48話

 なんという大迷惑。

 なんという思い込み。

 悔やんでも悔やみきれず、私は平身低頭謝る他にない。


「一人で悩んで、勝手に疑って、本当にすみませんでした……!」

「い、いえいえ、エレノアさん。そもそも急に姿が変わってしまったのは私の方で……!」


 必死に頭を下げる私に、神様の方こそ申し訳なさそうにそう言った。

 慌てて椅子から立ち上がる気配がするけれど、下を向く私にはその姿は見えない。

 どんな顔をしているのか、確認する勇気も出なかった。


「ええと……自分で言うのもおかしな話ですが。……記憶もなく、姿が変わった理由もわからない相手を疑うのは、無理もないと思いますよ」


 弱い神と言えば私ですしね、と慰めるような声がする。

 しかし、私は頭を下げたまま首を横に振った。


「で、ですが! 昨日の夜、ルフレ様が宿舎に来て、いろいろ話してくださったんです! そもそも『弱い神』自体、神殿にいらっしゃる神々とは限らないってことも!」


 ルフレ様曰く――。


『ソワレだって、神殿に暮らす神くらいは覚えているはずだ。誰だかわからないっていうなら、よそから流れ着いた神か――あるいは、単なる精霊だって力を付ければ多少の神気は宿せるぞ』


 ということである。


 冷静になって思い返せば、ソワレ様が言ったのは、『穢れの中に神気を感じる』から『弱い神が悪神に堕ちた』というだけだ。

 相手がこの神殿の神様とは言っていない。

 それ以前に、神様であるとすら断定していない。


 他国にだって神々は数多くいる。

 国で祀られていない、名のない神々だって多い。

 それに、精霊でも神気を宿せるのならば――神様よりも弱い存在なんて、それこそ山のようにいるはずだ。


 ――神様への疑いが、完全に晴れるわけじゃないけど。


 神様の姿が変わったことや、エリックがいなくなった時期を考えると、神様への疑念を消しきることは難しい。

 今も頭の片隅では、神様と神殿の穢れがまったくの無関係とは思えずにいる。


 だけど少なくとも、悪神である可能性は限りなく小さくなったはずだ。

 穢れの中に含まれている神気の持ち主が別にいるならば、神様本人が穢れを生み出しているとも考えにくい。

 無関係――とまでは思えなくとも、それだけで少し気が楽だった。


 もっとも、そうなると本物の『穢れの中に含まれている神気の持ち主』はいったい誰だなのかという問題が出てくるけれど――今はひとまず、横に置いておいて。


「勘違いして、早とちりしていました。落ち着いて考えれば、わかってもよかったはずなのに……!」


 少なくとも、『弱い神』が神殿の外から来たという可能性は、私でも気づけたはずだ。

 他の可能性に気がつければ、もしかしたら多少は気持ちも落ち着いて、誰かに相談するくらいの余裕はできたかもしれないのに。


「一人で考え込みすぎて、冷静でなくなってました! い、いえ、いつも冷静かというと怪しいですけど……!」

「…………エレノアさん」


 恐縮する私に呼びかけると、神様は短く息を吐いた。


「私のために悩んでくださっていたんですね」


 優しい言葉に、私ははっと顔を上げる。

 視線が合った瞬間、彼はやわらかく目を細め、ゆっくりと歩き出した。


「私を疑うことを、エレノアさんは悩んで、迷って、苦しんでくださったんですね」


 朝の光の中を、一歩、一歩と私に向けて歩み寄る。

 彼の顔に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。

 思いがけないくらいに優しい表情だった。


「疑惑は決めつけとは違います。本当に犯人だと確信していたなら、『疑う』ということすらしません」

「神様……」


 ぽつりと呟く私の前で、神様は足を止めた。

 真正面。ちょっとぎょっとするほど近い距離。

 神様は私を見下ろし、端正な口元を笑みの形に変える。


「私を信じたいと思うから、迷っていらっしゃったのでしょう?」


 日の光を背に、金の瞳が私を映す。

 少しも責める気のない、穏やかな目の色に、私は魅入られたように立ち尽くした。

 甘いくらいの微笑みに、なぜだか――ぎくりとしてしまう。


「私のことで、エレノアさんがずっと悩んでくださったことが、私は嬉しいんです」


 言葉通り、神様は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 はにかんだような頬には、かすかに赤みが差している。

 窓から吹く風は暖かく、神様の髪をさらっていく。


 揺れる金色に目を奪われかけ――私は慌てて、内心で首を振る。


「い、いえ! さ、さすがにそれは優しすぎます! 甘すぎます!!」

「甘い、ですか」


 瞬く神様に、私は大きく頷いてみせる。

 自分のことながら、私は神様に無実――かどうかは確定していないけど、とにかく疑惑をかけた身だ。

『疑ってなにが悪い』という気持ちは、あくまで疑う私の心構えであって、疑われた側は怒ってしかるべきなのだ。


 というか、怒ってもらわないと私が申し訳なくて仕方がない。

 あまり甘やかされると、変に勘違いしてしまいそうになる。


「ええと、か、神様はもっと怒るべきですよ! そんな誰にでも優しくしたら、相手も付け上がって――」

「いいえ」


 私自身をいましめるつもりで言った言葉を、神様は短く否定する。

 口元にかすかな笑みを浮かべたまま。

 彼は当たり前のように私に手を伸ばし、手に持っていたままの朝食のトレーをさりげなく受け取ると――。


「誰にでもじゃなくて、エレノアさんに優しくしたいんですよ」


 やっぱり当たり前のように、そう言った。

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