幾旅金と人世哀 3

 斬り下ろしをいくつも放った疲れか、それとも、いまだしたたる流血がためか、明良あきらは肩を大きく上下させ、白もやの息を吐き続けている。

 バリの掌中しょうちゅうでは、「人世哀ひとのよのかなしみ」の鞘収めから、冴えた音色が鳴らなくなってきていた。引き抜く際に感じる鈍さも、もはや違和感などでは済まず、如実にょじつである。


(彼が力尽きるのが先か、僕の刀が保たなくなるのが先か……)


 同じ膠着こうちゃくを続ければ、どちらかの限界が遠からずやってくる――。


「見ろ」


 少年は観衆に向けて、血を垂らす手を拡げた。


かりめにも、ヤツは今、これだけのヒトが暮らす町を営んでいる。これだけの旅路を支える統治をしている。善政が続く限り、俺はゼダンの手下てかとして、ここに身を置くんだ」

「……それが『真名』とやらかい?」

「そうだ。俺の『真名』だ」

「同じ口で僕をののしったとは思えない軟弱さだな」


 「軟弱などではない」と言い返すと、明良はゼダンに向け、「幾旅金いくたびのかね」を突き上げた。


「悪逆があれば、俺は即座にアイツを斬る」


 オ・バリは、細く開いた眼からチラリと大都の王を見遣った。

 頭上にて見下ろしてくる風雪のなかの人影は、地に在り、言い合う者らを嘲笑っているかのよう、バリには感じられる。


「……なるほど。大都だいとの王か」


 「だが」と続け、バリは少年をめつける。


「それでは遅い。悪道あくどう奸計かんけいを起こされてからでは遅いと、明良くんは思わないのかい?」

「ゼダン以上の統治を大都にけるというなら、今すぐにでも俺は貴様とともにヤツを捕らえ、貴様の手下にもなろう」

「……それは他行ほかぎょう詠唱だ。君も知ってのとおり、僕は粗忽そこつさがで、教区運営も下手だったからね。にも、たびたびとがめを受けたくらいだ」

「……ならば、この決闘は完遂せざるをえない」


 正眼に刀を構え、柄にも血をにじませる明良。

 その様の何かがきっかけとなったのか、このとき、再会してより初めて、附名ふめい大師から少年へ、親し気な目線が送られた。


「彼をちゅうして、君が成り代わるといい」

「……なんのことだ?」

「統治者さ。明良くんが大都の為政を担ってみたらどうだい?」

「……」

「やってみないと判らないものだよ?」

「それこそ……、他行ほかぎょうだッ!」


 叫び返した少年は、気迫に任せて飛び込んでくる。

 バリもまた、即座に刀を鞘走らせ、斬撃を弾いた。


 それからはふたたび、乱れ吹雪のなか、刀が何合も打ち鳴らされるのが続く。

 もはや、ふたりともに口は利かない。幾百、幾千もの瞳に見守られながら、少年と大師とは、ただ己の剣に集中し、相手の刀に気を張る。

 少しでも隙があれば、バリには攻勢に転じる余裕があり、それを知っている明良は、少しの隙も与えんと乱打する。ただただ、そればかりが長かった。

 しかし、不可避の限界はやはり、訪れた――。


(来たなッ!)


 明良の足運びは徐々に鈍くなっているようだ、とバリは気付いていた。一方、大師の「居合」のブレも少しずつ大きくなってきてもいた。

 両者の限界が間近であると感じていた矢先の此度このたびの突撃。少年の踏み込みはこれまでより明らかに詰まっている。「人世哀」より先に、少年の体力に限界がきたのだ。


幾旅いくたびたちッ!!」


 これまでとは、技の型が違っているよう。構えも、これまでよりやや大振りである。バリにとり、どこか既視感のある振りかぶり。

 だが、いずれにせよ、大きな問題ではない。

 この斬撃を受けることは、。大振りがためにできたわずかの間隙かんげきは、少年の

 バリは見切った。


(両腕を斬るッ!)


ダンッ!


 オ・バリは、地を踏みす。

 「居合いあい」の一刀。明良のかいなを斬り飛ばすべくの専心せんしん

 迫り来る「幾旅金」と、それを支える少年の腕しかバリには見えていない。それのみを見ていなければ、両腕と定めた標的をしくじる。

 だが、見ていないがゆえ、バリは。自らと少年とのはざまことを。

 バリ大師がこの場、この一合の異変に気が付いたのは、刀を鞘より抜ききり、「居合」を少年に目掛けた、まさに刹那――。


ッ?!)


 剣速が、バリの思惑以上に速い。

 腕が前へと引かれる。自らの長髪が流れている。まるで、強烈な突風に背後から襲われているかのよう、

 いや、バリを「引く力」ではない。

 黒髪が流れる様からすると、相手もまた、。少年と大師とをより近づけようとでもするかのよう、中心に向かう不可解な力がこの場に働いているのだ。


(何だ、これはッ?!)


 「居合」の一閃は、目測から外れた。速すぎたがため、振り下ろし途中の少年の腕をかすめ裂いただけであった。

 当然のこと、その程度の負傷で明良は止まらない。

 このままでは、まともに剣撃を受けてしまう――。


「クッ!」


 バリはめ帯を引きちぎる勢いで刀鞘――「合わせづつ」を掴むと、迫り来る斬撃に対し、かざし向けた。


カァン!


 「合わせ筒」の防ぎに弾かれ、少年の刀身が浮く。

 少年の渾身の「幾旅の裁」は、すんでのところで防がれた――はずであった。しかし、バリは相手に向けた左の前腕に悪寒を覚える。


(……まだかッ?!)


 浮かされた刀身がピタリと止まる。

 少年が近い。

 青灰せいはいの瞳が、バリを見据えている。

 


たちのッ……!」


 「合わせ筒」の盾さえ意に介さない、少年の一意。次が初撃より強いことは明白。

 バリにはもはや、余裕はない。刺し貫くよりほかにない。少年の命を奪うしかない。

 即断さえすれば、「居合」でなくともバリは速かった。


ゆるせぇッ!!」


 しかし――。


「ッ?!」


 前方より飛来したによって、バリの左目が貫かれる。


「く、ぁアァあッ!」


 それは、指。明良の左手の中指であった。

 度重なる剣合けんごうと振りかぶりで縛りが緩み、皮も裂けかかっていたのであろう。それが此度このたびの渾身で、ついに身を離れたのだ。

 そして、その指は、斬撃の勢いと、先ほどより場に存在するにより、大師のまなこを射抜く弾となった。

 あまりに不測がすぎる凶弾。意表をいて奪われた視覚。

 バリのひと突きは、致命の狙いを外れ、少年の脇腹を削ぐだけに陥った。

 少年の突撃は、止まらない――。


かさねぇッ!!」

「ッ?!」


カァンッ!


 振り下ろされた剣撃は、少年の初撃とまったく同じ軌道であった。

 増幅の一撃がいまだ残るところに重ねられた、さらなる増幅。強力な斬れ味となった剣閃は、「神代遺物・合わせ筒」を斬り抜き、オ・バリの左腕に至った。


「っうぅ?!」


 雪中に、血飛沫が噴く。

 バリの手より、刀鞘の半身が零れ落ちる――。


「勝負あったな」


 高みより、ゼダンがわらった。

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