気味が悪い林野と少年の問い 2

 明良あきらは装飾も乏しい木の扉を叩いた。

 内部から、「はぁい!」と快活な声が応じる。まもなく、扉が開いた。


「あ、明良くん……?」


 顔を覗かせたのは、「智集手ちしゅうしゅ」受付員のミンミである。

 ここは、地方出身の勤務者向けの「智集館ちしゅうかん」の下宿寮。

 明良は急いで町に戻ると、真っ先に教会堂に向かい、彼女の姿を探した。だが見当たらず、教会員を捕まえて下宿の場所を訊き、下宿付きの者に尋ね、彼女の部屋を訪れたのだ。


「ちょ、ちょちょちょ……。どど、ど、どうしたのいきなり……」


 明良の顔と背後の自室とを交互に眺め、ミンミは慌てたようになる。

 彼女は室から出てくると、そのまま後ろ手で自室の扉を閉めてしまった。


「……どうかしたの?」


 あはは、と空笑いをするミンミだが、明良は来訪の用向きを言わず、押し黙ったままである。

 その深刻そうな様子にミンミは目をしばたたかせて彼の顔を覗き込む。


「……あ、ああ! 明良くん、すごい武芸があるんだってね。それで沢山のアヤカムを退治してたって、もうウワサになってるよ! 背中のソレは、飾りじゃなかったんだね」


 またひとつ、尻すぼみの空笑いをするミンミに、明良は「すまない」と言った。


「……聞きたいことがある」

「聞きたいこと……、私に?」


 明良はコクリと頷く。

 その青灰せいはい色の瞳がひどく怯えたおさのように見えて、年上の少女は胸が詰まるような心持ちを抱いた。


 *


 明良あきらは装飾も乏しい木の扉を叩いた。

 内部から、「はい」と澄んだ声が応じる。明良は、両開きの扉を引き開ける。


「アキラさん……」


 扉を開けた正面、執務机に座していたのは、当代の「ハ行去来」の大師、「智集館ちしゅうかん」館長のホ・シアラである。


「『あとで向かう』と大層なことを言っておきながら、結局はアキラさんと守衛手たちとですべてやってもらったようで、すみませんでした」

 

 座りながらではあるものの、相手は深々とお辞儀をする。

 ここは、「智集館」内部、大師の執務室である。

 両脇の壁際には本棚が詰まるように置かれて、書物がぎっしりと収められている。

 正面――大師の執務机の背後は、端から端まで大窓の造りで、今現在は夕暮れの光が差し込む。

 その暮光ぼこうで影になっているような大師は、薄く笑っているようだった。


「つい先ほど、守衛手司しゅえいしゅしが報告に来ました。アキラさんを誉めそやしていましたよ。先々有能な守衛手になるだろう、と……」

「……俺は守衛手になるつもりはない」

「そうでしょうね……。アキラさんは、別のところを見ているようです」


 明良は答えず、無言で室内に歩みを進める。

 来訪者用の掛け椅子を過ぎ、大師の机を過ぎる。

 大師は微笑を浮かべながら、ゆっくりと彼の動きを目で追っている。

 明良は夕暮れの日差し強い、窓際で立ち止まった。


「……これから教区館通りで、今回の件の、慰労の催しがあるそうです。『角猪つのししの丸焼き』が大量に供されるそうですよ。アキラさんは参加しないのですか?」

「ああ、準備してるところを通ってきた。せっかくだが、俺は行かない。角猪の肉は固すぎて好みじゃない」

「食したことはあるんですね」

「……見事な庭園だな。整然としている」


 大師の執務室は「智集館」の三階に位置する。

 窓際からはちょうど、「智集館」の中庭庭園が見下ろせた。


「……ええ。私も事務仕事や読書で疲れたときに眺めるのが好きなのです。今の時季はかつらアヤメが綺麗なんです」

「……教区の役務えきむ者に、『庭師』はいるのか?」


 植栽を稼業とする『庭師』は、公的な施設や裕福な家などで一定の需要がある。希畔きはんほどの大きな町であれば、『庭師』がいないことはないだろう。

 そして、この『庭師』に就くのは、『タ行使役しえき』の魔名術者が圧倒的に多い――。


「いえ、いませんが……それが何か?」


 眼下の庭景色から目線を外した明良は、去来の大師を見遣った。

 元からの赤毛にさらに夕日のあかが加わり、彼の頭部は燃えているかのようである。

 「いや」と首を振ると、明良は窓から離れる。来客用椅子まで歩んでくると、腰を下ろした。


「……やはり、動力どうりきの大師が今回、ひとくち噛んでいたようだ」

「……それも報告を貰っています。しかし、捜索途中でアキラさんは血相を変えて町に引き返していったとも……。何かあったんですか?」


 日差しが強いためか、黒髪の少年は何度も瞬きをした。


「……から聞いた話なんだが、そこの庭の整備は、ようだな」


 中庭に話が立ち戻ったことに、今度は去来きょらいの大師が目をしばたたかせる番だった。


「希畔の者の間では、『タ行術者のさまよう魂』などといって、怪奇話にもなっているらしい。だから、開放されている場所にも関わらず、あまり人気ひとけがない、とも」

「……」

「だが、そのは、廊下の窓越しに中庭を歩く姿をたびたび見かけると言っていた。大師、あなたの姿をだ」


 薄い笑みを張り付かせたままのシアラ大師を、明良は真っ直ぐに見つめた。

 その顔には、なんの動きもない。呼吸の気配もない、彫像を相手しているかのようであった。


「……動力の大師が今回の件に関わっているというのは、仕掛け側じゃない。だ」


 明良は立ち上がると、鞘から「幾旅金いくたびのかね」をゆっくりと引き抜く。夕日の光で満たされている執務室内にあって、その遺物の刀身は白々と冴えていた。


「俺の直感では、動力の大師とその連れはもう、生きていない。。そして、この近辺の者でそんな芸当を為せるのは、俺が知る限り、『ハ行去来』の大師以外にない、とも直感している……」


 黒髪の少年は刀をげ持ちながら、執務机へと歩を進める。

 そのせいか、彼の剣先は、フルフルと震えているようだった。


「角猪の大群は、希畔の者の注意を北東方面に逸らすため。その間に南西の動力大師を襲撃する。コトを為してから、おそらくは激闘の跡があったのであろう、林野の取りつくろいまでする隠匿いんとくぶり。知り合って日が浅いうちですまないが、去来大師の印象にひどくしっくりくる智謀ちぼうさなんだ。俺にとってはな……」


 明良は机越しに、「幾旅金」の切先を去来の大師に突き付けた。


「……問題なのは、大師。その愚考が真実だとして、何故去来の大師は、そんな、忍ぶように事を為したのか? この場にあって、何故平然とした顔で動力大師の動向など知らぬような素振りをするのか? 『教区館を騒がせた罪人として対処した』と、至極もっともな理由でおおやけにしないのか?」


 少年は歯を軋ませながら、激情を抑え込むようにして眼鏡の大師をめつける。

 相手の笑みは少し、深まったようだった。


「今回の件、明らかに『タ行使役』の魔名術者が関わっている……。それも、角猪の大群を使役できるほどの高段者だ。貴様は、か……?」

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