17話

「さっきからあなた、無礼にもほどがあってよ!? 急に割り込んできたと思ったら、どういうつもり!!」

「どうもこうも、本当のことじゃない! 自分が器用だとでも思ってるの!?」

「そっちじゃなくってよ!!」


 リディアーヌは苛立ったように首を振り、私に向けて顔をしかめた。

 鋭すぎる赤い目をさらに吊り上げ、眉間にしわを寄せて私を睨む彼女は――言ってしまったらなんだけれど、やっぱり善人顔とは言い難い。

 ……などと思う私を睨み、リディアーヌは「やってられない」と言いたげに荒く息を吐く。


「あなた、文句を言うために来たの!? だったら聞いている暇はなくってよ! これはわたくしとアマルダ・リージュの話なのだから、引っ込んでなさい!」

「……そうよ、ノアちゃん」


 荒々しいリディアーヌの声に、不意に横から同意が来る。


「ごめんね、今は大事な話をしているところなの」


 静かだけれど、声は妙によく通る。

 振り返りたくないけれど、目を向けないわけにもいかず顔を向ければ――やはり。

 両手を胸に当て、困った顔で首を振るアマルダの姿があった。


「ノアちゃんの明るいところは大好きだけど、今はふざけている場合じゃないのよ。これは、聖女としてまじめに話さなきゃいけないことなの」

「アマルダ……!」

「ノアちゃんにとっても、無関係な話じゃないのよ。ノアちゃんも今では立派な聖女なのだし、それに――」


 そう言って、アマルダは一度目を伏せた。

 どことなく言いにくそうに口を閉ざし、少しの間視線をさまよわせ――だけど、意を決したように顔を上げる。


「……それに、ノアちゃんの婚約者さんにもかかわる話なのよ。いなくなったあの方のためにも、リディちゃんに罪を償ってもらわないと……! そうでなければ、ノアちゃんの婚約者さんが報われないでしょう!?」

「は……」


 と口にしたまま、私は凍りついた。

 思わずまじまじとアマルダを見れば、彼女はなんの悪気もなさそうに、涙目の上目づかいで私を見つめている。


「ノアちゃんのためでもあるのよ……! わかるでしょう!?」


 そうして叫ぶ彼女の言葉に、私は息をのむ。

 何度瞬きをしてアマルダを見つめても、彼女の態度は変わらない。

 いっそのこと嫌味っぽい顔くらいすればいいのに、相変わらず泣き濡れた目で、真剣に私を見つめているのだ。


「ノアちゃん!」


 少しも悪びれず、罪悪感すらもなく――真剣に、私のためだと言っているのだ。


 ――は。


 アマルダを見つめたまま、私は一つ息を吸う。

『アマルダには気を付けなさい。なにをしても、結局こっちが悪役にされるんだから』なんて言っていた姉の言葉も、今の頭には浮かばない。

 完全に平静さを失ったまま、私は口を開き――。


「はああああああ!? ふざけないで! アマルダがそれを言うわけ!?」


 エリックが行方不明で、それが私の婚約者だった。

 それは事実その通り。

 私は無関心でも無関係でもいられないし、犯人がいるなら罪を償ってほしいとも思う、が。


 ――誰のせいでエリックとの婚約が破談になったと思っているのよ!


 それをアマルダから言われるのだけは耐えられなかった。


「なにが『婚約者さん』よ! 都合のいいときだけ、エリックの名前を出すんじゃないわ!!」

「ノアちゃん……! 都合がいいときなんて……私は……!」

「冤罪で終わったら、それこそエリックが報われないわ! リディが原因だっていう証拠はあるの!? 誰か、あの子が穢れを生み出したところを見たの!?」


 目に涙を溜めるアマルダも気にせず、私は叫ぶようにそう言った。

 だいたい、エリックの名前を出すどころか、アマルダはさっきから彼を『婚約者さん』扱いだ。

 アマルダのために婚約まで破談にしておきながら、未だ私の婚約者扱いなんて、ますますエリックが報われない。


「エリックのためって言うなら、勝手な憶測でものを言わないで! リディが原因なわけがないじゃない! 疑うなら、それなりの証拠を出してみなさいよ!!」

「憶測だなんて、ノアちゃん……! ちゃんと理由は言ったのに、ひどいわ!」


 言ってない!


