24話 ※アマルダ視点

 神官長の言葉を皮切りとして、老神官たちは今や口々にアマルダを責め立てる。

 優しかった彼らの豹変に、アマルダは傷ついていた。

 本当に本当に、心から傷ついていた。


「ひどいわ…………」


 青い目に涙を浮かべ、両手を胸の前に当て、アマルダは首を横に振る。

 伏せられた目に、長いまつげが影を落とす。首を振った拍子に亜麻色の髪が揺れ、同時にきらりと涙の雫が光った。

 誰が見ても、痛ましい姿だった。

 思わず手を差し伸べたくなる、か弱い乙女の嘆きだった。


 アマルダ・リージュが傷ついているのだ。

 誰も、放っておくはずがない。


「どうしてそんなこと言うの……! 人のせいにするなんて……!」


 涙の雫がぱたぱたと落ち、地面を濡らしていく。

 口から出るのは、聞くだけで胸が苦しくなるような、身を切るような声だ。


「あんまりだわ! 私、悪いことなんてなにもしていないのに!」


 だけど、老神官たちによるアマルダへの罵りの声は止まらない。

 アマルダへ優しい言葉はかけられない。


 ここでアマルダが泣いているのに。

 アマルダが苦しんでいるのに。


「どうして……」


 涙に濡れるアマルダに向けられるのは、冷たい視線だった。


 アマルダが置き去りにした神官が、無言でアマルダを見据えている。

 王家の兵とともに逃げ遅れた人々を助けて回った神殿兵が、アマルダに胡乱な目を向けている。

 いつも優しい老神官たちは怒りに歪み、ここまで一緒に逃げてきた、アマルダと仲の良い神官や兵たちも口をつぐんで押し黙る。

 アマルダを褒めたたえてきたレナルドが、アマルダを守ると誓ったヨランが、アマルダの味方だった人たちが、みんなアマルダを目で責める


「どうして、私、なにもしてないじゃない…………」


 無数の視線に、アマルダは困惑した。

 濡れた瞳を瞬かせれば、ますます涙があふれてくる。

 こんなに、こんなに傷ついているのに。


 どうしてそんな顔をするの。どうしてなにも言わないの。

 どうして、みんな私を慰めないの。


「だって、だって……仕方ないじゃない。私のせいじゃないわ、そんなつもり、なかったんだもの……」


 神官長たちの罪が暴かれたのは、彼らが罪を犯したからだ。

 神殿の腐敗も、アマルダよりずっと前からのこと。

 こうして穢れがあふれたことも、アマルダは知らない。そんなつもりはなかった。悪いことなんてしなかった。するつもりもなかった。

 だからこの状況は、アマルダのせいじゃない。アマルダはなにもしていない。


「私……知らないわ……だって、どうすればよかったの……私…………」

「――――きちんと、見つめればよかったんですよ」


 零れ落ちるアマルダの言葉に応えたのは、水底のように静かな声だった。

 穏やかで――だけど優しくはない。泣いているアマルダに、声は冷たく突き放す。


「なにもしなかったのが、あなたの過ちです。あなたは自分の周囲を見つめ、隣にいる相手を見つめるべきだったんです」


 はっと顔を上げれば、射貫くような金の瞳がアマルダを見据えていた。

 こんなときでも見惚れるほどの、光り輝く美貌の神が。


「彼もまた、どこかの神だったのでしょう。目を逸らさず、歩み寄るべきだったのです。――エレノアさんが私に、そうしてくれたように」

「ノア……ちゃん…………!」


 神の口から出たその名前を、アマルダは無意識に繰り返していた。

 視線は彼のすぐ背後にいる、見慣れた栗毛色の髪の少女へと向かう。


「あ…………」


 幼なじみのエレノアが、神の背にかばわれるように立っている。

 アマルダがここで泣いているのに、彼女は泣きもしない。

 アマルダの隣には蠢く醜い化け物がいるのに、彼女の傍には目も眩む最高神がいる。

 本当はアマルダがいるはずの場所に、エレノアが当たり前の顔をしてそこにいる。


「ああ…………!」


 胸の奥が揺れる。焼け付くような、締め付けられるような感覚がある。

 言葉にならない声が、喉からあふれ出る。腹の底から、なにかがせり上がってくる。


「ノアちゃん…………!!」


 いつもなら、エレノアがアマルダの立場だったのに。

 誰かの背中から、哀れみの目を向けるのはアマルダの役目だったのに。

 美しいものを与えられるのはアマルダの方。誰かに望まれるのはアマルダの方。欲しいものをなんでも得るのは、アマルダの方。

 なのに――――。


「どうして」


 知らない感情が、アマルダの口を開かせる。

 胸の中を染め上げていくものがある。

 ざわざわと、不快感が心の底を撫で上げる。


「どうして、ノアちゃんなの」


 知らず、顔が歪んでいた。

 泣き濡れた哀れな表情が浮かべられない。

 エレノアの顔を、見下ろしていられない。


 目の前が黒く染まっていく。

 どろり、と。

 重たい闇に、視界が塗りつぶされていく。


「どうして――――」


 どろり、どろり。

