洞穴の朝と女児の名

「おはよう、みんなぁ」

「おっはよ~!」

「美名ちゃん、クミちゃん、おはよ~」


 美名たちが身支度を整えて広間に出てくると、「児童窟じどうくつ」の小さな住人達はあらかた揃っているようだった。

 コウメネとミルザのふたりの女の子は、卓に並んで座り、かた焼きの麦包ぱおを千切って小分けにしている。皆の朝食を用意しているのであろう。

 サタナとその妹は衣装棚を開いて、何やら品定めをしている。

 さて、この場にいないのは――。


「エガとスッザは? 一緒じゃないの?」

「エガは寝坊~! いっつもだよ~」


 クミに、コウメネが元気に教えてくれる。


「スッザは?」

「わかんなぁ~い。部屋にはいなかったよ~」

「仕事かな……?」

「私が今朝出たときも見かけなかったけどねぇ……」


 美名は「寝相は悪い」が、朝は早い。

 「朝に鍛練で動かすことで、その日一日は身体を思い通りに動かせる」とのこと。共に旅するようになって最初の頃は、一緒に起きて付き合っていたクミだったが、最近では夢うつつの中で「いってらっしゃい」の声をかけるのがやっとである。

 今日の朝も例に漏れず、「かさがたな」を携えて美名はひとり、鍛練に出かけた。その行きでも帰りでも、短髪の同年代の少年――スッザの姿は見ていない。


「クミちゃん、クミちゃん!」


 サタナの妹が、卓の上で欠伸あくびする黒毛のアヤカムに駆け寄ってくる。


「ワタシね、サメにする!」

さめ……?」

「そう、サメ!」


 一瞬、何のことかと首を傾げたクミだったが――。


「……あ、名前か!」

「うん、サメ!」 

「ひと晩で、自分で考えたの?」

「カワイイでしょ!」

「か、可愛い……かな……?」


 クミは頭の中で、魚のような生き物の姿を思い浮かべる。

 

「……せっかく自分で気に入った名前なんだから、でも、う~ん……」


 困ったように美名を見上げ、「ねえ」と声をかけるクミ。


居坂いさかには、さめっているかな……?」


 湯気が立つ野菜汁を、大鍋から分ける手伝いをしていた美名は、「ン?」と鼻にかかるような声で応えた。

 その後でひとまず椀を置き、美名は考え込む。


「サメ……?」

「うん、鮫……」

「『いる』ってことは……何か、生き物?」

「あ、いないのね。なら、うん。オッケーでしょ……」


 クミが向き直ると、小さな女の子は目をランランと輝かせていた。


「サメ、カワイイでしょ?!」

「……抜群ばつぐんにカワイイわ!」


 クミは彼女に、青の片目をつぶってみせた。

 サメの名の女児は、「やったぁ!」とその場で跳びはねる。


「イントネーションを変えれば……、いや、本人の意志を尊重、尊重……よね……」


 寝坊のエガも起こし、スッザ以外の「児童窟」の子どもらと朝食の卓を囲む美名たち。

 妹が元気になった様子に、兄であるサタナも今日は機嫌がよいようである。

 しきりに妹の世話を焼いてやり、食事の間も、美名とクミとも会話してくれる。

 この場の主な話題は、「僕も、私も、『仮名かな』に戻りたい」というものであった。

 子どもたちは余程に魔名――特に、「属性名」を嫌がっているのだな、と実感したふたりだが、クミはもちろん、美名も「通常の魔名から仮名に変更する」附名ふめい魔名術など存在するのか、判らない。ひとまずの結論としては、「クメン様に聞いてみよう」ということに落ち着くのであった。


「魔名を嫌がる魔名教宗派とか、あるもんなの? 美名」

「シュウハ……って何?」

「あ、通じないカンジか。なんて言うんだろ……。同じ魔名教の中でも、考え方の違いとか、この子たちみたいに、特定の神様以外は他を神様とは認めていない、みたいな……」

「う~ん……。少なくとも、私が訪ね歩いてたところでは、そんなことなかったと思うんだけど……」

「そっかぁ……。うん、今までを振り返ってみても、私もそんなカンジするわ……」


 そこでクミは、ハッとして目をみはった。


(……むしろ、今までを疑問に思うべきだったかも? 魔名教って、宗教としては、……?)

 

 しかし、考えてもせんのないことかと、クミは頭をひとつ軽く振っただけで談笑の場に戻る。

 そうして、今朝の「児童窟」の朝食は、賑やかで楽しいものとなった。

 だが、皆で後片付けをしていた時のことである。 


「……あぁ、よかった! 『未名みな』はいるわね!」


 「児童窟」の広間に女が息切るように入ってくると、サメを見て、安堵したような様子を見せた。


「……お母さん!」


 サタナとサメとがそう言って女に駆け寄る。

 美名とクミは初対面であるが、どうやら、その女はふたりの母であるらしい。


「あのね、きいて。ワタシね、ワタシ、サメになるよ!」

「……うん、うん」


 娘の言葉にうなずきはするも、心ここにあらずといった様子の女は、美名の姿に目を留める。


「……あなたが、昨日ここに泊まってくれた旅ビトね?」

「……はい。そうです」

「スッザは、いる?」

「……ここには、いないみたいですが……」

「ちょ、ちょっと……、ちょっと来てくれる?」

「え……。あ、はい……」

「サタナと、私の『未名』はここにいてね」

 

 渋る子どもたちに名残惜しそうにしながらも、広間から「児童窟じどうくつ」の入り口の方へと戻っていく女。

 美名は訳も分からずだが、彼女のあとにいていく。少し様子を見るようにしてからクミも、卓を飛び降りていていく。

 声をかけてきた際の女の顔色から、ふたりとも、不穏な気配を感じ取ってはいた。


「ちょっと……変なことを訊くけど……」


 歩きながら、女が尋ねる。


昨夜ゆうべと今朝で、おかしなこと、なかったかしら?」

「おかしなこと……?」

「そう。ヒトが訪ねてきたとか、逆に、あなたがどこか訪ねにいったとか……」


 言われると、ふたりともが当然に思い出すのは、クミが昨夜、「名づけ師」のクメンを訪ねたことである。


(ええ……? また私、何かやらかしたんじゃないでしょうね……)


「あの……何か、あったんですか?」

「いや、このサガンカに、あの子……私の『未名』の子のために『オ様』がいらしてくれてたんだけど……」

「はい。存じてます」

「それが……いないのよ」

「……いない?」

「今朝から、『お客さん用の穴室あなむろ』に『オ様』のお姿が見えないの……」


 ひそめられた声に、クミは自身の肉球がじっとりしてきたことに気が付いた。

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