鮮血の報せと占術解禁 3

 美名がコンと戸を叩くと、室の内部なかから「はい」と声が応じる。


「ヤヨイさん。入ってもいいですか?」


 少し間があってから「どうぞ」と答えがあり、美名と明良あきらは静かに戸を開け、入っていった。

 この部屋は住人か来客の寝室として使われているのだろう。簡素な造りの箪笥たんすや鏡台といった家具調度がいくつかと、出張り窓の傍に寝台がひとつ、据えられている。もちろん、寝台に伏せるのはコ・グンカ。総髪そうはつがほどかれ、真っ白の敷布しきふにまばらに広がる。

 寝台の横には同じ高さの棚があり、その天板上には介助のためと思われる諸々が乗っている。ユ・ヤヨイは、その棚の手前、今まで腰掛けていたのだろう丸椅子の横に立ち、少女らの入室を迎えた。


「グンカ様のお加減、どうですか?」

「え、ええ……。だいぶ良くなっていますよ」

「俺たちもそれをした方がいいか?」


 明良がそう訊ねたのは、ヤヨイの格好のためである。

 頭部と鼻と口、それらを布で巻いた、まさに「覆面」と言った姿。毛織けおりの服のうえには炊事をするとき使うような木綿もめんの前掛けをしている。


「あ、そうですね……。『むし』が出てから、一切合切を清潔なものに取り換えましたが、念のため、口に覆いだけでもしていただけたら。その箪笥のうえに置いてある新しい布をお使いください」

「『蟲』……。『蟲』が師から出てきたのか?」


 明良の問いに、ヤヨイは恐縮しきった様子でうなずいた。


「おふたりが持ち帰ってくださった薬種を与えてすぐ、反射作用が出て、グンカ様は戻されたのですが……」

「そこに、『蟲』が吐かれて出てきた……?」

「いえ……。吐いて出したといっても、一般に『虫』と言われて想像するような姿形のものが混ざっていたわけではなく、妙な色の吐瀉としゃ液だったというだけです。混ざり血の色とも違って青味がかっていて、もしやこれが『蟲』と呼ばれるものかと……、そう思っただけなんです」

「レイドログは、まさしく奇怪な術を使ったか……」


 ふたりが話すあいだ、ひと足早く布を巻き終えた美名は、グンカの枕元に立っていた。

 今、見下ろす彼の表情は、記憶の最後にある苦悶くもんとはうってかわり、ただ静かに寝入っているかのよう。血色もよく、今にも起き出さんばかりに見えた。


「よかった……。グンカ様……」

「……あの、美名さん。それに、明良さんも……」


 沈んだ調子の声に振り返ってみると、ヤヨイは、ふたりに向かって頭を下げる格好をしている。


「ど……、どうしたんですか?」

「すみません……。本当に、すみませんでした」

「……」

「ちょ……ヤヨイさん?」


 美名が当惑するあいだもヤヨイは身体を折ったまま、「すみません」と繰り返すばかり。その声はあまりに小さく、悲愴な感が漂っている。


「顔を上げてください。何を謝ってるんです?」

「全部、私のせいです。こうしてグンカ様が大変な目に遭っているのも、今、クミ様たちが危険な状況なのにすぐに駆けつけられないことも、全部、全部……」

「ヤヨイさん……」

「自分の立場や実力をわきまえずについてきて、役に立つどころか、敵の術中にめられる失態……。大師様や明良さん、美名さんを危険に晒して、自分はただ助けられるばかり……。申し訳ありません……。情けないです。本当に、本当に……、いくら謝っても足りない……」