 滴り落ちるような、この暗闇は――――。


 どろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろりどろり。


 アマルダが目を逸らし続けてきた、十七年分の感情だ。


 どうしどろりてノアどろりちゃんどろりなのノどろりアちゃどろりんなんどろりて伯爵どろり家に生どろりまれたどろりだけでどろり私の方どろりが美人どろりだしかどろりわいいどろりしみんどろりな私をどろり好きにどろりなるのどろりノアちどろりゃんなどろりんて誰どろりも見向どろりきもしどろりないじどろりゃないどろりノアちどろりゃんはどろり聖女にどろりなれなどろりいしノどろりアちゃどろりんの婚どろり約者もどろりマリオどろりンちゃどろりんの婚どろり約者もどろり私の方どろりがいいどろりって言どろりってるどろりのよなどろりのになどろりんでマどろりリオンどろりちゃんどろりなんかどろりが公爵どろり様と結どろり婚できどろりるの絶どろり対すぐどろりに飽きどろりて捨てどろりられるどろりわだっどろりて公爵どろり様は絶どろり対に本どろり当は私どろりのことどろりが好きどろりだもんどろりノアちどろりゃんもどろりグランどろりヴェリどろりテ様にどろり相応しどろりくないどろりって自どろり分でわどろりかってどろりるでしどろりょ私がどろり選ばれどろりたんだどろりからノどろりアちゃどろりんはたどろりだのおどろりこぼれどろりで私にどろり返すべどろりきじゃどろりないグどろりランヴどろりェリテどろり様だっどろりてそうどろり思ってどろりるわだどろりってノどろりアちゃどろりんなんどろりてかわどろりいくなどろりくて父どろり親にもどろり愛されどろりないのどろりにいいどろりから私どろりに聖女どろりの座をどろり返しなどろりさいよどろり


「――――して」


 アマルダの青い目が、幼なじみを映して見開かれる。

 心の中はぐちゃぐちゃに乱れていた。目は血走り、瞳孔が開き、他のなにも視界に入らない。

 あまりにも、惨めだった。こんなのなにかの間違いに決まっている。無様で屈辱的で、受け入れられない、認められないし認めたくもない。ありえない許せない絶対に認めるわけにはいかない感情が、アマルダの心を満たしていく。


 それは、アマルダが生まれて初めて自覚した悪意。


「どうして!!! 私がノアちゃんなんかと比べられなきゃいけないのよ!!!!!」


 見下していたはずの幼なじみ。エレノア・クラディールへの、明確な嫉妬だった。


「私の方がずっとグランヴェリテ様の聖女に相応しいでしょう!!? 馬鹿にしないで!!! ノアちゃんなんて、私と比べ物にもならないでしょうが!!!!!!」


 これまでの無垢な顏を捨て去り、アマルダは声を張り上げた。

 妬ましさに顔を歪め、羨ましさに奥歯を噛み締め、悔しさにこぶしを振り上げる。

 喉を嗄らし、声をかすれさせ、腹の底から必死になって――この、アマルダが叫んでいるというのに。


 アマルダの心からの嘆きを、今は誰も聞いていなかった。

 法廷中の誰の目にも、アマルダは映らない。


 まるで、『それどころではない』と言いたげに、なにやらどよめく人々に、アマルダのこめかみがひきつった。

 こんな侮辱、今まで受けたこともない。


「聞きなさいよ! 私を見て!! ねえ、なにを見ているのよ!!!!?」


 なにを――と叫んだ、その瞬間。


 アマルダの頭上に、不意にぽつんと冷たい雫が垂れた。

 ただの水にしては、やけに重たい。髪に絡む粘ついた感覚が、アマルダの怒りに火を注ぐ。

 苛立ちに任せ、アマルダは勢いよく背後へと振り返った。


「なに!? 邪魔しないで――――」


 荒々しく吐きかけた言葉は、しかし最後まで出てこない。

 苛立ちをぶつけようと口を開いた状態で、アマルダは時が止まったように凍り付く。


 法廷のどよめきが耳に響く。

 彼らがいったいなにを見て、なににどよめいていたのかを、アマルダはようやく理解した。


 彼らの視線は、アマルダの背後に向いていた。

 アマルダの背後にあるモノを見て、口々に、逃げろ、危ないと叫んでいたのだ。


 だけど、今さら気が付いたところでもう遅い。

 ざわめきを妙に遠く感じながら、アマルダは目を見開いて『それ』を見上げていた。


 見開いた目が映し出すのは、底のない暗闇だ。

 アマルダの頭上へと、再びぽつりぽつりと泥のようなものが滴り落ちる。


「あ…………」


 それは、先ほどまで隣で大人しく蠢いていた、醜い化け物だった。

 ほんの腰くらいまでの大きさしかなかったはずの、グランヴェリテだった化け物が、今は天井近くまで高く伸びあがっている。


 まるで、大きく口を開くかのようだ。

 アマルダに向けて、暗い口をあんぐりと開けたその化け物は――――。


「あ……やだ、たすけ」


 この瞬間を待ち構えていたかのように、穢れに塗れたアマルダを頭から呑み込んだ。

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