3話
薄暗く埃っぽい神殿の部屋の中。
私は嫌な記憶を払うように、大きく頭を振った。
――別に、単純に無能神のお世話をするだけなら、ここまで文句はなかったわ。
だけど、『聖女として神様に仕える』ということは、言葉通りの意味ではない。
相手は神様。
相手は敬うべき存在。
それはよく分かっていても拒絶するには、それなりの理由がある。
――だって、代役とはいえ……私には、婚約者だっているのよ!
神様に選ばれた聖女とは――すなわち、神の花嫁のことである。
お世話とはつまり、夜のお世話も含まれていたりする。
もっともこのあたりは、神様のさじ加減次第だ。
聖女に選んだけれど夫婦関係にない場合もあれば、それどころか人間の恋人を作っても良いと認めてくださる場合もある。
ただし、その場合も夫婦は夫婦。
神様と結婚した以上は、他の相手とは結婚できないのが常識だ。
――こっちは政略的な婚約なのよ? 結婚しないと意味がないのよ? 神様のせいで婚約破棄なんて、冗談じゃないわ!
たしかに私も、かつては聖女を目指していた身。
だけど、才能がないとわかってからは、諦めて伯爵家の令嬢として生きていくと決めたのだ。
婚約相手と仲良くしようというつもりもあったし、結婚してからも立派な貴族夫人になろうと思っていた。
それが、泥のような無能神との結婚で破談になるなんて、笑い話にもならない。
――お父様は、婚約も含めて『なんとかしよう』なんておっしゃったけれど……。
神々を敬い、聖女を擁する神殿は、国内でも強い権力を持つ。
一介の貴族が、やすやすと口を出せるとは思えない。
それ以前に、父は娘の私以上にアマルダを可愛がっている節があるから、どれくらい本気でなんとかしてくれるかもわからない。
――ここで……こんな汚い部屋で、無能神の世話をするなんて……。いつまで代役をすればいいの? どうして私が……。
「……あの」
「……本当に、どうして私がこんな目に」
「…………あの?」
「全部アマルダが悪いんだわ。昔から、いつもそう! 悪い子じゃないのだけど……」
悪い子じゃないけれど、不本意ながらずっと傍にいた身としては、できるだけ速やかに縁を切りたい相手だった。
アマルダは父の親友の娘ということで、家に遊びに来ることが多かった。
そんなときは、決まって父や兄、使用人たちまでみんなアマルダに夢中になったものだ。
そんなアマルダを取り巻く人々――主に男性陣を、私や姉は冷ややかに見ていた。
『エレノア。アマルダには気を付けなさいよ。特に、好きな男は絶対に近づけちゃだめだからね』
なんて、結婚して家を出て行った姉の言葉を思い出す。
『なにをしても、結局こっちが悪役にされるんだから。できるだけ関わらないのが正解よ。悪い子じゃないのかもしれないけど、いい性格だわ、あの子』
アマルダを好きになってしまったから――と言われて一度婚約が破談になった姉の言うことは重みが違う。
その後、もっといい相手を見つけて結婚した姉は強い。
「……そうね」
姉はアマルダの存在があっても、めげることなく新しい相手を見つけられたのだ。
その時も、アマルダは姉の今の旦那様――公爵閣下にいつもの感じで近寄って、『親友の恋人であるあなたを、支えてあげたいんです』『悩みがあったら何でも聞いてくださいね』とやらかしたらしい。
挙句、姉が邪魔をするなと注意をしたら、『そんなつもりはなかったのに、酷いわ』と泣いて、周囲には『何もしていないのにいきなり責められた』とか吹聴する始末。
『伯爵家のお嬢様を怒らせるなんて……きっと男爵家の私なんかが、出すぎた真似をしたんだわ。公爵様もお優しくて、よく私のお相手をしてくださったから、甘えてしまったのね』
と言っているのは実際私も聞いた。
いや本当にそう。
わかっているならやらないでほしい。
デート中の姉にわざわざ声をかけたり、そのまま奇遇だからとついて行ったり、男爵家だからと公爵閣下におごってもらったりとか、さすがにちょっとどうなのよ。
だというのに、アマルダに激甘な兄や父は『身分をかさに着て理不尽にアマルダを責めるとは何事だ』とか言い出して、あわや家庭崩壊の危機まであった。
だけど姉は強し。
今の旦那様とともに乗り越え、ついでにアマルダの味方ばかりの父に絶縁状も叩きつけて、無事幸せになることができた。
それもこれも、ひとえに姉が前を向き続けたからこそである。
――うん。
姉のことを思い出し、私は大きく息を吸い込んだ。
ちなみに姉、実家とは絶縁状態だけど、私とは普通に手紙のやりとりをするくらい仲が良い。
――見習わなくちゃ!
「今さらうじうじ言っても仕方ないわ! こうなった以上は、やることはやるわよ!」
おー! と内心で声を上げつつ、私は強く拳を握りしめる。
「とりあえず! 今日は最低限、神様に挨拶だけでもしておかないと! 話、通じるかわからないけど!!」
「……私に挨拶、ですか?」
「はい!!!!」
と力いっぱい返事をしてから、ふと気づく。
……はい?
今の声、どこから聞こえた?
慌てて辺りを見回すけれど、周囲の景色は変わらない。
埃まみれの神殿の一室。
日当たりの悪い窓に、粗末な家具。
そして、うごめく巨大な泥の山――――。
――…………ええと。
まさか、ね。
「……神様?」
私の言葉に、泥の山がひとつ大きく体を揺らした。
まるで、会釈でもするかのように――。
「はい、はじめまして。あなたの言う神様です……たぶん」
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