さまよう者らとラジオ放送 3

 識者しきしゃ大師ノ・タイバの離反りはん宣言。

 クミは「そんな」と呟いたきり、言葉を失ってしまう。


「……聞いたじゃろう? 司教ゼダンは健在。モモノはやぶれおった。わしらは一夜にして大罪人じゃ。大勢たいせいは決したんじゃ。『教主フクシロが率いる徒党』は、一敗地いっぱいちまみれきった」


 彼の言葉は、ネコからは血の気を奪い、教主には顔を覆わせ、波導はどうの少女たちには彼を睨ませるに及んだ。


「イバちん、ヒドいのん! そんな言い方、ないのん!」

「……ふん。跳ね返りよ。老害にはなまなかなそしりなぞ届かんぞ?」


 もう一度鼻で笑い、タイバはクミに向き直る。


「さぁ、クミ様よ。明かしてもらおう。言うておくが、儂は少し平手を振るだけじゃ。それだけでお前様らは天空よりの落ち鳥となること、忘れるなよ?」

「ぐぬぬぅ……」

「……下劣なジジイ……」


 歯軋りする波導の少女たちの隣、クミの目からは涙が零れる。


 「神世」から居坂いさかに現れて以来、クミには楽しいこと、悲しいこと、辛いこと――、様々なことがあった。

 どんな時も、生来の前向きさで小さなネコは歩いてきた。

 だが、今より無力を痛感させられたものはない。今より絶望をつきつけられたことはない。

 目の前の老人の無情さだけが悔しいのではない。

 すべて。

 美名が消え、明良あきらが消え、訳も分からず遁走とんそうし、嘘ばかりの罪を被り、それを白々と公言されている現状。

 あまりに一気に、苦境ばかりが襲ってきてやしないか。

 彼女の瞳はただ、ぽろぽろと落涙する。

 せめて、美名。

 旅の供連れ、大切な友人、想えば心が温かくなる、純心誠実な少女。

 彼女がこの場にいてくれたなら、どんなに心強いことか――。

 

 しかし、震えながら顔を落としたクミは、気が付いた。

 自身の首元、キラリと揺れる「指針釦ししんのこう」。

 大橋にて、タイバより返された神代じんだい遺物いぶつ

 主塔に向かうあいだ、とりあえずはとしまっていた「少年の髪の毛」をふたたび収め、美名が手ずから付け直してくれた、ネコの首飾り。

 その遺物の盤面、針が青く光り、一方向に向けて針先をとどめている。


(明良……! 明良が今、にいる……!)


 回転しない針は、少年の生存を確約する証。

 クミの折れそうになった心さえも導くかのようなその小さな針に、彼女は先ほどの「ラジオ放送」が始まる前、自身が言いかけようとしていたことを思い出した。

 空をさまよっているあいだ、彼女が思い起こしていた「とある考え」。

 この絶望をくつがえしうる、希望の糸口――。


「わかったわ……」


 ニクリとタイバが言い争う声のなか、クミは呟いた。

 耳ざとく聴きつけたタイバ大師が、ニヤリとしてクミに顔を向ける。


「ほう。聞き分けがいいのう、クミ様よ」

「クミちん、なんだかよく判らないけど、ダメだのん! イバちんの好きにするのはダメだのん!」

「……いえ、いいわ。『稼ぎ方』、話します……」


 「けど」と強く言って、ネコは顔を上げる。


「最後にお願いします。明良を探し出して来てもらえますか」


 ネコは四肢ししを折り、身を絨毯の上に伏せ、頭を下げた。

 その姿は、とても小さく頼りなさげな、黒い毛玉。


「なんじゃと……?」

「明良が戻ってきたら、そのときにお話しします。だから、お願いします、タイバ大師。お願い……」

「何を言っておる。小僧など、ゼダンめの『去来きょらい』に……」


 そこで、タイバ大師も「指針釦」に気づいたようだった。

 クミが伏せっているため、ちょうど絨毯の上に置かれたようになっており、その針先を読みやすい。

 数刻前、福城ふくしろより逃げ出した直後、ネコの首元のその首飾りの針は、。ネコがワァワァと騒ぎたてるときも、それに疲れたのか、おとなしくなってからも、変わらずにずっと

