天咲の塔と札囲いの男 5

 いったいどれほど降りてきたのか。

 変わり映えのしない回廊。最下層の気配もそうだが、神代じんだい遺物いぶつの影形もない。気が滅入るだけの暗がりが延々と続いていた。

 少女たちの疲弊の色は濃い。


「休みましょう」

「フクシロ様……」


 教主の提案への可否の声も上がらない。

 キョライはさておき、皆、それほどに疲れていた。


「身体を壊してしまえば無為になります。先ほどの『二十三番目の部屋』に引き返し、食事と仮眠をとりましょう」


 先立っていたキョライは「なるほど」と振り返ると、戻ってきてニクラに向かう。


「……何?」

「明かりをいただけますか?」

「……やっといなくなってくれるのかな?」

「ご希望には添えません。ですが、ご麗人れいじんがたに混じって寝食をともにするわけにもいきません。私は『二十四番目』に行き、そこで休むことにしましょう」


 ニクラはあからさまなため息で答えると、キョライに松明たいまつを渡した。


「それに、私がいないほうがいくらか割いている警戒心も解くことができましょう?」

「君がハ行去来きょらいじゃなければ、ね」


 覆い布の下で微かに笑うと、「いいことを教えましょう」とキョライ。


「……いいこと?」

「御存知かとは思いますが、『何処いずこか』を伝っての移動は、途中に壁や遮りがあろうとそれらが薄いものであれば超えることができます。空間として繋がっていない、たとえば壁を隔てた隣の部屋に行こうとする場合は、その部屋の様相を明確に把握している必要はありますが」

「知らなかったし、少しも『いいこと』じゃないのん……」

「しかし、『魔名術の遮り』がある場合、それは適いません」


 少女らとネコは一様に首を傾げる。


「どういうコト……?」

「判り易いところですと、『カ行の氷盾ひょうじゅん』や『ナ行の封魔ふうま』ですね。これがあいだにあると、去来術者はこれを

「収容設備には『封魔』は必ず施されておりますものね」

「そのとおり。しかし、『去来の移動』を防ぐだけであれば、なにも識者の高位術『封魔』でなく、『段』の『軟化なんか』だけでも事足ります。『軟化』が施された硝子窓の向こう側に去来術者は行けない。ナ行に限らず、魔名術がかよっていればどんな薄壁も、それがどんなにつたない魔名術の盾でも、去来術者には超えられない障壁となるのです」

「それは知りませんでした……」

「戦争でもあれば命取りになりかねない情報ですからね。泰平な時代にあっても、去来術者は誰も話したがりません」


 ニクラはフンと鼻を鳴らして、「それが何?」と口をはさむ。


「その命取りの情報が何の役に立つって言うのかな?」

「『二十三番目の部屋』に私が去来で忍び寄ることを危惧しているのでしょう? でしたら、遮りを作ってみてはと勧めているのです。廊下の石壁は厚さなので、私を通したくないところに『波導はどうの遮り』さえ作ればいいのです」

「遮り……。でも、波導にはそんな術……」

「言いませんでしたか? 高度な熟達は必要ないのです。必要なのは発想。私を拒みたいという波導のお二方の意志です。ともすれば、あらたな波導術がここで開かれるかもしれませんね」


