附名の意義と少女の魔名 2

「いったい、どれだけ高尚こうしょうなものでしょうか。ヒトの魔名を定めるだけ定めて、あとの責任は知らないとばかりに、各地を旅して回る。それが附名ふめいの到達点、『名づけ師』……。高慢こうまんでさえあると……思っていたのです……」


 ぽつりぽつりと、「内証ないしょう室」の石床いしゆかに向かって、したたり落ちるような附名術者の独白。

 美名はただ、哀し気な彼女の手を握り続けている。


「……だから、魔名を否定する『一文字いちもんじの会』に私は傾倒けいとうしました。魔名に囚われない新しい居坂いさかの到来に期待したのです。ですが……『解放党』になってからは、会の……党の雰囲気も怖ろし気になって、少しずつ私も……、懐疑的になっていました」


 室内のメルララ以外の者は、お互いに目を配せあう。

 「正体を隠したロ・ニクラが強権をふるって以降、『一文字の会』は急進的な『魔名解放党』に変貌した」――明良あきらの言うとおりであった。


「……罪逃れのつもりではないのですが、もう私は『解放党』をけるつもりでいました。『烽火ほうか』には参加しないつもりで、時機を見計らっていたところなのです」

「それは……何故なぜなんです? 何故、脱けようと……」


 クメン師の問いに、顔を上げるメルララ。

 この短時間で、彼女の瞳は憐れにも真っ赤に染まっていた。


「……ついていけなくなったというのもあるのですが、決定的だったのは……昨日。美名様に『命名めいめい』の術がけをしたことです」

「私の……?」


 メルララは小さく頷く。


「……『劫奪こうだつ』の光を目の当たりにして私は、あなたの手を振り払ってしまいました。そのときの……あなたの瞳の光。私を真っ直ぐに見つめる瞳……。『ワ行』の魔名を明かされ、私に拒まれ、潤んでいくあなたの目を見たとき、私は気付いたのです。私自身がいつのまにか、高慢になっていたこと……」

「そんなこと……」

「いえ……、いえ!」


 美名の言葉に、自責する附名術者は強く首を振った。


「私はあなたを拒否した! 振り払った! 『名づけ師』なんて無責任だと見下しておいて、純粋に魔名を求めるともがらを……無下むげにした! 私は、私自身で、そのことにひどく……打ちのめされたのです……」


 沈黙が落ちた。

 項垂うなだれるメルララが鼻をすする音だけが部屋に響く。


「……今日、福城ふくしろつつもりでした……。その準備の間にクメン様に呼び出されて、最後にひとこと、美名様に謝ることができるかもと、やって来たのです……」

「発って、どうされるおつもりだったのですか……?」

「郷里に……もどって……」


 後に言葉が続かないことに、室の誰もが、メルララの苦悩の深さを知った。

 教主フクシロは呼吸を止め、名づけ師クメンは瞑目めいもくし、黒ネコのクミは深く静かに息をき、銀髪の美名は落涙らくるいした。

 その涙の粒が、メルララと美名が握る手の上でぽたりと跳ねる――。


「……私は、それでも……、メルララ様に『名づけ』ていただきたいのです……」


 震える声で美名は、握る手に力を込めた。


「こんなにも真摯しんしに私のことを想ってくれた『名づけ師』様に、『名づけ』ていただきたいのです……。『名づけ』てくれたのがメルララ様だったからこそ、私の旅路はこんなに幸福なのだと、思いたいのです……」

「美名様……」

「どうぞ……、どうか……、メルララ様……」


 懇願するように首を垂れ、しとしとと床を濡らす少女の姿に、メルララの心はふたたび打ちひしがれる。

 しかし、今度の感慨は自身に対する失望ではない。少女に対する希望である。


「メルララさん……」


 目を開いたクメン師が、後輩の名を呼ぶ。


「実は……わたくしも、以前は同じように考えておりました……」

「クメン様も……、私と……?」


 「はい」と青年は、照れくさそうに頷いた。


「『名づけ』の仕組み……。ともがらには明かされない、『才覚をてからの属性名の決定』……。決して神の御業みわざなどではない、人為的な魔名の宣託せんたく……。それを知ったとき、わたくしの心は大きく揺さぶられました。『附名とは神をかたった不敬の魔名ではないか?』と……」

「それは……私と……」


 「同じです」と、金髪のクメン師は微笑む。


「……その問いから逃れるため、わたくしの場合は、『名づけ師』としての旅路を急ぎました。まだ力量も充分でないまま、師に迫り、新任の『名づけ師』として福城を出たのです……。居坂いさかを回って『名づけ』の実情に触れれば、よもやその答えがあるのではないかと……」

