34話

「体型のことはほっとけ。食べるくらいしか楽しみがねえんだよ」


 レナルドは不愉快そうに鼻を鳴らすと、再びソワレ様の横に腰を下ろした。

 地上からの騒ぎ声は、前よりもさらに遠くなって聞こえる。

 地下を貫く穴に人が近づいてくる気配もなく、私は観念してその場に座り込んだ。


 そのまま、ついつい見てしまうのは、暗闇に浮かぶレナルドの影だ。

 不機嫌な渋い顔をしつつも、ソワレ様に気遣わしげな目を向ける巨漢の姿に、私はどうにも違和感がぬぐえない。


 ――レナルドが『王子様』であることを疑うわけではないけど。


 けど。

 今までの彼の態度と言動に、どうしても納得できないことがある。


「……だったら、男好きだなんだって言ってたのはなんだったのよ」


 あまりソワレ様とレナルドのことを知らない私が文句を言うのもなんだけれど、これを言われて傷つかない女性はいないだろう。

 相手が好きな人なら、なおさらである。

 あり得ないとは思うけど――絶対にありえないけど、万が一神様にそれを言われたら、私だったら寝込むほどに落ち込むはずだ。


 なんてことを考えながら、じっとりとレナルドを見据えれば、彼はばつが悪そうに口を曲げた。

 そのまま、しばらく無言で私を睨み返し、なんとも苦々しく奥歯を噛み――。

 根負けしたように、「ちっ」と短く舌打ちをした。


「……当てつけだよ」

「当てつけ?」


 瞬く私に、レナルドは片膝を立てて頬杖を突く。

 声はなんとも苦々しい。


「お前も知っているだろう? こいつが若い神官に色目を使っているって、さんざん言われてるからな」


 その話は、たしかに私も聞いたことがある。

 見習い聖女時代から、聖女の間でのソワレ様の評判は最悪だった。

 聖女には見向きもせず、若い神官ばかりを相手にしているおかげで、すっかり『男好き』だの『手が早い』だのと陰口を叩かれるようになっていたのだ。


「あれはあながち間違っちゃいねえよ。俺も見習いのころに引っかけられたクチだ」

「引っかけられた、って――」

「こいつ、新入りどもの穢れを受け止めてんだ。神殿の理想と現実で、一番折れやすい時期だからな」


 そんな言い方はないだろう――と言いかけて、私は続くレナルドの言葉に声を呑んだ。

 新入り神官の穢れを受け止めている?


「それで、向いてないやつ――純粋で染まりやすい連中に、とっとと止めろって忠告してるんだ。こいつはアホだから、逆効果だってのがわかってない。傷ついたところに手え握られて、そんなこと言われたらな」


