客人のネコと悪逆の去来大師 2
「シアラ大師は、
ニクリが
パチリと電流が走る壁越し、色違いの両目で相手を見据える。
「あのとき、キョライさんがいてくれなかったら、私なんか、あの
言いながらクミは、涙ぐむようになっていた。
シアラのあの右頬は、
だがなぜか、その傷付いた立ち姿に涙が零れ落ちそうになるのだ。
「きっと、明良にしたことも、クシャにしたことも、今、いろんな……、たくさんのヒトにしていることも、そうしなきゃならない……。そうせずにはいられなかった理由がある。そうでしょう?」
「そうだのん」と声を震わせるのは、ニクリ。
「キョライさんにはいっぱい助けられたのん。リィはそれで、クミちんやラァやシロサマと、もっと仲良くなれたと思ってるのん! ベリルちんやヨツホにしたことも謝って、すごく謝ってごめんってすれば、取り返しがつかないなんてこと、ゼッタイにないのん!」
見上げれば、ニクリも少し涙ぐんでいる様子。
少女も頑張ってくれているのだと思うと勇気が出て、ネコは「うん」と大きく相槌をうつ。
「今度はリィたちが……、シアラちんを助ける番だのん」
「……そう。罪を償って、もしまだ生きているヒトがいるなら、そのヒトたちも解放して……。そうしてくれるなら、私たちはきっと、いくらでもシアラ大師の力になります。なってみせます。だからもう……、お願いです……」
ネコの言葉が、そこで途切れた。
海からの
「
「『物語』……?」
「ええ。神話でも英雄
いったい何の話をしているのか、クミは黙ったままだが、もとより答えは必要ないとでも言うように続けられていく。
「物語とは別意識の追体験と呼べましょう。自己を離れ、他に染まる、素晴らしい幻想です。だが、そんな物語にも少なからず、盛り下げてしまう要素がある」
「盛り下げる……要素……?」
「ええ。せっかく期待して読み進めていっても、この要素がイヤというほど埋め込まれていて、そんなとき、私は静かに本を閉じるのです。以降、その物語は私のなかでは陳腐。読む価値のないもの。続きを追う気にもなれません」
シアラは
曇りひとつないように見えてはいたが、さきほどの土煙でいくらか汚れたのだろう、拭き布はべったりと土色に染まった。
「物語を盛り下げるもの。その要素とは、『敵対者の擁護』です」
「擁護……って、どういう意味……?」
「『この行為に至ったのには理由がある』、『こういう悲劇があったため、悪逆に走った』……。敵対者の過去や
「な……」
「敵対者は、ただ純粋に敵であればよい。克服すべき障害であればよいのです。過去や経緯などといったものは、まったくの不要」
見通すことができるようになった相手の眼。
その瞳は、荒れる
「おふたりは、残念ながら、私の物語を阻む敵でしかありません」
一切の拒否。
クミは、目の前に高い壁を突きつけられたように感じた。門をくぐることも、上り越すことも許さない絶壁。
それでも、そこに亀裂ひとつでも入れられないものか――ネコの小さな口を
「……その魔名を……、どうして?」
シアラの顔色が変わった。
目を
クミは、これしかない、と意を決する。
「シアラ大師とレイドログ大師の目的は……、エマエマさんですよね? 『三人の少女』が関係してますよね?」
「トジロ師が話しましたか……」
「そうです。私たちは、物語の登場人物なんかじゃない。あなたも私も、生きてるヒトでしょう? それぞれの過去があって、それぞれの行動に理由があるんです。駄文なんかじゃない。陳腐なんかじゃない! 閉じて終わりだなんて、そんなこと、しちゃいけない!」
小さなネコは、「
パチパチと鳴る薄壁の向こう、相手に届けとばかり――。
「シアラ大師がどういうつもりでこんなコトになってるのか。復讐なのか、生き返らせようとしてるのか、『
罵倒じみた連続にただ唖然としていたシアラだったが、ふと、壊れたように、笑い出した。どこにそんなきっかけがあったものか、腹を抱えんばかりの大笑いである。
あまりに異様な反応。
クミもニクリも困惑するしかない。
「シアラ大師……?」
「いえ、あぁ……。すみません。光が差したものですから」
「光……?」
「読みたくもない教典を読み込み、書物を漁り、やっとの思いで仮説を立て、これならばと求めてきた『遡逆』の効能、主神の
今度は、クミらが唖然とする番であった。
叫び、訴えたことが、ひとつも届いていない。相手は、まったく別の言葉に関心を寄せただけだった。
「説得などより、もっと現実的な手段を提案しましょう」
そう言うと、おもむろに平手を振るシアラ。
反応して身構えたふたりだったが、何かの攻撃だった気配はなく、術者のとなりに暗闇がひとつ、浮かんだだけである。
「去来の
当惑するクミとニクリだが、その鏡に見覚えがあること、すぐに気づいた。
「天咲にあった鏡だのん……?」
「ど、どうして、あれをシアラ大師が……?」
装飾の乏しい、簡素な造りの大鏡。
何の変哲もない
「まさか……」
「クミさん。もう一度、『
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