 と私が言うよりも先に、アマルダは傷ついたようにわっと泣き出した。

 背後の神官たちが慌てて駆け寄り、泣き崩れるアマルダを慰めながら、私をぎろりと睨みつける。


「なんて無礼な! グランヴェリテ様の聖女アマルダ様を相手に!」

「お前……無能神の聖女だな! 神殿のお荷物が、出過ぎた口を!」

「アマルダ様のお情けで聖女になったくせに、恩知らずが!」


 ――誰が恩知らずよ!!


 アマルダに恩を受けた覚えは一切ない。

 無能神の聖女も、神殿のお荷物も、すべてアマルダが押し付けてきたものだ。


 だというのに――――。


「みんな、やめて」


 アマルダは涙で頬を濡らしながら、自分を囲む神官たちに首を振ってみせる。

 いかにも慈悲深い、聖女のように。


「ノアちゃんは私の親友なの。少し誤解があって、行き違っちゃっているだけ。責めないであげて」

「誰が……!」


 親友? 誤解? 責めないであげて?

 どこから怒ればいいのかさえ、もうわからなくなってくる。


「ノアちゃんも本当は、優しい子なのよ。神様に選ばれることはできなかったけれど――神様を思う気持ちは、私たちと変わらないわ。始まりは代理でも、今は立派なクレイル様の聖女なのよ」


 ね、とアマルダが微笑めば、神官たちが口を閉ざす。

 苛立ちに頬をひきつらせる私も目に入らない様子で、彼らは感嘆の息を漏らした。

 さすがアマルダ様――なんて腹立たしい声が口々に聞こえてくる。


 そんな中――。


「……なるほど」


 一人の神官が、アマルダの前に歩み出る。

 でっぷりと太ったその神官の姿に、私は未だ怒りの冷めない頭を持ち上げた。


 ――この人、たしか……。


 肉厚な体と、高位の神官であることを示す服に、ぼんやりと見覚えがある。

 たしか――いつか、食堂で私たちに怒鳴りつけた、神殿の上層部のお偉い様だ。

 若い高位神官は珍しく、印象に残っていた。


「アマルダ様のお気持ちは痛いほどによくわかりました。さすがはグランヴェリテ様のお選びになった聖女。こんな下位の聖女にまで慈悲をかけるとは、なんとお優しく、澄んだお心をお持ちでいらっしゃることか」


 だけど、良い印象はまったくない。

 彼は同時に、アマルダの取り巻きとしても有名だ。

 媚びるように手を揉む神官の姿に、私の中の印象はますます下がっていく。


「ならば――」


 そう言って、にちゃあ……と音でもしそうな笑みを浮かべたとき、彼への印象は最底辺を突き抜けた。

 恐ろしく底意地の悪い笑みで、彼は私に一瞥をくれる。


「ならば、アマルダ様のお心に免じて、機会を与えてみてはいかがでしょう」

「……機会?」


 と私が呟いても、彼はもうこちらを見ない。

 アマルダへ媚び媚びの視線を向け、ねっとりと目を細める。


「リディアーヌ様が犯人でないことを、あれに証明させるのです。アマルダ様に証拠証拠と言うのですから、きっとあちらも証拠を示せるはずでしょう?」

「証明……って! 私が!?」


 ぎょっと声を上げれば、神官はようやくこちらを向く。

 その表情に、アマルダに向けていた媚は感じられない。

 肉に埋もれて表情は見えにくいけれど――顔に浮かぶのは、あからさまな侮蔑だった。


「できないのか? 威勢のいいことを言っておきながら、薄情なものだな」

「な……!」

「所詮、アマルダ様以外の聖女なんてこんなものか。態度だけは立派でも、アマルダ様と違って実際にはなにもできないし、やる気もないと」


 ひく、と再び頬がひきつった。

 やれやれと首を振る神官の姿に、周囲の景色も見えなくなる。


 ――薄情? 態度だけ?


 喧騒が耳から遠ざかる。

 もともと熱を持っていた頭は、今は完全に冷静さを失っていた。

 ただ、神官の言葉だけが頭に響き、嘲笑する彼の姿だけが目に入る。


 背後でリディアーヌが、慌てた声で制止しているような気がしたけれど――。


「――いいわ」


 もう止まらない。

 私は嘲笑する神官を見上げると、周囲にも聞こえるような声で言った。


 ……言ってしまった。


「やってやるわ! 見てなさい! 私が、リディが犯人じゃないと証明してやるわよ!!」


 視界の端。

 人だかりの輪に紛れて、マリとソフィがますます頭を抱えているのを見たのは、気のせいだったと思いたい。

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