 キョライはきびすを返し、前方に向き直る。


「いずれにせよ、あなたがたが来るか、よほどの緊急でない限り、私は『二十四番目の部屋』から出るつもりはありませんのでゆっくりお休みください」


 クツクツと笑う男は、回廊の先へひとり行こうとする。

 その後ろ姿をフクシロが呼び止めた。


「……なんですか?」

「お食事はどうされるのです? 持ち合わせていないのでしたら……」

「要りませんよ。私の『何処か』には補充せずに一年は過ごせる備蓄があります。それに、私のために道が逸れることはなかったはずではないですか?」

「それはそうなのですが……」

「一年て……。腐らせそうね……」


 キョライは背を向けながら、鼻で笑ったようだった。


「それも心配無用です」


 少女らが呆気に取られてる間に、灯明とうみょうの残光を残し、キョライの姿は回廊の奥に消えていってしまった。


「つくづく気色の悪いヤツ……」

「ま、確かに気味は悪いけど、あれでも気遣ってくれてんじゃない? 私たちも戻りましょ」


 *


 「二十三番目の部屋」には二間ふたまある。

 フクシロとニクラは入り口側のひとで炊事。

 準備した食糧は調理しなくてもいい「かん麦包ぱお」が主だったが、塔の内部は石造りで地中にあるためか、底冷えがする。温かいものを食べたいというのは全員一致の意見であった。

 クミとニクリは続くで寝床の準備。

 幸いにも、この部屋の壁には「寝網」をかけられそうな出っ張りが複数あった。位置や形状からすると、燭台を乗せるのにしつらえられたものだろう。そこに網の端をかけて結び、「寝網」をこしらえる。


「クミちん、ぷにぷにの手なのに結ぶのうまいのん」

「こういうのは勢いよ!」


 出っ張りの上で得意気になったクミは、「寝網」のよじれを直すニクリに「ねえ」と声をかける。


「……のん?」

「リィは、キョライさんにあんまりいい印象ないみたいね」

「……」

「私、リィみたいな子、大好きなのよ。元気いっぱいで、こっちも元気もらえるみたいで。でも、塔に入ってからはキョライさんばっか気にしてるふうでそれがないなぁって……。やっぱり、第一印象が悪かったカンジ?」


 ロ・ニクリは首を振る。


「それもあるけど……。リィはちょっと、『去来』のヒトが苦手だのん」

「去来が……、苦手?」


 「のん」とニクリ大師は頷く。


「それは魔名術の相性とか、そういうコト?」

「……違うのん。リィはラ行の大師になったとき、他の大師のヒトたちにご挨拶まわりしたのん。みんな面白いヒトたちだったのん」


 幻燈げんとう大師と識者しきしゃ大師を思うと「面白い」という評に少し疑問を感じてしまうクミだったが、ひとまずは黙ったままでいた。


「でも、ホ・シアラ大師……。去来の大師様は違ったのん。顔は笑ってくれてるんだけど、どこか素っ気なくて、なんだか変なカンジだったのん。リィの得意技は、会ったヒト、みんなの顔を覚えることができることなのんけど、シアラ大師の部屋を出ると、なんだか思い出せなかったのん。会ったばかりなのに、頭の中のシアラ大師は顔がボヤ~ッとしてたのん」

「う~ん……」


 旅の途中、「行方不明になった去来大師」という噂を聞いたことはあるが、クミ自身は「ホ・シアラ」という大師に会ったことはない。

 ニクリ独特の表現からすると、印象の薄い地味な性質のヒトかな、とクミは思った。


「それから、『去来』のヒトがちょっと苦手になったのん。教区館に新しく勤めてくれることになったヒトとか、お話してるとだんだん大丈夫なんだけど、はじめはちょっと身構えちゃうのん」

「去来の大師様とは? お話しして、仲良くなれたの?」

「それっきりで会えてないのん……」


 クシャのヒ・ミカメやその他、旅程のたびたびで出会えた「ハ行」の魔名の持ち主を思い浮かべてみても、それだけで「去来」の魔名の者を苦手とするには少し突飛すぎる感があるようにクミには思える。


「リィの感性かしらね」

「ごめんだのん……」

「え、いや、謝ることじゃないよ。なにも無理してキョライさん……あのヒトと仲良くしろって言ってるわけじゃないしね。ただ、どうしてかなぁ、って思っただけ。リィが仲良くしたくないなら、それでもいいと思うわ」


 ニクリのしおれるような様子に「触れるべきじゃなかったかな」と少しの後悔をしつつ、クミは「ゴハン食べよ!」と励ますように言うのだった。

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