鮮血の報せと占術解禁 1

 夜明けもまもなくの頃、辻堂つじどう村長むらおさ宅までやってきた美名と明良あきらは、寝起き姿もそのまま、グンカの容体が好転したことを告げられた。無論、持ち帰った「冷水ひやみずの薬」が効を奏したのである。

 薬を与えてしばらくは(投薬の正常反応である)嘔吐おうと下痢げりがあったが、今はそれも落ち着き、苦悶くもんの様子もなくなったとのこと。ヤヨイの見立てによれば、そう遠くなく意識も取り戻すだろうし、一日ほど寝ていれば全快もするだろうとのことだった。

 バリからの話を聞き終え、胸を撫でおろすふたり。居室に通されてすぐに出された茶も冷めきってはいたが、ふたり揃って飲み干すと、これもまた「ふぅ」と揃って息をくのだった。

 だが、その安堵もつかの間。

 眼光を鋭く変えたバリが放ったひと言――「追跡組が消息を絶った」に、ふたりはまず、虚をかれた。


「ど……。え? どういうことですか……、バリ様?」

「消息を絶った……?」

「これさ」


 卓のうえにバリが放り出したのは、「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」。ヤマヒトに向けて発つとき、美名が預けたものである。

 明良が広げるも、中身はまったくの白紙であった。


「君たちが戻って来る一日前、夜更けの時分だ。その紙に前触れなく

「……なんだと?」

「確認したらすぐに消えてしまったけどね」

「血痕……。血……? 血が……相双紙に出てきたのですか?」


 少女の茫然とした顔が、みるみる青ざめていく。

 相双紙に血が現れるなど、尋常でない。

 ――。


「流したばかりとしか見えない鮮やかさだったよ。赤い血の色が乱雑に浮かび上がって、そのなかには小ぶりの指腹ゆびはらや獣の手形のようなものも見て取れた」

「『小ぶり』……。リィちゃんだわ。リィちゃんとクミの……」

「それで、なんと言ってきたんだ、クミたちは!」

「文字伝えは一切なかった。それから以降、どれだけ待っても、こちらから連絡を入れても返事は返ってこない。


 遮光布を透かし、室内には朝日の気配が入りこんでくる。

 積もった雪が照り返すのか、光は強い。快晴を予感させる爽やかな白さである。だが、居室の雰囲気は暗渠あんきょに落とし込まれかのよう、沈鬱ちんうつまみれていた。


「行かなきゃ」


 美名が立ちあがる。

 ガタと椅子を鳴らし、荷物やら防寒具やら、「かさがたな」さえ手にせず、跳躍するような勢いで出口に向かった――のだが、その勢いはグイと引き戻されてしまう。

 少女の腕は掴まれ、制されたのだ。


「離して、明良」

「……どうする気だ?」

「決まってるわ! クミたちのところに行くのよ」

「行き先も聞かずにか?」


 附名ふめいの大師へ目線を移すも、相手はかぶりを振って返す。


「バリ様! 居所も判らないんですか?!」

「手がかりはあるけど、今の君には教えられない」


 「どうしてですか」と詰め寄る少女は、今にも飛びかかりそうな剣幕である。一方のバリは、瞳さえ動かさず、あくまで冷静だった。


「教えたなら、君は、すぐに飛び出していって大海に落ちるのだろうね」

「……」

「明良くん。いくらか落ち着いている君ならば判っているんだろう? 。僕たちはグンカくんが復帰しない限り、何もできやしないんだ」

「……この大陸にもカ行の段がいるはずです」

「いることはいるだろうが、グンカくんほどに速くはないだろう。浮揚ふよう術の持続力も見たならば、君と同じになる。海を渡れる動力どうりき術者は、数少ない王段のなかでもひと握りしかいない」

「それなら、船……。船です。船……で……」


 少女の声はだんだん小さくなり、ついには消えてしまった。

 航行での渡海など、それこそ数日かかってしまうだろう。数日遅れで本総ほんそうの大陸に着いたとて、そこから何ができるのだろうか――。


「判ってくれたかい? 今の最善で最短の方策は、グンカくんが一刻も早く快復してくれること。それしかない。レイドログは、よくもやってくれたものだ」


 バリの言葉が、美名の身に苦々しくも染みる。彼女にとって何者にも代えがたい大事なともがら、クミとニクリ、タイバ老師。今この時、彼女らのため、美名にできることはひとつとしてない。

 少女の頬に、涙がポロポロと伝う。


「クミ……。リィちゃん……。タイバ様ぁ……」


 ふらりと崩れるように、美名は明良にもたれかかる。

 嗚咽おえつする少女に、少年はただ黙り、胸を貸した。


 美名に対し、いつか言った覚えのある「泣くな」の言葉。今の明良には、その言葉さえかけてやることができない。

 クミら三人に、少女がどれだけ親しんでいるか。美名がどれほど大切に想っている者たちか、痛いほどに判る。知り尽くしている。彼自身、少しでも気を緩めれば視界がぼやけそうにもなるのだ。到底、「泣くな」のひと言で少女を慰められるとは思えない。


「クミ、クミ……」


 少女の声に同調し、明良もまた、輩の無事を祈るしかなかった。

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