 しかし今、針先は一点に止まっている。明らかにを指し向いている。


「……その遺物か?」


 ノ・タイバは、「神代じんだい遺物いぶつ・指針釦」の性質を知っている。「針の回転」が「対象の死亡」を意味することも承知している。

 しかし、その「回転」は止み、遺物は針先を固めている。

 もしも、最前の「回転」が「死亡」ではなく、「対象が『去来の何処いずこか』にいる」ことを示していたのであれば、その「回転」が止んでいる意味は、すなわち、「対象が『何処か』から出された」――。


「……小僧を、『何処か』より出でた小僧を、その遺物を使って、連れ戻して来いと言うておるのか?」

「はい。移動手段と、魔名術の力。頼れるのはタイバ大師しかいないんです……」

「……クミ様よ。約束をたがえるのは道理にもとると思わんのか?」

「明良が戻るなら、絶対にお教えします。だから、お願い……」


 少女たちから恨みがましい目も向けられながら、タイバはなお頑固に「承服しかねる」と跳ねつけた。


「お願いです、タイバ大師……」

「ならん」


 小さな黒い毛玉が、さらに悲壮に縮こまっていく。

 黒毛からしたたしずくがポタポタと落ち、絨毯じゅうたんの布地に染みこんでいく。


「お願い……」

「……ならんと言うとる!」


 白髭の中、タイバ大師の唇も大きく歪んでいく。


「ホント……、どうか……」

「……」


 クミのか細い声のあとは、沈黙が長かった。

 

 時が止まったかのような場。

 そよりと絨毯の上を流れる風で、ようやくにそうでないと判るほどの沈黙。

 風に吹かれたのか、小さな涙の粒は流れて、「指針釦」の透き盤にポタリと落ちた――。


「……あぁああッ!」


 タイバはやおら頭を抱え、天を仰ぎ、騒ぎ叫ぶ。

 欲深で無情な老人は、小さなネコに根負けしたのだ。


「わかった、わかった、判ったわい! さも儂がいじめてるようで、ただでさえ悪い気分がもっと悪くなるわ!」

「……それじゃあ……」

「為すだけ為してやるから、その恐縮を解け、クミ様よ!」

「……タイバ大師!」


 ネコは顔を輝かせると、ピョンと老人に飛びついた。

 

「ただし、じゃ! まず間違いなくそうじゃろうが、小僧が捕囚になっとったり、針の向かう先が福城じゃったら、儂は手を出さん!」

「うん、うん!」

「少しでも危険を感じたら、すぐに戻ってくるぞ!」

「うんうん、うん!」

「クミ様もその時は観念して『稼ぎ方』を教授せいよ!」

「ありがと、ありがと、ありがと~ッ!」


 ネコは誰はばかることなく泣き笑い、老人の胸元に頬をすり寄せる。

 まだ、取り巻く事態は何も好転していない。

 ただ、「明良が戻ってくるかもしれない」というだけ。

 だが、クミはそれだけでも救われるような心地になれた。


「ほんと、ホント、本当、ありがとぉ~!」

「判ったから、離れい! 嬢ちゃんといい、クミ様といい、お前様ら、たぶらかしを常道にすると、そのうちに痛い目みるぞ!」

「おカネに汚いところはアレだけど、大好きよ、おじいちゃん!」

「いい加減にせい!」


 「ラジオ放送」からすると、窮地きゅうちもこれほどかときわまった現状。

 しかし、憎まれ口を叩きながらもけんが抜けた様子の老大師、彼の承諾を心から喜び、温かい涙を振り撒くネコ。

 ふたりのじゃれあうような姿に、飛び絨毯の上も少しばかりなごんだ空気になる。


 ちょうど、近くに差し掛かっていた天咲あまさきの山。

 本総大陸の最高峰。

 クミの指示で山の中腹に絨毯は降り、ふたたびの合流をこの場でと定め、一同は明良を探しにいくノ・タイバを見送った。

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