22話

 リディアーヌは怒っている――というよりは、珍獣でも見つけたかのような顔で、しばし唖然と私を見やる。

 それから眉間にしわを寄せ、かすかに潤んだ瞳で私を睨みつけた。


「…………わたくしを馬鹿にしているの?」

「い、いや! そういうわけでは……!」

「なら、話を聞く価値もないということ? ……いえ、そうね。勝手に話し出したのはわたくしの方だわ」


 目尻をさりげなく拭うと、リディアーヌはかすかにのぞかせた感情も消し、すました顔を作り出す。

 どことなく仮面めいた表情から口にするのは、突き放すような冷たい声だ。


「別にあなたに聞いてもらう必要もなければ、あなたが聞く義理もないもの。馬鹿なことを口にしたわ。忘れなさい」

「そうじゃなくて――ああもう! そういうところ!」


 弱気さをすっかり隠し、いつものツンとした態度を取り戻してしまったリディアーヌに、私は思わず頭を掻く。

 いやまあ、たしかに私の言い方は悪かった。

 ああいうとき、私じゃなくて神様だったなら、きっと優しい言葉もかけられたのだろう。


 でも、私は神様ではないし、空気を読んで上手いことを言える人間でもない。

 それにいくら私だって、意味もなくあんな言葉を口にしたわけではないのである。

 私なりに、リディアーヌを言ってやりたいことがあるのだ。


「リディ、あなた、誰かに愚痴を言ったこととか、ないでしょう!」

「愚痴? そんなこと、言うわけないでしょう」

「やっぱり! じゃあ、誰かをアドラシオン様の屋敷に呼んだことは!?」

「ないわ。必要ないもの」


 ――でしょうねえ……!


 想像通り過ぎるリディアーヌの返答に、私は「ああー……」と声を漏らす。

 ストイックな性格だとは思っていたけれど、さすがに気を張りすぎである。

 私なんか、婚約破棄の手紙が来てすぐに、神様に日が暮れるまで愚痴を吐いたくらいだというのに。


「それがどうしたのよ」

「どうしたもこうしたも!」


 ない!――と一歩踏み出せば、リディアーヌがぎょっとしたように後ずさる。

 逃すまいと逃げる彼女の両手を掴み、私は彼女の顔を見上げた。


「あなた、今のことをアドラシオン様に言いなさいよ!」

「は……はあ!? なにを言って――!」

「どうせ、一人でずっと考えていただけでしょう? たしかに、言い出しにくい気持ちはわからなくもないけど、だったらさりげなく――だとアドラシオン様は気付かなさそうだから、ズバッといくしかないわ! 諦めなさい!」


 まあ私、アドラシオン様のことそんなに知らないけど!

 ルフレ様の話を聞く限りだと鈍そうだし、勘が良ければリディアーヌがこんなに悩むこともないだろう。


「今すぐにとは言わないわ。でもいつまでも悩むくらいなら、絶対に言った方がいい! 悪い結果にならないもの!」


 ぎゅうっと両手を掴む私に、リディアーヌは目を見開く。

 驚いたようにしばしそのまま瞬き――だけど、その表情が徐々に歪んでいく。


「……なによ」


 少しの沈黙のあと、出てきたのは低い声だった。


「人の気も知らないで、勝手なことを言わないで……!」


 押し殺したような声が、周囲に静かに響き渡る。

 私を見つめる視線は険しく、射殺そうとでも言わんばかりだ。


「言えるわけないでしょう! わたくしはあの方の何者でもないの! ただ、神殿を変えるために選ばれただけなのよ!」

「リディ、でも!」

「でもじゃないわ!」


 私の言葉を遮り、リディアーヌは声を荒げる。

 眉根を寄せ、肩を震わせ、私に向けるのは――本気の怒りだ。

 夜の空の下。彼女は感情もあらわに、私を睨みつける。


「あなたに――」


 荒い呼吸と共に、彼女は言葉を吐き出した。

 一度奥歯を噛みしめ、息を吸い込み――それから。


「あなたに、わたくしのなにがわかって!? よくも簡単に言えたものだわ!」


 強気な態度とは裏腹に、泣き出しそうな声で叫んだ。


「わたくしの気持なんて、なんにも知らないくせに!!!」


 それは傲慢で高飛車、いつも気丈な彼女の本心。

 誰にも明かせない、むき出しの心の声。


 ――リディアーヌ。


 拒むように頭を振り、私の手を振りほどこうとする彼女を見やり、私もまた息を吸う。

 夜の空気を胸いっぱいに吸い込むと――。


「――――知らないに決まってるでしょうが!!!!」


 私は、もがく彼女の手をさらに強く握りしめた。

 冷たい指先を両手の中に閉じ込め、逃げ出そうと逸らす瞳をまっすぐに見据える。


「だってあなた、なにも言わないんだもの!! それでわかれって言う方が無理でしょう!!」


 言われなければ、誰も何もわからない。

 だからこそ私も、きっとアドラシオン様だって――。


「相談してくれればいいのよ! 愚痴だっていいわ! 価値とか義理とかじゃなくて――」


 別に理由がいるわけではない。

 見返りが欲しいわけでもない。

 これは、もっともっと単純な理由。


「あなたが話したいときに、話してくれればいいのよ。それくらい、私はいくらでも聞けるんだから!」

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