22話 ※神様視点

 神の裁きからは、どれほどの権力があったとしても逃れられない。

 人間のルールに捕らわれない神にとって、人間の持つ富も名声も無意味だ。

 神は金銭を望まず、神は権力を欲しない。身分を盾にした脅しも、賄賂も、甘言も、神の前では塵芥も同然。

 だけど人間の裁きであるならば――――神官長の身分は、あまりにも大きな盾だった。


 騒ぎの責任を問われたところで、誤魔化す方法はいくらでもある。

 この場にいるのは、大半が神殿の関係者だ。神官長の権力をもってすれば、口裏を合わせることができるだろう。もし逆らう人間がいたとして、口封じするのもわけはない。

 王家の兵たちが厄介だが、それも見る限り数人程度。脅して黙らせるか――あるいは。

 ここにはということにしてもいい。

 所詮は兵士。数人が消えたところで、不審に思われることもないはずだ。


 …………おそらくは、そんなことを考えているのだろう。

 神官長の口元に浮かぶ、隠しきれない笑みの形に、彼は短いため息を吐いた。


「――――アドラシオン」

「はい、兄上。こちらのことはお任せください」


 背後の弟へ呼び掛ければ、心得たような返事がある。

 続いて聞こえるのは、アドラシオンの歩み出る足音だ。


 これまで背後に控えていたアドラシオンが、法廷の半ばまで歩を進める。

 彼は場所を譲るように、一歩後ろへと足を引いた。

 すれ違いざま、澄ました顔で恭しく目礼をするこの男が――――いったい、どこまで考えていたのだろうかと思いながら。


「そういうことだ、神官長。お前には神ではなく、人間の裁きが待っている」

「は…………」


 己を見据える赤髪の神を目に映し、神官長が瞬いた。

 言葉の意味を理解できないと言いたげに、彼は戸惑いの目を他の神官たちへと向ける。

 だが、戸惑う老人たちなど、アドラシオンは見向きもしない。

 淡々と、冷徹に言葉を重ねていく。


「罪を重ねてきた自覚はあるのだろう。先ほどの言葉は自白と受け取る。ここにいる人間たちと、俺が証人だ。もっとも、自白などなくとも証拠は――――」

「ま、待ってください! お待ちください、アドラシオン様!!」


 その言葉を、神官長は慌てて遮った。

 アドラシオンが無表情のまま、眉を一つ動かすが、それでも神官長は黙るわけにはいかなかった。

 動揺に汗を滲ませながら、老人はわななく口を開く。


「ど、どういうことですか!? 神は人間の法では裁かないと、先ほどグランヴェリテ様がおっしゃられていたではないですか!」


 アドラシオンの冷たい目が、神官長を正面に捉える。

 顔には、表情らしい表情が一切浮かばない。

 アドラシオンは戦神。厳格にして無情な神の剣。人間らしい感情の一切を持たない男だ。


 だが。


「グランヴェリテ様は、裁きを人間に委ねるとおっしゃられたのです! それなのに、神たるあなたが我々を裁こうなど…………あなたともあろうお方が、兄神のお言葉に逆らうおつもりですか!!」

「――――神」


 短くそう言うと、アドラシオンは無情な表情を消し去った。

 男の怜悧な美貌が、ようやく『忘れていたことを思い出した』と言いたげに歪む。

 喉の奥から漏れるのは、くっと短い笑い声。端整な口元が、いかにも愉快そうに持ち上げられる。


 それは、アドラシオンにはあまりにも似つかわしくない、人間の笑みだった。


「ああ、そうか。――まだ、この姿のままだったな。神殿ではこちらの方が動きやすいから、忘れていた」

「あ、アドラシオン様…………?」

「いや」


 笑いを含む声で、男は短く否定する。

 その、次の瞬間。

 瞬きのあとには、アドラシオンの姿は失われていた。


 代わりに――――。


「あ――――」


 代わりに現れたのは、魔力をまとう人間の男だ。

 人間なりに、整った容姿ではあろう。背は高いが細身で、柔和な印象は人を引き付ける。好青年めいた顔立ちは人好きがするが、浮かぶ表情にはどこか人を食ったような、油断のならなさがあった。


 姿かたちも、表情ににじむ雰囲気も、アドラシオンには似ても似つかない。

 だが、ここにいる誰もが、この男を知っていた。


「あなたは――――」


 人々の間にざわめきが走る。

 ざわめきの中で、誰かが叫ぶ。


 いまだ幻惑に捕らわれたかのような、驚愕の声が口にするのは、その男の名前だった。


「――――――ユリウス殿下!!」


 第二王子ユリウス。

 王家の名代として、裁判の立ち合いにやってきたという男は、にやりと不敵に目を細めた。

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