軒酒屋の給仕と時間外の来店者

 その軒酒屋のきざけやの女給仕きゅうじは、いましがた帰ったばかりの客の膳を下げている最中だった。

 細々としたつまみと一杯の酒だけで長居していた客。ちびりちびりと呑む様がどこか哀れな、ひとり者の男であった。

 今晩の客はそれを含め、たったの三組。まさに開店休業のていである。

 ここ数日は、「ほろ酔い通り」の軒酒屋はどこも同じような有り様であった。


 それというのも、居坂に降って沸いた大事おおごと、七日前の教会司教コ・ゼダンの言い触れが発端である。


 魔名教会当代教主フクシロが首魁しゅかいの徒党、主都しゅと騒擾そうじょうの罪。


 先代の魔名教会教主は、その地位に在っては珍しく、積極的に公の場に姿を現し、数々の名著を残し、仁政じんせいり仕切ったことで知られる名君である。福城ふくしろの町のみならず、居坂いさか全土で先代教主の夭折ようせつはひどく悔やまれたものである。

 そんな哀悼あいとうのなか、教主を継いだのは名君の実子。

 教主という地位は世襲ではない。教主職が空位となった際、在位の司教と十行じっぎょう大師たいしとで協議され、推薦を受けた者が教主にのである。

 つまり、名君の実子は齢が十にも満たないうちに、実績豊かな魔名教の重役たちから「才覚あり」とみなされたわけである。

 福城の住民は、当然に期待していた。先代を踏襲し、施政へ参画し、民意を汲み取る教会運営、主都運営をしてくれるだろうと心寄せていた。

 今はまだ、若年だから準備の期間であろう。司教ゼダンの執政も堅実実直で申し分ないが、きっとすぐに「名君」も加わり、先代以上の繁栄をもたらしてくれる――。

 そう期待していた。


 それが、この騒ぎである。

 期待を寄せていた反動、福城の町は沼底に沈んだように静かになってしまった。自主的に閉める店は多く、町からヒトはいなくなり、往来おうらいねずみ一匹横切らない。

 主都の喧騒は失われてしまった。

 四日前にはで、魔名教司教の名のもと、戒厳自粛の令がかれたほどである。

 

 こんな状況であるから、必然、軒酒屋など賑わうはずもなかった。

 「の刻には閉店せよ」の自粛令を守るまでもなく、早くに店仕舞いするところばかりで、夜になっても軒戸のきどすら開けない店もある。


 それでも、この店は子の刻まできっちり営業し、この女給仕は淡々と仕事をこなしていた。

 与えられた役割を果たすことこそが、この女の唯一絶対の命題であった。


「動くな」


 給仕が据え台を拭き上げていたところ、背後からふいに声がかけられた。と同時に、首筋にはひやりとした感触――。


「動くと、脈道が傷つくものと思え」

「その声は……、の……」


 女はゆっくりと顔を向け、横目で相手をみる。

 女の背後に立ち、小刀を突きつけていたのは黒髪の少年。そのすぐ後ろには銀髪に赤い筋の入った、年頃は少年と同じと思われる少女。

 どちらも、なぜかしら髪を濡れそぼらせ、苦みきった顔であった。


……、『ンノミコ』さんでは予約はありませんよ?」

「知っている。今日は、には用はない」


 この軒酒屋は、「魔名解放党」の集会の場のひとつであった。

 門番と党員(を装った間諜かんちょう)としてではあるが、女給仕と明良あきらとは、数日に渡って顔を合わせた関係である。


「では、お食事ですか? 申し訳ありませんが、もう閉める刻でして……」

「食事でもない。俺たちが用があるのはお前だ」

「……私ですか?」


 明良は小さく頷く。


「お前は、?」

「……」

「党の者が捕らわれているのに、通りがさびれているのに、ことがその証左だ。ヤツの詭計きけいでは、『解放党』……、『教主フクシロの一派』は、軒並みに捕囚にしなければならないはずだ。でなければ、大師らはまだしも、俺と美名まで『罪人』にはすまい」

「……話が見えませんが」

「……この推察は、外れていても構わん。司教側でなかったとしても、お前がこの町に住む者であることには変わりない。捕囚の者たちがどこに囲われているか、教えろ。これだけの騒ぎだ。福城の住民の噂に上らないわけがない」


 女はひとつの身じろぎもせず、ゆっくりと正面に向き直った。


「なら、このように物騒な真似、なさらなくてもよいでしょうに」


 明良は、「やはりこの女は司教側だ」と確信する。

 真っ当な一般人であれば、このように刃を突きつけられ、かくも冷静沈着ではいられまい。この者は

 ずれている女給仕は「神殿区です」と続けた。


「お客様とのやりとりか、仕事仲間との話か失念しましたが、カ行動力どうりき大神たいしんの神殿に逆徒が囚われていると聞いた覚えがあります」

「……すまんが、福城には不案内だ。神殿区のどのあたりかも教えてもらおう」

「……神殿区の中央にあるひときわ高い丘が『主神の丘』です。『カ行の神殿』がある丘は、その北側、三つの神殿を備える丘です」

「……三つのうち、どの神殿だ?」

「……そこまでは……」


 「そうか」と言うと、女給仕の首元にあった冷たい感触は離れていった。

 小刀を除け、明良は女を解放したのだ。

 女はゆっくりと振り向く。

 少年と少女の苦み走った顔は、より深まっていた。


「無法をすまなかったな。どうしても、情報が欲しかった」

「……いえ」

「……言えた義理ではないが、できれば、司教や守衛手に俺たちが来たこと、報せるのはよしてくれると助かる」

「……お客様が来店され、世間話をしただけです。それなのに、なにを告げることがありますか?」

「……貴女あなたも、そんな冗談が言えたか」


 もう一度、「すまなかった」と言って、少年は頭を下げる。それに従うかのよう、少女も頭を下げて、ふたりは店を出ていった。


「告げることなど……、ありません」


 女は自らの仕事を再開し、呟く。


「……もとより、『罪人』が現れたら『カ行の神殿』に誘いだすよう、ゼダン様より言い含められていただけですから……」


 女給仕は淡々と呟き、淡々と卓を拭き上げる。

 与えられた役割を果たすことこそが、この女の唯一絶対の命題であった。

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