11話

「わたくしですわ! あなたの聖女です! 何度お部屋を訪ねても会ってくださらなかったけれど……ようやくわたくしに会いに来てくださったんですね!」


 廊下に声が響き渡る。

 おそらく、ルフレ様の神気を追ってきているのだろう。

 だんだん足音が近づいてくるのがわかった。


「クソ! どこ行っても追いかけてくるな、あの女!」

「もがががが……?」


 口をふさがれつつ、ルフレ様の顔をちらりと窺う。

 先ほどまでの生意気そうな笑みは失せ、鋭利な美貌が苦々しく歪んでいる。

 一応は妻でもある聖女に向ける表情とは思えない。

 本気で、嫌がっているように見えた。


「ルフレ様、お傍にいらっしゃるのはわかっていますわ! ここの部屋? それともこっち? もう! いたずらが大好きなんですから!」


 外の聖女は、そう言いながら扉を一つ一つ開けているらしい。

 順々に音が近づいてくるのは、こうしてみるとなかなかに恐怖だ。


「もが……る、ルフレ様……! 呼ばれていらっしゃいますよ!」


 どうにか口を押さえる手を引き剥がし、私はルフレ様にそう呼びかけた。

 自分の聖女だし、会いたがっているようだし、ここは会いに行くべきではないのだろうか。

 ……という気持ちもあるし、この状況。

 ベッドの上で、不本意ながら密着している今の様子を見られたら、もしかしてとんでもない誤解を受けるのではないかという不安もある。


 しかし、ルフレ様は険しい顔のままだ。


「黙ってろ!」

「で、ですが……!」


「――ルフレ様ぁ! ここですか!? わたくしの目は誤魔化せませんよぉ!」


 今まさに、部屋の扉を叩かれているんですけど!

 人の部屋だというのに、容赦なく取っ手をガチャガチャされているんですけど!

 か、鍵をかけておいてよかった……!


「いるんでしょう? いるんですよね!? ええ、間違いありませんわ! 鍵をかけても無駄ですわよ!」


 ――こわっ!


 外の聖女は、扉を叩き壊さんばかりにドンドンと叩いている。

 このまま黙っていても、諦めてくれるとは思えない。


「い、一度出て話をされた方がいいんじゃないですか? ルフレ様をお呼びですし……」

「絶対にいやだ! 出るんだったらお前ひとりで出ろよ! でも、俺がここにいることは話すなよ!」


 ええ……それ私一人が貧乏くじじゃないですか!

 とは思うけど、もしここで『ルフレ様いますよ』なんて言ったらどうなるか、火を見るよりも明らかだった。


 ――ぜっっったいに誤解される!!!


 これ、浮気現場と見られて修羅場になるやつだ。

 ルフレ様は、もう私一人に対応を任せ、シーツを被ってベッドの上に丸くなっている。

 狭い部屋だから他に隠れる場所がないのはわかるけど……隠れられていませんよ。

 それ以前に神様、自由にあっちこっち出られるんじゃないんですか。


 ……などと言いたいことは山ほどあるけど、とにもかくにも、一度荒々しいノックを止めてもらわなければならないのだ。

 ベッドの上にルフレ様を残し、私はおそるおそる部屋の扉に手を掛けた。


「ルフレ様!」


 扉を開けた途端、満面の笑みの少女と目が合った。

 声から予想した通り、この宿舎に寝泊まりしている少女の一人だ。

 ついでに言うと、いつだったか私に水をかけた少女の一人でもある。

 あれ以降もちょくちょく嫌がらせをされるので、神官に掛け合ったことがあるが――まったく聞いてもらえなかったのは、彼女が序列の高い神様の聖女だったからだろう。


「こんばんは。なにか用かしら」

「は?」


 私が外に出た途端、少女の顔が歪む。

 先ほどまでの笑みは消え、嫌悪感もあらわに私を睨みつけた。


「なにここ、泥臭い部屋じゃない」

「悪かったわね」


 いきなりのご挨拶に、私もムッと顔をしかめる。

 数日神殿で生活し、『無能神の聖女』という扱いに慣れてきたとはいえ、腹が立つものは立つのだ。


「ルフレ様はこの部屋にはいらっしゃらないわよ。他を当たって」

「そうね。こんな薄汚れた部屋にいるわけなかったわ。美しいルフレ様の光が陰ってしまうもの」


 ふん、と鼻で笑うと、少女は一度だけ私の部屋を一瞥した。

 他の部屋と、作りのほとんど変わらない部屋の中。

 膨らんだベッドシーツに気付いた様子もなく、彼女は小馬鹿にしたように肩を竦めた。


「ルフレ様は無能神とは格が違うもの。あんな汚物の神気をまとった聖女になんか、近づきたいと思うはずもなかったわ。わたくしったら、うっかりね」


 そう言い捨てると、少女はそのまま、謝罪の一つなく部屋に背を向ける。

 そうして再び「ルフレ様ぁ」と呼びかけつつ、あちこちの部屋を回り始めた。


 私は、そんな少女から逃げるように扉を閉め、深く長い息を吐いた。


 ――あれじゃあ、そりゃあルフレ様も逃げたがるわ。


 でも、そんなあの子も聖女なわけで、つまりはルフレ様が選んだわけで――。


 ……言ってはいけない。

 言ってはいけないと思いつつ――――。


「――ルフレ様の趣味、わっる!!!!」


 私の口は正直だった。正直すぎて大きな声が出てしまった。


 いやでも、私ここ数日で、あの子にさんざん嫌がらせされてきたのだ。

 水もかけられたし、嫌味も言われたし、そばを通るだけで『やだぁ、なんか泥臭くない?』とか言って鼻をつままれたし。

 ちょっとくらい文句を言う資格はあると思う。


 と思いつつ、ベッドで丸くなっているルフレ様には聞こえないよう、私は口の中で小さく愚痴を吐く。


「あの子を聖女に選ぶとか、物好きすぎるわよ。聖女は清らかなのが条件じゃなかったの? ……まあ、見た目はちょっと、だいぶ、かなり可愛いけど――」


「選んでねーよ」


 聞こえないようにつぶやいたはずの独り言に、不意に不機嫌な声が返ってくる。

 驚いて振り返れば、いつのまにかルフレ様が、私のすぐ後ろに立っていた。


 笑っているようで――目の笑っていない、冷淡な微笑を浮かべながら。


「俺は聖女を選んでないんだよなあ。あいつが――あいつらが、勝手にそう名乗っているだけで」

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