客人のネコと悪逆の去来大師 2

「シアラ大師は、天咲あまさきの塔で私たちを助けてくれたじゃないですか……」


 ニクリが抱擁ほうようを緩めてくれたので、クミは、トンと地面に降り立った。

 パチリと電流が走る壁越し、色違いの両目で相手を見据える。

 

「あのとき、キョライさんがいてくれなかったら、私なんか、あの大樹たいじゅにやられちゃってた……。リィもラァもフクシロさまも、どうにかなってたかもしれない。私、シアラ大師がホントのホントに極悪人かって言われたら、違うんじゃないかって思うんです。レイドログ大師はちょっと判んないけど、あなたなら……、もしかしてあなたなら、ちゃんと話せば判ってくれる。あのとき、天咲塔でみんなで話してたみたいに……。そういうふうに思うんです……」


 言いながらクミは、涙ぐむようになっていた。

 シアラのあの右頬は、明良あきらが傷付けたものだ。ふだがこいの左手も。そう聞いている。明良が悪いと思うわけではない。痛々しさに憐れんでいるのでもない。

 だがなぜか、その傷付いた立ち姿に涙が零れ落ちそうになるのだ。


「きっと、明良にしたことも、クシャにしたことも、今、いろんな……、たくさんのヒトにしていることも、そうしなきゃならない……。そうせずにはいられなかった理由がある。そうでしょう?」


 「そうだのん」と声を震わせるのは、ニクリ。


「キョライさんにはいっぱい助けられたのん。リィはそれで、クミちんやラァやシロサマと、もっと仲良くなれたと思ってるのん! ベリルちんやヨツホにしたことも謝って、すごく謝ってごめんってすれば、取り返しがつかないなんてこと、ゼッタイにないのん!」


 見上げれば、ニクリも少し涙ぐんでいる様子。

 少女も頑張ってくれているのだと思うと勇気が出て、ネコは「うん」と大きく相槌をうつ。

 

「今度はリィたちが……、シアラちんを助ける番だのん」

「……そう。罪を償って、もしまだ生きているヒトがいるなら、そのヒトたちも解放して……。そうしてくれるなら、私たちはきっと、いくらでもシアラ大師の力になります。なってみせます。だからもう……、お願いです……」


 ネコの言葉が、そこで途切れた。

 海からの寒風かんぷうがぴゅうとひとつ、三者のあいだに吹き抜けていく。


神世かみよに……、『物語』はありますか?」

「『物語』……?」

「ええ。神話でも英雄たんでも、征伐記でも……。物語と呼べるものが神世にはありますか?」


 いったい何の話をしているのか、クミは黙ったままだが、もとより答えは必要ないとでも言うように続けられていく。


「物語とは別意識の追体験と呼べましょう。自己を離れ、他に染まる、素晴らしい幻想です。だが、そんな物語にも少なからず、盛り下げてしまう要素がある」

「盛り下げる……要素……?」

「ええ。せっかく期待して読み進めていっても、この要素がイヤというほど埋め込まれていて、そんなとき、私は静かに本を閉じるのです。以降、その物語は私のなかでは陳腐。読む価値のないもの。続きを追う気にもなれません」


 シアラは眼鏡がんきょうを外すと、取り出した拭き布で硝子がらすを磨きはじめる。

 曇りひとつないように見えてはいたが、さきほどの土煙でいくらか汚れたのだろう、拭き布はべったりと土色に染まった。


「物語を盛り下げるもの。その要素とは、『敵対者の擁護』です」

「擁護……って、どういう意味……?」

「『この行為に至ったのには理由がある』、『こういう悲劇があったため、悪逆に走った』……。敵対者の過去や経緯いきさつがふいに語られ出す……。罪の重さをなんとか軽減せしめよう。言い逃れとしか思えない駄文に章節が割かれ始めるのです。そこに創作者の思惑が見え透いて、怖気おぞけが走ります」

「な……」

「敵対者は、ただ純粋に敵であればよい。克服すべき障害であればよいのです。過去や経緯などといったものは、まったくの不要」


 去来きょらいの大師は、拭き終えた眼鏡をかけ直す。

 見通すことができるようになった相手の眼。

 その瞳は、荒れる東大洋とうたいようの海より深く、暗い――。


「おふたりは、残念ながら、私の物語を阻む敵でしかありません」


 一切の拒否。

 クミは、目の前に高い壁を突きつけられたように感じた。門をくぐることも、上り越すことも許さない絶壁。

 それでも、そこに亀裂ひとつでも入れられないものか――ネコの小さな口をいて出てきたのは、「エマエマ」――三十年前の少女の名だった。


「……その魔名を……、どうして?」


 シアラの顔色が変わった。

 目をみはり、はじめて当惑の色を見せた。

 クミは、これしかない、と意を決する。

 

「シアラ大師とレイドログ大師の目的は……、エマエマさんですよね? 『三人の少女』が関係してますよね?」

「トジロ師が話しましたか……」

「そうです。私たちは、物語の登場人物なんかじゃない。あなたも私も、生きてるヒトでしょう? それぞれの過去があって、それぞれの行動に理由があるんです。駄文なんかじゃない。陳腐なんかじゃない! 閉じて終わりだなんて、そんなこと、しちゃいけない!」


 小さなネコは、「雷電らいでんの遮り」のギリギリまで寄っていく。

 パチパチと鳴る薄壁の向こう、相手に届けとばかり――。


「シアラ大師がどういうつもりでこんなコトになってるのか。復讐なのか、生き返らせようとしてるのか、『遡逆そぎゃく』の術でやり直そうとしてるのか……。判らないけど……、判りませんけど! そのためにもっと多くの、もっとヒドい犠牲があってもいいなんて、ゼッタイ、間違ってますよ! そんなコト、エマエマさんたちが喜ぶはずない!」

 

 罵倒じみた連続にただ唖然としていたシアラだったが、ふと、壊れたように、笑い出した。どこにそんなきっかけがあったものか、腹を抱えんばかりの大笑いである。

 あまりに異様な反応。

 クミもニクリも困惑するしかない。

 

「シアラ大師……?」

「いえ、あぁ……。すみません。光が差したものですから」

「光……?」

「読みたくもない教典を読み込み、書物を漁り、やっとの思いで仮説を立て、これならばと求めてきた『遡逆』の効能、主神の御業みわざ……。いささか疑問が残ってはいましたが、客人まろうどのクミさんが言及するのなら間違いない……。『遡逆』は、『回帰の術』は実在する!」


 今度は、クミらが唖然とする番であった。

 叫び、訴えたことが、ひとつも届いていない。相手は、まったく別の言葉に関心を寄せただけだった。


「説得などより、もっと現実的な手段を提案しましょう」


 そう言うと、おもむろに平手を振るシアラ。

 反応して身構えたふたりだったが、何かの攻撃だった気配はなく、術者のとなりに暗闇がひとつ、浮かんだだけである。

 「去来の何処いずこか」――その深淵より現れ出でるのは、大きな鏡。

 当惑するクミとニクリだが、その鏡に見覚えがあること、すぐに気づいた。


「天咲にあった鏡だのん……?」

「ど、どうして、あれをシアラ大師が……?」


 装飾の乏しい、簡素な造りの大鏡。

 何の変哲もない姿見すがたみではあるが、ひとつ、客人まろうどがその前に立ったとき、特別な効力が発揮される――。


「まさか……」

「クミさん。もう一度、『変理へんり』を為し遂げてください」

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