「……答えは……あったのですか?」

「……判りません」

「……」


 目をしばたたかせるメルララに、クメン師はふたたび微笑みかける。


「……まだ、『コレ』といった答えは見つからないまま、わたくしの『名づけ師』としての旅路は……、この通り、閉じました」


 クメン師は「ふだがこい」をした右腕を示し上げる。

 「ア行・命名」に両手が必要なことは、メルララはもちろんのこと、場にいる全員が承知している。


「……ですが、答えに近しいものは、掴んでいたような気がします」

「近しいもの……?」

「……『名づけ師』のはじめの頃に名づけた子がいる村を、二年後に訪ねたことがあります。その子は四つになっておりました。『名づけ』を為したのは二つの頃ですから、もちろん、わたくしのことなど覚えておりません。親御さまに『あなたのオ様よ』と紹介されても、母親の陰に隠れて、その男児だんじは照れてばかりいました」


 クメン師は思い出を映すかのように、「内証ないしょう」の部屋で遠い目をする。


「……彼は、家族の稼業である畑作業を、刈り取り後の麦穂を運ぶ仕事を、小さな体で手伝っていました。微々たる効果でしたが、『サ行自奮じふん』で、自らの体力を向上させて……」

「クメン様が……授けた魔名が、『自奮』なのね……」

「はい。……ですが、わたくしが視た限り、彼の才覚は『タ行』のほうが上回っていたのです。そして、少し劣るものの、充分に彼のたすけとなってくれそうな、『自奮の光』も視ました……」


 美名は昨日、クメン師から「才覚の光」の色を教えてもらっている。

 クメン師が見つめる石壁に、強く光る緑――「使役しえき」の光と、同じように光る黄色――「自奮」の光が瞬いているかのように、彼女も感じた。


「……わたくしは、父親と同じ魔名がよいかもしれないと、『サ行自奮』を授けたのです。しかし、村を出てから、あとで何度もそれが気になって……。『傲慢な判断』だったのではないかと、悩んで……。怖れていたのです。彼は『自奮』を憂いてはいないか。私の判断は間違っていたのではないか……」


 「ですが」と、元・名づけ師は面々に向き直る。向けられた彼の表情は、とても晴れやかだった。


「……無用な苦悩でした。おさ土埃つちぼこりまみれながら、おおいに笑って、おおいに父をたすけていたのです。自らの魔名を高らかに響かせて……」


 一同の脳裏に思い浮かぶ、少年の姿。

 腕一杯に麦穂を抱えて父の後についていく、小さな男の子の幻。


「ヒトは強いものです。わたくしたちの苦悩など必要なく、たくましく生きていけるものです。どんな魔名だろうが、あるいは、魔名を持たなくとも……」


 クメン師はちらりと、美名を見る。クミを見る。

 魔名がなくともよき旅路を歩んできた、ともがらたち――。

 

「……『名づけ師』は、ただその時、その者に相応しい魔名を授けられるか、ただその一事にのみ、苦心するべきなのです。傍目には『無責任』に見えるかもしれません。ですが、『名づけし子』のよき旅路を願って、ただ、魔名を渡す。それに尽きるのです。それ以上どうにかしようということこそ、『傲慢』なのです」

「……それが……クメン様の答え……?」

「はい」


 美名は、クメン師と似たような言葉を思い出していた。


(「その時の全力を尽くしたかどうか」……)


 幻燈げんとう大師モモノの言葉だった。

 港町ヘヤの、教区館。大師の執務室。クシャの惨劇のため、無力に打ちひしがれていた美名の問いに、不埒ふらちな大師が説いた言葉だった。


(クメン様も……モモ姉様と同じに……)


 美名の心が温まっていく。何かを許されたような、安堵あんどを感じる。

 すぐ目の前のメルララの表情を見て、彼女もきっとそうなのだと、美名は思う。


「……メルララさん。その答えが間違っていないか、確かめてみませんか? 『名づけ師』と成って、不肖ふしょうわたくしの代わりにその答えの真偽を確かめて……、あるいは、あなた自身の答えを……見つけ出してはみませんか?」


 美名とメルララ。

 彼女たちが握りあう手に今度は、うつむいたメルララからしずくが降ってきた。いくつも、いくつも――。

 やがて、ひときわ大きな涙粒と一緒に、「はい」と小さな返事も落ちてきて、この石造りの室で、ひとりの「名づけ師」が生まれたのだった。

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