5話

「神様! どうされたんですかそのお顔!」


 私はようやく食事のトレーを置くと、慌てて神様に駆け寄った。

 神様は、真正面に私が来てもなお、呆けたように目を見開き、顔を赤くしたままだ。


「熱でもあるんですか!? 風邪を引かれました!?」

「熱ですか? 顔……?」


 動転する私とは裏腹に、神様は自分の顔色に自覚がないらしい。

 不思議そうに頬を撫で、熱を確かめるように額に手を当ててから、驚いたように瞬いた。


「あ、あれ、おかしいですね。どうしてでしょう」

「どうしてって、どこか体の調子でも悪いんじゃ……!」

「い、いえ。どこも悪くはないのですが……」


 そこで、神様は一度言葉を詰まらせた。

 手は自分の顔に触れたまま。視線は落ち着かずにさまよったまま――彼は、彼自身でも心底信じられないという様子で、こう言った。


「…………はい?」

「あの闇の子が私の傍にいるのを見たとき、口づけを止めようとしたとき、エレノアさんから穢れを感じました。かすかですが、まぎれもなく暗く重い、苦しみの感情です」


 それは、神様がその身に引き受けている感情だ。

 かつてうっかりどろどろ状態の神様に触れてしまい、穢れに呑まれかけた私は、その重みをよく知っている。


「決して良い感情ではありません。大きくなれば人の心では抱えきれず、あふれ出してしまうものです。……喜ばしいはずがないのに。喜ぶべきものではないはずなのに」


 神様は言いながら、自分の顔を手で覆う。

 それでも赤い耳は隠せない。

 手の隙間から覗く表情は――困惑と恥じらいの入り混じる、抑えきれない笑みだった。


「あなたに妬いていただけたことが、どうしてか、たまらなく嬉しいんです」

「妬い……!?」


 神様の言葉に、私はぎょっと身をのけぞらせた。

 私が妬いているって?

 いったい誰に――――なんて、考えるまでもない。

 思い当たるのは一人――いや、一柱しかいなかった。


 ――私……ソワレ様に妬いていたの……?


 違う、とは言えなかった。

 だってそうでなければ、どうしてあのとき、私はソワレ様の口づけを止めようとしたのだろう。

 無抵抗な神様に、腹を立てたのはなぜだろう?

 神々同士のやり取りに、人間が口を挟む筋合いなんてないはずなのに。


「う…………」


 いつの間にか顔を覆う手をどけて、気恥ずかしそうに私を窺い見る神様に、思わずうめき声が出た。

 赤い神様の顔を見ているせいか、私の顔まで赤くなっていく気がする。


「……ええと、エレノアさん。あの闇の子は挨拶に来ていただけで、私と特別なにかがあるわけではありません。口づけも……エレノアさんがお嫌でしたら、次からはしっかり断りますので」


 神様はそこで、一度言葉を切る。

 小さく息を吸い、緩んだ顔を引き締めるように口を結び――だけど、頬は染めたまま。

 彼はまっすぐに私を見つめて、生真面目な声で言った。


「安心、していただければと思います」

「…………はい」


 神様を見つめ返せず、視線を落としたまま、私はどうにか短い返事を絞り出した。


 頬が熱くて、頭の奥まで熱くて、たまらなかった。

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