 手を握るのは穢れを受け止めるためで、深い意味はないのかもしれない。

 でも、心折れた若い見習い神官にとっては、まさしく女神の所業だったはずだ。

 純粋な人間であるならなおさら。

 余計に神様のため――ソワレ様のためにと躍起になってしまっただろう。


「やめろって言っても聞きやしねえ。どうせ最後には神殿に染まるだけなのにな」

「なんでそんなこと……」


 思わず口から漏れた疑問に、レナルドが「ハッ」と乾いた笑い声を上げた。

 視線をソワレ様に移し、ひどく皮肉げな笑みを浮かべて見せる。


「他の神が神官を気にかけないからだってよ」

「…………」

「曲がりなりにも聖女なら、神は気にせずにはいられない。今の神殿じゃ、神官も聖女もそんなに変わんねえのに」


 選ばれていない偽聖女。神々を序列付けし、扱いを変える神官。

 たしかに、神々にとってはどちらも気にかける価値はないのかもしれない。


 それでも、神様は聖女を見捨てずにいてくれていた。

 マリとソフィの神様は、ロザリーに襲われたときに二人を守ってくれた。

 ルフレ様だって、はじめのうちはロザリーをたしなめようとしていたと聞いている。


 でも、神官たちにはそんな相手はいない。

 同じように、神々に仕える身のはずなのに。


「『誰かが見てあげないと』――だとよ。……この馬鹿女、どれだけ若い連中を引っかけるつもりだ」


 吐き捨てるように言うと、レナルドは口を引き結ぶ。

 無言でソワレ様を見つめる彼の横顔は、罵るような言葉とは裏腹に、ひどく苦々しい。

 思いつめたような目の色も、握りしめられた拳も――彼の口にする言葉が、言葉通りの意味ではないと告げていた。


 ――本当に……大切に思っているんだわ。


 そうと気が付くと、今までの行動も少しばかり意味が違って見えてくる。


 ――不遜だったんじゃない。


 ソワレ様のことを大事にしているからこそ、彼はソワレ様に頼らずに穢れを払う方法を考えていたのだ。


 ソワレ様も、きっとそのことをわかっている。

 わかっているから、無茶をしている姿を見せたくなくて――心配をかけたくなくて、あの雑木林の中で、レナルドに会う前に去って行ってしまったのだろう。


 ――でも、そうなると。


 一つだけ、納得のできないことがある。

 恐ろしく単純で、だけどなによりも大きな疑問だ。


 そんなに、互いに大切に思っているのならば――。


「……どうして、あなたが聖女にならなかったの?」

「それを聞くか?」


 私の問いに、レナルドは顔を持ち上げた。

 私に向けられるその表情に、思わず私は肩を竦ませる。


「神殿にいて、わからないか、お前?」


 彼の顔に浮かぶのは、ひどく――こちらが怯むほどに、ひどくいびつな笑みだった。


「お前なら、神託なんてなんの意味もないってことくらいわかるだろ。なあ、無能神の『代理』聖女様?」


 歪んだ笑みを浮かべながら、レナルドは嘲るように言った。

 肉に埋もれた目が細められ、今にも笑いだしそうに見える。


 でも、愉快なわけではないのだろう。

 そのことだけは、見ていてすぐにわかった。


「神託を受けたところで、連中が素直に従うわけがないことは、お前もよく知っているだろう」

「それは……そうだけど……」


 神々の言葉は絶対。神託で選ばれたなら、王であろうが奴隷であろうが聖女になる。

 身分も才能も問われない、神様の選択なのだ――。


 なんてことを、今さら正直に受け止めることは、いくら私でもしない。

 神託を偽っていることはルフレ様から聞いているし、実際にこの神殿で、自分を選んだはずの神様に会えない聖女はたくさんいる。


「でも、ソワレ様よ? 序列も高いし、神殿を助けてくれる方なのよ?」


 自分の神様をこう言うのもなんだけど、『無能神』と蔑まれる神様とソワレ様とでは、神殿の扱いがまるで違う。

 他の神々と違って積極的に助けてくれるソワレ様は、神殿にとっての頼みの綱だ。

 彼女の言葉を無下にするなんて、いかに神殿といえどもやるとは思えない。


「ソワレ様だって納得するとは思えないわ。神殿がなにを言っても、無視して聖女を選べば――」

「無視できれば、な」


 レナルドは笑いながら吐き捨てる。

 あり得ない――と思っても、目の前にいるのは実際に、聖女に選ばれなかった『神官』レナルドなのだ。


「選んだはずの聖女から『勘弁してくれ』って頼まれれば、いくら神だって無視はできないだろ」

「は――――は……!?」

「神は脅せなくても、人間は脅せるだろう? 身分も低くて、金もなくて、ろくな魔力もなくて、おまけに後ろ盾もないような、『聖女に相応しくない人間』相手ならなおさら。『お前の家族がどうなってもいいのか』って言えば簡単なもんだ」


 うそ、と口の中でつぶやいたきり、続く言葉は出なかった。

 皮肉な笑みを絶やさないレナルドに、私は喘ぐように息を吐く。


 ――だって……それじゃ……。


 ソワレ様のことを、レナルド自身が説得したことになる。

 家族を人質に取られて、自分の神様を拒まなければならない彼は――よりによって選んだ聖女に拒まれたソワレ様は、どんな気持ちでいただろう。


 ――……あんまりだわ。


「あのころはまだ見習いで、十二、三歳ぐらいだったか。おかげで現実がよく理解できた。金と権力がなけりゃ、ここじゃなんにもできない。理想だけじゃやっていけないんだってな」


 地面についたままのレナルドの片手が、強く握りしめられる。

 本人は気付いていないのだろうか。

 笑みとは裏腹に、ギリ、と音がしそうなくらいに難く握りしめ、彼は顔を上げた。


「必要なのはとにかく力だ。地位、身分、権力、金。上り詰めて偉くならなきゃ神殿は変えられないし、穢れが消えることもない」

「…………」

「穢れの原因探しが無意味な理由が分かっただろ。原因なんて、はなから神殿ここだってわかってんだよ」


 そこで言葉を切ると、彼は笑みを消して頭を振った。

 話過ぎた、と言いたげに口をつぐむ彼の姿に、私は嘆息する。


 ――本気なんだわ。


 きっと彼らは、普通の神と聖女の関係とは違う。

 だけど、たしかに結ばれているものがある。

 その事実に、私はどうしてか胸が詰まりそうだった。


 気の毒とか、かわいそうだとか、同情めいた感情ではない。

 強い覚悟を秘めたレナルドに抱くのは――。


 ――すごい。


 素直な、敬意なのだと思う。

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