気丈な他奮大師と誠心の劫奪大師 4

 思わずだろう、後ろでヤヨイが何か言いたげにしたが、ハマダリンから剣呑けんのんな目を向けられてしまい、大師の弟子は萎縮いしゅくして黙ってしまう。

 美名もまた、辞去じきょを勧められたことに言葉を詰まらせていると、目を戻したハマダリンが「言い方が悪かったな」と笑いかけてきた。


劫奪こうだつを悪く考えているわけではない。ヤヨイから聞くかぎり、君はともがらのために働ける子だ。十行じっぎょう大師たいしとしても先々が楽しみな後輩を、みすみす、判りきった危険にさらしたくないから言っているんだ。こうして会ってみても、その感がいっそう強まったよ」


 ハマダリンは片方の手のひらを美名へと差し伸べてくる。

 いったい何の仕草かと戸惑う少女だったが、大師からは「乗せてくれ」との求めがあり、美名は自身の平手を重ねた。続けて、クミも請われて、その小さな前肢まえあしを乗せる。


「……温かいな」


 触れる手が不自然にすじ張っていることを、少女は痛々しく思った。長らくの闘病のため、肉付きが落ちているのだろう。ヤ行他奮たふんの筆頭のわびしい平手は、かすかに震えてもいるようだった。


「私が君たちから受け取るのは、この温かさだけで充分だ。この部屋を出たら全てを忘れ、スピンにも何も言わず、君たちの旅路を行くといい。この柔らかな手と愛くるしいあしは、他の輩のために役立ててほしい」


 温かいというなら、少女が触れる手も温かい。

 骨張っていても、震えていても、微かであっても、その手には確かな温かさが在る。血が通っている。

 だが、温かなこの手の持ち主は、今、死にかけている――。


「帰りません」


 離れかけた手を強く握って、美名は首を振った。


「見てください」


 少女は背後を振り返り、見守っていたヤヨイとルマに目を配る。


「ヤヨイさんもルマさんも、大師様をすごく心配してます」


 向き直って美名は、大師の濃黒のうこくの瞳を見つめる。


「トキおばあちゃんも『リン様を長く見てない』って寂しがってました」

「……そうだな。『悠夕ゆうゆう書架しょか』にも、久しく顔を出していない」

「セレノアスールのヒトたちだけじゃありません。事情を知らないフクシロ様も、大師様に会えることを願ってます。だから私はこの町に来たんです」


 美名はネコの手ごと、ハマダリンの手を両手で包みこむ。大師の魂ごと掴んで、決して離しはしない――それほどに強く、握り込む。


「お会いする前から、私の心は決まっておりました。大師様の援けになることを決めて、ここに参りました。私ではやりきれないかもしれません。危険も承知です。でも私は、私の心に背きたくない。お世話になったトキおばあちゃん、ヤヨイさん、ルマさん。大師様を心配するヒトたちのちからになりたい。なにより、貴女あなたの力になりたいんです。ハマダリン様にお会いできて、私の決心こそ、よりいっそう強まったんです」


