっていたら――。

 これらの事態を想定してしまうと、軽々けいけいに連絡を取ることができなかった。伝えてしまえば、「相双紙そうぞうし」の向こうにおいて、同様の「むしき」騒動を引き起こすことになりかねないからだ。

 目下のところの対抗手段、「魔名降ろし」を行使できるのはア行附名ふめいの大師、オ・バリのみ。遠く離れた地にあっては解決に乗り出すことも難しい。

 ゆえに少女らは、の連絡を待った。

 相手方からレイドログの使役術について言及があれば、おそらく、その相手の近辺では危惧するような事態になっている可能性は低い。仮に、レイドログが付近に潜んでいれば、正体を暴露されることを防ぐため、口外されるのを黙って見過すはずがないと考えられるからである。


 だが、美名が読み進めていた「新しい連絡」は、待ち望んでいた内容ではなかったらしい――。


「……では、フクシロたちは、なにを伝えてきた?」


(せめて、直接筆をとっているはずのフクシロとクミ……。彼女らが操られていないと判れば、どうにか連絡のしようもあるが……)


 少年の問いに「うん」と答えた美名は、右手の紙片に目を落とす。


「フクシロ様のほうの大きな内容は、小豊囲こといやラプトで消えたヒトたちを探すのに、魔名教会を上げて捜索団を結成するって話。それと、三十年前のオンジの事件について、教会内の資料や古株のヒトをあたって調べだしたって……。あとは、『私たちのほうはどうか』って、『無事か?』って気遣ってくれてたわ」

「美名は、その相手、フクシロ自身に間違いないと思うか? 使役されていると思うか?」


 美名は、力無く首を振った。


「この手紙……、筆使いや言葉の選びがいつもと同じだし、間違いないとは思うけど、ヤヨイさんもずっと……、ついさっきまではだった。本当にいつものヤヨイさんで、何の疑いも持たなくて、私も、バリ様が見抜いた殺気のこと、気付きもしなかった。だから……、『間違いない』って断言できない……」


 気落ちするように少しおもてを下げた少女に、明良は、「判った」と慰めるような言葉をかける。


「まだ様子を見よう。諸々もろもろを報せたいのはもちろんだが……」


 彼女の左手の「相双紙」に目をやりながら、明良が「クミは?」と訊ねる。


「クミは……、福城ふくしろに入った盗賊の追跡状況を伝えてくれてる。タイバ様といっしょになって探してるけど、それが思ったよりも難航してるみたい」

「……難航? 『指針釦ししんのこう』を使っているのだろう?」

「なんだか、針が振れて頼りにできなくて、色味の変化だけで探してるみたいだよ」

「……クソ。シアラのせいか」


 明良は、過去に「使役者と劫奪者」を追っていた際、「指針釦」の針がグルグルと回転するだけで使い物にならなかったことを思い出し、歯噛みした。

 のちに、「発光色味は変化するが針が回転して定まらない」状態は、対象が「ハ行去来きょらい何処いずこか」に身を隠している場合に起こる現象だということが判っている。

 シアラ当人か、あるいは別の者か。

 いずれにせよ、賊徒は「何処か」にいると考えられた。


「それと……、『遡逆そぎゃく』についても、クミの予想らしいんだけど書いてある」

「遡逆? シアラが探し求めているようだという、アレか?」

「うん。それをクミは、『過去をやり直せる術』なんじゃないかって予想してるみたい。あのヒトたちはどうにかしてその術を手に入れて、それで故郷の町……オンジで起きた大火事をやり直そうとしてるんじゃないか。この一連の騒動も、目的はそこにあるんじゃないかって」

「『過去をやり直す』……。うぅむ……、よく判らんな」

「私も。どういうコトなんだろ……」


 揃って首をひねる少女らに先んじ、「なるほど」と声を上げたのは、馬を御したまま、横顔を見せてきたバリである。


「いつぞや、明良くんに言われた言葉じゃないが、シアラくんは、神になろうとでもしているのかもね」

「ヒトが、神様に……。それは、どういうことですか、バリ様?」

「『主神はヒトが住まう村里の度々の災難に憐れみ、その御手みてを振り、神剣を振り、幾度も救われた』。教典の一節、『遡逆そぎゃく救済きゅうさい』の記述だ。主神ンが遡逆術の使い手で、『過去をやり直せた』のだとしたら、教会史のなか、通りいっぺんの解釈しかされなかったこの記述が、別の意味を帯びてくるようだ」

「別の意味……?」

「主神ンは、いくつかの村で起きた災難を個々に救ったわけでなく、使……。どの行にも属さない五十音の最後の音、『ン』は、実は、遡逆という独立した魔名行だった。そんなところかな」

「……いわば、『ン行遡逆』か……」

「それって……、たとえば、今度のグンカ様の『むしき』が起きないよう……、かのよう、遡逆術を使うと可能になる……。それでオンジの災難もやり直して、過去に起きたことを変えようってことですか……?」


 問いかけるも、バリは答えない。

 少女もそれ以上訊ねることはせず、荷馬車の一行には沈黙が落ちた。


 「遡逆」による「やり直し」――。

 少し考えただけでも不可解極まる法術であり、美名たちにとっては、全容を推し量ることさえかなわない。

 だがひとつ、沈黙のなかでそれぞれがすぐに悟ったのは、遡逆術がはらむ危険性――「過去をやり直す術」が悪用されたとしたら。

 遡逆を手に入れた者は、神のごとき絶対性により、意のまま、思いのまま、居坂いさか蹂躙じゅうりんせしめるのではないか。それに抗うすべ、対抗手段は存在しうるのだろうか――。


「……修得については?」


 沈黙を破り、少年が声を絞り出す。


「クミは、遡逆の修得方法についても書いてはいないのか? それを阻止する手立てや、何か……」


 美名は、首を振って答える。


「クミも判らないみたい。別に、居坂の伝承や伝説に詳しそうなヒトがタイバ様の知り合いにいて、アサカってヒトらしいんだけど、今はどこにいるか知れなくて、もしも私たちの誰かが居場所を知ってたら教えてほしいって……」


 言っている最中、美名は、少年の目が宙を泳ぎだしたことに気が付いた。

 呆然として、「アサカ」や「ムシ」などと、小さく、うわごとのように繰り返している。


「……どうしたの、明良?」

「ムシ……。虫……。そうか。ここは大都の大陸だった……。俺は、間抜けていたか?」


 焦点を取り戻した青灰せいはいの瞳が、少女を見つめる。

 美名が少しばかり身を引いてしまうほど、真っ直ぐに――。


「遡逆やグンカ師のこと……、一挙に解決できるかもしれん!」


 途端に勢いづき、詰め寄ってきた明良。

 美名は呆気にとられ、パチクリと瞬きを繰り返すのだった。

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