 自らを責める言葉につれ、ヤヨイの頭は床につかんばかりに下がっていく。

 美名は、ゆっくりと近づいていくと、彼の前でひざまづいた。


「顔を上げてください、ヤヨイさん」


 少女は静かに、ヤヨイの手を取る。

 それにビクリとして、ヤヨイもまた、ペタンと床に崩れ落ちた。ようやく見ることができた少年の顔は、頭の布と口の布の狭間はざま、たくさんの涙を溢れさせている。


「ヤヨイさんは、モモねえ様をご存知ですか?」

「モモ……姉様、ですか?」

「はい。モ・モモノ幻燈げんとう大師です。とても素敵な……大師様です」


 緑髪の少年は、ウンとうなずく。

 少女は、その返しがなぜだかすごく嬉しくて、自らもウンとうなずき微笑んだ。


「私、一度、モモ姉様に叱られたことがあります。すごく悲しいコトがあって、自分が不甲斐ないって思ってて、『もっと強くならなきゃ』、『もっと力をつけなきゃ』って、すごく焦ってたんです。そんなとき、全部を見通したようにモモ姉様が仰ってくれたんです。『全力を出したならそれでいいんだ』って……」

「全力……」

「ヤヨイさんが使役しえきされて、グンカ様が倒れて、危なかったのは確かです。でも今、私たちの組はみんな無事でいる。いられてます。バリ様の附名ふめい術があって、私と明良も頑張って、ヤヨイさんの献身的な介助があって、みんなが生きていられます」

「私の……ですか……?」

「ヤヨイさん、寝てないですよね? 目が落ちくぼんでる。きっとずっと、グンカ様のことをしっかり看ててくれたんだって判ります。夜通し、この手で他奮たふんの魔名を響かせてたんだって判る」


 美名は、ヤヨイの手を包みこむ。

 あかぎれとふやけが目立つ彼の手は、冷たい感触だった。


「ヤヨイさんがしてくれたことは、私や明良やバリ様には出来ないこと。リン様を手伝ってヤ行の勉強をしてる、ヤヨイさんだから出来たこと……。私、心から思ってるんです。ヤヨイさんがいてくれてよかったって」


 ハラハラと涙が止まらない大きな目に、またひとつ、美名は微笑みかける。


「みんなが出来ることを持ち寄って、危機を乗り越えましょう。謝る必要なんかない。情けなくなんかないです。責められるべきは全力で頑張ってるヤヨイさんじゃない。悪いコトを平気でする、悪党のヒトたちです」


 美名は、相手の手をとったまま、立ち上がる。

 「さぁ、立ちましょう」と、ヤヨイにも促す。


「もうひと踏ん張り、力を貸してください。それで、グンカ様が快復されたら今度はヤヨイさんも休んでくださいね」

「……はい」


 立ち上がったヤヨイにはもう、沈鬱ちんうつとした気配は感じられない。

 懊悩おうのうや自責を振り払い、晴れ晴れとしたおもちが涙の下に見えている。

 一部始終をただ黙って見ていただけの明良は、ふたりが並んで立つ光景に誇らしいような、こそばゆいような、不思議な感覚を受けていた――。


(つい先ほどまではあんなにも打ちひしがれていたのに、今はもう、毅然きぜんとしてともがらを励ましてやっている……)


 遮光布のすきまから漏れて入る朝日を浴び、輝くような美名の姿。口元の覆いのせいもあってか、少年の目には別人のようにも見える。


(俺は、とんでもないヤツの隣を選んでしまったか……?)


 そんなふうに考えていたところ、ふいに少女が振り向き、「ね」と声をかけてきたものだから、少年はビクリと反応してしまった。


「なに……? なんでそんなに驚くの?」

「……いや、なんでもない。それより、なんだ? 何か、俺にも訓戒をくれるのか?」

「……私、行くわ」


 「行く?」と首を傾げる少年に、美名はウンとうなずく。

 その顔がそれまでの柔らかなものからなにか意を決したように変わっていて、それがあまりよくないことのような気がして、明良の胸は少しばかりざわついた。


「今から大都だいとに行く。浮揚ふよう術で本総ほんそうの大陸まで連れてってくれるよう、ゼダンに頼んでみるわ」


 少女が何を言ったのか、すぐには判らなかった明良は、その意味をようやく理解してからもしばらく、絶句してしまうのだった。

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