小さな軒酒屋と昔馴染 1

 夏の時季は日が長いとはいえ、夜は必ずやってくる。日没を迎えてしまえば、居坂いさかで営まれる商店の多くは店仕舞いとなる。これは、大都市福城ふくしろでも例外ではない。

 だがむしろ、夜を迎えて活気づく種別の商店がある。

 そのひとつが軒酒屋のきざけや。酒を主体とした飲食を提供する業種である。ここ福城でももちろん、それは例外ではない。


「悪かったな。勤め終わりまで待ってもらって」

「いや、構わない」


 明良あきらと旧知の青年ゲイルとは、福城の多数ある軒酒屋のきざけやのひとつに入ると、雑然として狭小な店内、卓に向かい合わせて座っていた。

 酒が入ったことで陽気になったり、逆に陰気になったりで客たちの喧騒けんそうはなはだしい中、彼らに揉まれるようにして、給仕の者が明良たちの卓にやってくる。


「……お待たせしております。ご注文はぁ?」

「俺、麦酒むぎしゅね。あと、イモと豚肉のホックリ揚げをふたつ。魚はなにか、いいの入ってる?」

「今日はクロシロの刺身がいいですよ。時季ですから脂たっぷりです」

「じゃあ、それも」

「はい、かしこまりぃ!」

「『黒未名くろみな』は?」

「俺は……麦茶でいい」

「かしこまりぃ!」


 威勢のよい女給仕が奥に行くのを見ながら、ゲイルは「相変わらずだな」と言った。


「酒、まだ飲めないのか」

「どうもあのフラつく感覚が合わなくてな」

「もったいないな。この店、動力どうりき店主が作る氷が評判よくて、酒が格段に美味くなるんだぜ?」

「なら、麦茶も美味いんだろう」

「……その減らず口も相変わらずだな」


 間もなくやってきた麦酒と麦茶。

 ふたりはひとまず、無言でお互いの盃を鳴らし合った。


「……かぁっ! 炎天下の勤仕きんしのあとの麦酒はたまんねぇッ!」


 福城に着いて以来、どこか張り詰めたようになっていた明良であったが、酒を流しこんだむかし馴染なじみが歓声を上げる様子を見て、その顔は自然とほころんでいた。

 そして、明良も麦茶を流し込む。

 確かにゲイルの言のとおり、氷がいいのか、澄んだ冷ややかさが喉を伝っていく爽快さが、汗ばむ暑気には気持ちがいい。


「……しかし、どうして福城にいて、しかも守衛手なんだ? ゲイルは『サ行自奮じふん』だろう? 俺はてっきり、ヤマヒトの村で親父さんを手伝って、あのまま伐採の稼業をやってるものだと……」

「ああ……、『木こり』な……」


 今度は少し、苦々しいような顔つきになって酒を飲むと、相手は「やめた」と言った。


「……やめた? 稼業をか?」

「そうだ」

「ふん……。それはまた……」


 「どうして」と問おうとして、明良は寸前で止めた。

 先ほどはあれほど美味がっていた酒を口に運んでいるにも関わらず、視線が下がり、どこかかげりが差したゲイルの表情に、さしもの明良もおもんぱかったのだった。


(……コイツは親父さんとは喧嘩調子だったからな。ひとつ何か大きいのを、それで出奔しゅっぽんでもしてきたか……?)


 盃を置いた相手は明良に、少し据わり始めた目を向けてくる。

 そういえば、ゲイルは酒好きではあったが酔いには弱かったな、と少年はまたひとつ、思い出す。


「俺のことはいいんだよ! それよりアレだ、『くろ未名みな』だよ」

「俺……?」

「ああ。村を出るときは混沌に呑まれたみたいな顔してたクセして、今はどこか、落ち着いたカンジじゃないか」

「俺が…………?」

「この町でなにかいい稼業に就けて、『よきヒト』でも出来たんじゃないかぁ? オイ」


 呆気にとられたような顔になって切れ長の目をしばたたかせたあと、明良は「いや」と首を振った。


「稼業はないし、『よきヒト』もいない」


 自分で声に出した言葉の中、銀髪がなびく幻が少しだけ心中にぎったが、明良はそれを振り払うように、もう一度首を振る。


「それに俺はまだ、旅の途中だ。この福城には住んでない」

「なぁんだ? まだ、『魔名を奪ったヤツ』だかなんだか、探してんのか……」

「いや、それは……」


 明良は少し躊躇ちゅうちょしたが、久々に会えた友人に無闇に隠し立てするのも後味が悪いかと思い直し、これまでのことをに話してやった。

 長い時間をかけて行方を追った末に、希畔きはんの町に辿りついたこと。

 うろ蜥蜴とかげを追ってクシャという村に駆けつけ、そのアヤカムは退治できたこと。

 その際、「魔名」でも「仮名」でもないが、とある者に名を貰ったこと。

 希畔に戻った先で、復讐の相手をついに見つけだしたこと。

 ただし、「去来きょらいの大師」、「客人まろうど」など、ともすると差支えが考えられそうな言葉は出さずに、ではある。


「……おぉ。じゃあ、『魔名』は取り戻せたのか?」

「いや……、逃げられた」

「逃げられたぁ?!」


 ゲイルは目を丸くしたあと、赤らんできた顔を崩して大笑いする。

 周囲の客も、何事かと注目してしまうほどであった。


「そいつは残念だったな! じゃあまだ『未名』様ってことかッ!」

「……そのことなんだが……」

「ンン?」

「……ゲイルは『黒未名』で慣れているんだろうが、俺のことは『明良』と呼んでほしい」


 笑いを収めたゲイルは、またひとつ、目をみはった。


「……『名づけ師』じゃあないが、大事なともがらから贈られた名だ。最近自覚したんだが、俺自身も、大分だいぶこの名を気に入っているらしい」

「……へえ。せっかく『未名』様なのに、もったいないな……」


 ゲイルの妙な言い方が明良にも少し気にかかったが、それを疑問に考える前に相手は笑い声を上げる。


「わかったよ、明良! あきら、アキラ、明良! 俺の故郷の友人、魔名のないともがら、明良!」

「呼び過ぎだろう……」

「祝いの酒だ! 明良の旅路に、祝福を!」


 勢いづいて盃を掲げ上げるゲイルの姿に、明良は呆れながらも微笑まし気な笑みを返した。

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