 少女の真っ直ぐな視線を受けて、大師の目の色が変わる。それこそ叱りつけるかのよう、厳しい色がにじむ。

 それでも美名は、決して目をらさない。


「……君は、自分の魔名に懸け、私を援けてくれるというのだね?」

「はい」

「君の旅路を懸けてくれる、と?」

「はい」

「今夜、初めて会ったばかりの……、ヤ行の大師のくせに、自らの病さえ克服できない不肖ふしょう者のため、ワ行を施してくれるのだね?」


 少女は大きく、「はい」と頷く。


「不肖などではありません。ハマダリン様は素敵な大師様です」


 無言のまま、少女と長く見つめ合うと、ハマダリンはネコにも目を向けた。

 クミもまた、赤青あかあお双眸そうぼうを大きく見開いて返す。


神世かみよからの使いも決心は同じだろうか?」


 ネコは即座に、「はい」と頷く。


 ハマダリンは、二、三の瞬きをしてから、ゆっくりと天を仰いだ。みなの視線を一身いっしんに受け、天へ流し飛ばすかのよう、天井をじっと見上げた。

 その所作は、神々に祈るがためではない。ましてや、天井に施された飾り彫りを眺めるためでもない。

 ハマダリンのまなじりからあふれ出たしずく

 気丈な大師はこれをこらえたかった。堪えきれず、ひと粒だけ流し落としてしまった。

 美名もクミも、ヤヨイもルマも、何も言わずにただ見守る――。


 それから少し経って、ハマダリンは「オーケイ」と、小さな声を絞り出す。


「ならば、何も言うことはない」


 大師は仰ぎ見るのを止め、少女へ顔を戻す。

 ハマダリンの相貌そうぼうに、落涙の余韻よいんはすでにない。


「ここまで覚悟を決めた十行じっぎょう大師たいしを手ぶらで帰らせてしまえば、私にとっては、これ以上ない恥になる。マニィとモモノ師にのは、先々のたのしみにしよう」


 口元を緩めて、大師はたおやかに笑う。

 そういえば、と美名は、フクシロから聞き及んでいたことを思い出した。ハマダリンと先代の魔名教教主――フクシロの実母マアニンとは、親しい間柄であったということを。


「ヨ・ハマダリンは、美名劫奪大師の援けを借りる。いいのだね?」

「はい」

「オーケイ。……だが、より万全を図ろう」

「万全……?」


 大師は首を傾げる少女の向こうに目をやって、「ヤヨイ」と呼び掛けた。


「お前の浅い考えでは危うさが残る。私を過大に見すぎだ。ヤ行の術者を集めろ」

「は……、はい! え? あ、はい!」


 歯切れの悪いヤヨイの返答に、眉をひそめるハマダリン。


「集められるだけ集めろ、多くの他奮術者を。『治癒力強化』が使えれば段位は一切問わない。美名が私の病を引き取ってくれたあとは、私だけでなく、セレノアスールの全力でもって他奮術を施すんだ」

「ですが、事情を知るヤ行他奮の者は、そう多くは……」


 「バカ者め」と、怒声が飛ぶ。

 すぐ傍にいた美名とクミの身が、思わずびくりと跳ねるほど、病人らしからぬ大声と気迫だった。


「知ろうが知るまいが、すべての術者だ」


 小さく「コホン」とき込んだあと、ハマダリンは大きく息をく。


「いっそのこと、『伝声でんせい』でおおやけにしてしまえ。そうして、セレノアスール中からヤ行をつのるんだ」

「そ、それは……」


 たじろぐヤヨイに、「早くしろ」ともう一喝。

 それで緑髪の少年と執務部長は、急いで室を出て行った。

 深く息を吸い、呼吸を整えてから、ハマダリンは手を繋いだままの少女に顔を戻す。


「美名、施術せじゅつ明朝みょうちょうからにしよう。君は寝た方がいい」

「ね、寝る……、ですか?」


 小さく頷くハマダリン。


「君には今、睡眠不足の面相めんそうが出ている。それに比べると、心気しんきはやりすぎてもいるようだ。気を張ったあとの疲労と睡魔は、思わぬところで一気に来る」


 大師の見破りはそのとおりで、美名は昨夜、「よきヒト」の安否が気に掛かってろくに寝れていない。見透かされたようで、少女は少しだけ頬を赤らめた。


「君も大師の身の上ならば、魔名術に集中が肝要だとは知っているだろう? 寝るんだ。寝て、心身を整えてからにしよう。私も少し眠らせてもらう」

「は、はい」


 頷く少女に、ハマダリン大師は微笑で返す。


 気丈で厳格。端正な聡明さ。十行じっぎょう大師たいしの先輩として、畏敬いけいすべき女傑じょけつ

 このヒトを死なせはしない。

 美名は心のうちで、固く誓った。

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