夢乃橋事変の少年と名づけ師 5

 猛々しい魔名術の炎が、橋上きょうじょうを走り来る。

 明良あきら自身は「幾旅いくたびさえぎり」でこれを防ぐことはできよう。しかし、この威勢では「遮」や「ざん」で魔名術の全てをかき消すことはできない。確実に。明良の後方、短刀ひとつのクメン師に、「焔神ほむらがみ」を防ぐ手立てはない――。


(……下はアヤカムの群れだが……、やむを得ん!)


「クメン師ぃッ! 河に……」


 言いかけた明良だったが、そのとき、クメンの前に飛び込んできた人影があった。


「ゲイルッ?!」


 明良の旧友、ゲイル。彼は、クメン師をかばうように両腕を拡げると、口の端を引きつらせた笑みを浮かべた。


「サ行・耐力たいりょく強化ぁッ!」


 自奮じふんのゲイルは、自らの周囲に淡い光をまとう。


くろ未名みなァッ! 前みろォッ!」

「クッ……! さえぎりィッ!」


 猛火にさらされる直前、明良は前方に向き直ると、「幾旅金いくたびのかね」を振り、白光の盾を形成した。


「っ……!!」


 予見通り、明良の身が炎に巻かれることはないものの、これも予見通り、火勢を殺しきることはできない。

 「遮」も圧される火勢だが、明良は歯を食いしばって耐える――。


(この勢い……ッ! シアラの……、いや、動力どうりき大師の術にも比肩ひけんするぞ!)


 「焔神ほむらがみ」が少年の身を覆ったのはほんの数瞬であったが、あまりに長く感じられる数瞬であった。

 なんとか耐えきり、明良はすぐに振り返る。

 炎の猛撃は、後方のゲイルとクメンのふたりを襲っている最中さなかであった。


「ゲイルッ! クメン師ィッ!」

「ぐ、おお、ぉおぉッ?!」


 猛火は激しく、垣間かいま見えるふたりの影形かげかたちさえも燃やし尽くすかのようである。


「……クソッ!」


 明良は駆け出した。

 後方にではなく、前方。術者の三人に向け、迫った。

 

(頼む、耐えきってくれ! 今、最もマズいのは、ことだ!)


 向かい来る少年の姿に術者三人はたじろぎ、それぞれに「焔矢ほむらや」や「氷矢ひょうし」を放ってきた。


(さっきの術じゃないのか?!)


「……ならば、やすいッ!」


 動力どうりきの矢を斬り落とした明良は、そのままの勢いで距離を詰め、瞬く間、三人の術者にみねちを加えた。

 致命的にならないとはいえ、「幾旅金いくたびのかね」の特性により何重もの打撃となった峰撃ちである。動力の術者たちは衝撃で飛ばされ、床や高欄に身を打ち据えられ、気を失った。


 明良は振り返る。

 「焔神」の火は消え去っており、辺りは静まりきっている。

 クメンとゲイルは元の位置に立ってはいなかった――が、焼失したというわけでもない。遠目ではあるが、元いた位置でうずくまってでもいるようだった。

 明良は素早く辺りを見渡す。

 まだ数名は残っていたはずの抵抗者たちは、橋際はしぎわ退いていたとはいえ、今の「焔神」で火傷を負い、気勢を削がれたのか、その場でへたり込んでいる。

 明良たちの攻勢によりもともと気絶していた者たちは、低い位置で倒れていたのが幸いしたのか、「焔神」の直撃を受けてはいない。だが、まったくの無事というわけでもない。その身をいくらかくすぶらせている。


「……『他奮たふん』はいるか?!」


 肩で息を吐きながら、奥の方で縮こまっていた投降者たちに明良は呼び掛ける。

 三、四人、おずおずと手を挙げる者たち。


「……お前たちの同志だ、すぐに治癒してやれ! ひとりはコッチだ! ……早く!」


 言って、明良はきびすを返し、駆けた。


「ゲイル! クメン師!」

わたくしは大丈夫です! ですが、この方が!」


 駆け寄って明良は、ふたりを見下ろす。


「……ゲイル!」


 ゲイルを抱え込むようにしていたクメン師は、黒衣こくえと金髪とをところどころ焦がしてはいるものの、まったく無傷のようである。

 一方、ゲイルの衣服は焦げ落ち、表皮が露わにされている。見るも痛々しい水疱みずぶくれは身体全体に及び、ところどころの熱傷が赤黒くただれている。胸を上下に、かすかに動かせているのが明良にとっては唯一、救いであった。


「ゲイル、お前にたすけられたぞ! まだ魔名は返すな!」


 身をかがめ、友人の手を取る明良。


「……サ行の魔名……、もう、響かせる……気は……なかった……のに……」

「死ぬな!」

「く、くふ……。サ行……、治癒力強化……」


 詠唱の直後、ゲイルの身体がほのかに光る。

 見ている間に、水疱はゆっくりと引いていき、焼けた箇所は少しずつ、新たに皮を張っていくようだった。


「ゲイル! 死ぬんじゃない!」

「うるせぇな……、何度も……」


 目をつむったまま、「へへ」と力無く笑うゲイル。


「死なねぇ……よ……。しぶといのが……、自奮じふんの……特権だろ……」


 駆けつけた「ヤ行他奮たふん」の術者からさらに「治癒力強化」を受けると、ゲイルは「休ませてくれ」とつぶやいて、寝入ってしまった。

 明良の目には、その傷ついた寝顔が清々せいせいとしているようにも見える――。


「ゲイルさん……。感謝にえません……」

「……俺は……、お前を誇るぞ、ゲイルッ!」


 クメンはゲイルを強く抱き、明良は彼の手を強く握り締めた。

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