23話 ※王子視点

 聖女を介さなければ、神は人間に手を貸すことはできない。

 それは、試練における絶対のルール。

 人間の価値を正しく量るための、覆すことのできない前提条件だ。


 神は試練の答えを人間には告げられない。

 神は力尽くで、人間の行動を正せない。

 神は人間の行く末を見守ることしかできない。

 神は大地の穢れを肩代わりしながら、過ちに突き進む人間を見つめる他にない。


 転がり落ちていく人間たちは、いつしか聖女の言葉に耳を貸さなくなった。

 聖女を選ぶ神託さえも偽り、選ばれぬ聖女が神の言葉を騙るようになった。


 多くの神が疲弊した。

 人間の愚かしさに失望した。

 一柱、二柱と、人間を見放した神が神殿を去っていく。

 あるいは見捨てきれなかった神が、穢れに姿を失い消えていく。


 それでも人間は変わらない。

 神の不在を良いことに偽りを続け、それを当たり前の行為と認識するようになるだけだ。

 それが自らの首を絞めていることなど、気づきもせずに。


 見守るだけの神では、この状況は変えられない。

 力尽くでなければ、人間は変わらない。


 神では駄目なのだ。

 同じ、人間でなければ。






 なぜ、アドラシオンは頻繁に神殿を留守にしていたのか。

 なぜ、王家に近しい人間であるリディアーヌが突然聖女に選ばれたのか。

 なぜ、今この場に王家の兵を率いてやってきたのが、ユリウスではなくアドラシオンであったのか。


 思い返せば、違和感はいくらでもあったはずだ。


「――――殿下」


 特権をむさぼる老人たちが息を呑む。

 腐っても、神を祀る神殿の人間たちだ。アドラシオンと王家の関係は理解している。

 アドラシオンが神の座を捨てたとき、どの血筋に生まれ変わるのかということを。


「まさか……生まれ変わっておいでだったのですか…………」


 人の世に危機があるとき、アドラシオンは神の力の残滓を宿し、王家の人間として生まれ変わる。

 神としての力はふるえないが、それでも人間としては、十分に秀でた力だ。


 短時間であれば、魔法で姿を偽ることくらいできる。

 アドラシオンの神気を模すことも造作ない。

 もとより、知り尽くした己の自身の体なのだ。


「いったいいつから……? い、いえ、どうしてなにもおっしゃってくださらなかったのですか。なぜ、生まれ変わったことを黙っていたのですか……!」

「なぜもなにも、言うわけがないだろう。神の言葉も聞かないお前たちに」


 突き刺すような言葉に、老人たちは押し黙った。

 反論など、できるはずもないだろう。

 これまでアドラシオンとして無数に与えてきた忠告を聞かず、言い訳ばかりで誤魔化してきたことを、誰よりも彼ら自身が知っている。


「お前たちは大きくなりすぎたんだ。特権を得て、王家すらも手が出せないほど肥大化し、神の言葉も聞かなくなった。――だから俺は、生まれ変わったんだ。お前たちの目を誤魔化し、もう一度『アドラシオンになる』ために」


 腐り落ちた組織は、もはや摘み取る他にない。

 正攻法は切り捨てた。人間となったユリウスには、神には吐けない嘘が吐けるのだ。


「アドラシオンの姿で神殿を探らせてもらった。ずいぶんと楽しく神殿を動かしていたみたいだな。もっとも、なかなか確実な尻尾は掴めなかったが」


 アドラシオンであれば、神殿のどこにいても咎められることはない。

 建国神という特殊さゆえに、神として多少の奇妙な振る舞いも受け入れられる。

 リディアーヌの協力を得て、半ば王城で暮らし、半ば神殿で暮らしながら、彼は神殿の不正を調べていた。


 ただの不正ではない。

 神殿を一度解体し、作り直すだけの理由になるほどの不祥事。

 神々を裏切る神託の偽装に、上層部が関与したという決定的な証拠だ。


 老人たちは慎重だった。

 神殿という魔窟で年を重ね、のし上がってきただけのことはある。

 彼らの口は固く、証拠になるものも残さない。万が一のときには、身代わりにする人物の用意もある。


 彼らが見誤ったのは、ただ一つだけだ。


「アマルダ・リージュを聖女に据えたことが、お前たちの最大の失敗だ。手なずけられると思ったのだろう? 甘い言葉と待遇で、飼いならしたつもりだろう? 扱いやすい駒を手に入れたとでも、思ったのだろう」


 言いながら、ユリウスは懐から一枚の封書を出す。

 老人たちが首を傾げるが、示したいのは彼らではない。

 ユリウスは顏を上げると、アマルダを一瞥した。


「あの娘は、お前たちが思うよりもずっと馬鹿犬だったんだよ。追い詰められれば、誰にでも尻尾を振るくらいに」


 辛辣な言葉とともに示した封書は、アマルダからルヴェリア公爵に宛てたものだ。

 中には、穢れのことで王家からの追及を受けたアマルダの、公爵への『相談』が記載されている。


「アマルダ・リージュは『自分以外』の不正をよく書いてくれた。問われるままに、自分以外の聖女がどれほど不当に選ばれ、それにどれだけ神殿が関与しているのか」


 青ざめていく老いた顔ぶれを見回し、ユリウスは口の端を曲げた。

 そうして、彼は口を開く。羽虫にとどめを刺すかのように。

 いかにも人間らしい、愉悦を込めて。


「お前たちが選んだ最高神の聖女の言葉だ。無下にはできまいな?」


 どれほど知らなかったと主張しようと、アマルダを祀り上げ、言葉に重みを持たせたのは彼ら自身だ。

 歴代で唯一選ばれた最高神の伴侶。世間に広く知られた、優しく純真な少女。人々の尊敬を一身に集める、理想の聖女様。

 アマルダ本人の人間性はさておき、その立場は決して軽く扱えない。


 元最高神の聖女の証言は、老人たちの足元を突き崩す、決定的な証拠だった。




 ぐ、と神官長が言葉を詰まらせる。

 蒼白の顔に汗を滲ませながら、言葉を探して視線をさまよわせる。

 だが、言い訳は口から出てこない。


「ぐ…………!」


 喘ぐように呼気だけを吐きながら、老人は顏を歪ませ、歪ませ――――。


「ぐぐぐぐぐ……!!」


 その顔が歪み切ったとき。

 老人は温和な神官長の顔を捨て、怒りをあらわに天上に顔を向けた。


 かつて最上の敬意を示した聖女を瞳に映し、神官長が叫ぶ。


「どこまで――どこまで、愚かな娘なのだ! 貴様の! 貴様のせいで!!」

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