真名神代伝

劫奪者と使役者 １

「それを仕舞いませんか？」

　「ハ行去来（きょらい）」の大師――ホ・シアラは、刃物を向けられているにも関わらず、穏やかに、どこか笑いを含みながら言った。

「これでは、穏便に話もできません」

「……俺は、呑気（のんき）に話すつもりはない」

「……ここまでするということは、ほとんど確信しているのでしょう？　私が『ギアガンさんを葬った』ということと、その、『アキラさんから魔名を奪ったという徒党』だということを……」

　明良（あきら）は小さく頷く。

「ではなぜ、さっさとその神代（じんだい）遺物（いぶつ）で斬りかからないのか……。アキラさん、あなたはまだ迷っている。『自分の考えは本当に正しいのか』……」

「……」

　去来の大師は顔先に突き付けられている「幾旅金（いくたびのかね）」の刃を撫でるようにゆっくりと逸らすと、立ち上がった。

　そのまま明良に背を向け、窓際に寄る。

「林の体裁を整えたのが、疑念を生みましたか……。この庭との類似を感じたのですね。整えないと気が済まない性分は、省（かえり）みるべき点です」

「……認めるのか？」

「……前者――『私がギアガンさんとその弟子を葬った』というのは『行き過ぎ』で、後者の『私が魔名奪いの仲間』というのは、『間違い』です」

　窓際の大師は、明良に振り直る。

「……ギアガンさんたちは生きておられます。私は『十行（じっぎょう）大師（たいし）』として、希畔（きはん）の町を騒がせた者を捕らえただけです。『葬った』というのは行き過ぎた推測です」

「……なぜ隠す必要がある？」

「……『十行大師』のひとりが下手人ということを公（おおやけ）にしたくないからです。魔名教の信用に関わる。ですから、抵抗したギアガンさんが放（はな）った動力（どうりき）で、まるで星でも降って来たような有様になった林野を、『去来』魔名術を駆使してせっせと直したのです」

「……角猪（つのしし）の襲来は？」

「信じてもらえないでしょうが、私の預かり知らぬところです。アヤカムの襲来の情報と、ギアガンさんの居場所を掴めたという情報が、たまたま同時に届いただけです。ですから、アキラさんが執心している『使役（しえき）』魔名術者などに私は関係していません。その繋がりからの憶測である、『魔名奪いの仲間』というのは、完全な間違いです」

　明良はふたたび、剣先を去来の大師に向ける。

「……動力大師とヒミに会わせろ。今すぐにだ」

「……言葉で信じてもらえないのは、辛いものですね……」

　シアラ大師はゆったりと右腕を振る。

　すると、明良の左手側、執務机の脇の中空に、黒い穴のような歪（ひず）みが現れる。

　「去来（きょらい）の何処（いずこ）か」に通じる穴である。

　その穴から覗くようにして、動力大師の髭面（ひげづら）が出現する。黒い穴から出てきたのは、その瞑目（めいもく）した頭部だけで、身体は現れていない。まるで、生首が浮遊しているかのようであった。

「……ッ！！」

「……逃げられてしまうと手間ですので、頭だけこちらに戻しています」

　動力大師の頭から、「うぅ……」と呻（うめ）くような声が漏れる。

（生きていたか……！）

　内心の安堵を気取（けど）られぬようにしながら、明良は「ヒミもだ」と催促する。

　もう一度去来の大師が腕を振ると、ギアガン大師に並ぶようにして、ヒミの頭が空中に現れる。色白の彼女も瞑目し、口の中でなにか、呻いたようだった。

（ふたりとも息はあるな……）

　ふたたび、明良が安堵した瞬間だった。

　執務机が間にあるというのに、どこをどう通ったのか、去来の大師、ホ・シアラの窓際にあった姿は瞬時にして明良の背後に移動していた。

　大師の平手が、明良の背に向けて振りかぶられる――。

「……ッ！！」

　間一髪で、明良は掴みかかりを飛び退いて避（よ）けることができた。

「……この、食わせ者が！！」

　「幾旅金」を構えた黒髪の少年に、赤髪の大師は眼鏡（がんきょう）光らせて嗤（わら）う。

「……アキラさん、残念です。あなたの物語は、この『智集館（ちしゅうかん）』で終章です」