11話

 長い夢でも、見ていたような心地だった。


 アマルダ・リージュは選ばれた。

 彼女を選んだのは、この国における絶対の存在。

 絶世の美貌と英知を誇る神々の王。輝ける金色の髪と瞳を持つ、麗しの最高神。


 比肩するものなき神の中の神。

 偉大なるグランヴェリテ様なのだ、と。


 誰もがそう信じて、疑わなかった。

 たとえ物言わぬ、置物だったとしても。




 理想見たいものだけを映し出す、まやかしの魔法が剥がれていく。

 偽りの神が崩れ落ちていく。


 いや。



 もしかしたら、もう、とっくに崩れ果てていたのかもしれない。




 〇


 ――どういうこと……!?


 私は呆然と、崩れ落ちていくグランヴェリテ様を見上げていた。

 傍にいたリディアーヌたちも同様だ。おそらくは法廷中の人々が、喜びも忘れて天を見上げていたことだろう。


 抱き合う手は離れていた。

 足は知らず、よろりと後ろに下がる。

 声はすぐに出なかった。ただ見開いた目に、ありえない光景を映し出す。


 絶世の美貌を誇るグランヴェリテ様の姿は、すでに失われていた。

 まばゆい金の髪は見る影もない。美しくも冷淡な瞳が、どろりとこぼれ落ちる。

 輪郭が大きく波打ち、揺らぎ、溶けるように崩れていく。

 鮮やかな金色は褪せ、暗く冷たい闇色に変わっていく。


 いつしか法廷には、かすかな悪臭がただよっていた。


「――――いや! 離してっ!!」


 悲鳴が響いたのは、一拍遅れてのことだ。

 はっと声に我に返れば、グランヴェリテ様の手を握っていたアマルダが、慌てて振りほどく姿が視界に映る。


「やだ……なにこれ……! グランヴェリテ様じゃない……!?」


 アマルダはそう叫びながら、必死に服で手を擦っていた。

 汚いものに触れたかのように、嫌悪感を滲ませながら手を拭いつつ、彼女は涙目でグランヴェリテ様――だったものから距離を取る。

 神の座の端へと張り付き、蠢き、這い寄ろうとする『なにか』に向けて首を振る。


 まるで汚泥の塊めいた――かつての神様にも似た醜い『なにか』へ、拒絶の声を振り絞る。


「近寄らないで! 本物のグランヴェリテ様はどこ!? 私のグランヴェリテ様をどこにやったの!!」


 ――――本物の。


 その言葉に、私は無意識に扉へと振り向いていた。

 自分でも理由がわからないまま、引き寄せられるように――扉の前に立つ『彼』へと視線を向けていた。


 黒く染まったグランヴェリテ様の姿に、無数の悲鳴と驚愕の声が響く中。

 私が目に映すのは、黒とは対照的な、鮮やかな金の色だ。


 私の視線に気づき、吸い込まれそうな金色の目がかすかに細められる。

 同じ色をしたまつげが細められた目を縁取り、目元に淡い影を落とす。


 その目元の影さえも眩むほどの、輝かしい金の髪が揺れている。


 浮かぶ表情はやわらかかった。

 だけどその顔立ちは、表情から受ける印象とはまるで違う。

 改めて真正面から見据える、やわらかさに隠された怜悧な美貌に、私は息を呑んだ。


 端正という言葉では表せない。美しい神々の中でもひときわ目を奪う、怖いくらいの美しさ。

 それはたぶん、『絶世』と言える美貌で――。


 ――――あ。


 どうして気が付かなかったのだろう。

 考えれば、思い当たる節はいくらでもあった。


 ルフレ様は最初から、『神の内の誰かが偽者』だと言っていた。

 彼の名前は、『人間が勝手に付けた名前だ』とも。


 兄神と恋人以外の誰にも膝をつかないアドラシオン様が、気にかけ、礼を尽くしていた。

 ルフレ様もソワレ様も敬意を示し、それを彼は当たり前のように受け取っていた。


 ルフレ様たちでも払えない穢れを払っていた。

 震えるほどの神気をまとっていた。

 ひれ伏したくなるような威厳を、私も何度も感じていた。


 輝く金の色は、偉大なる神の色だと、知っていたはずなのに。


「…………か」


 神様、と言いかけて、私はその言葉を呑み込んだ。

 頭に浮かぶのは、呼びかけるべきもう一つの名前だった。


 金の瞳が私を見つめている。

 輝くその瞳を見つめ返しながら、私は未だ信じられない気持ちで、彼の『本当の名前』を口にした。

 あまりにも畏れ多い、神の名を。


「グラン……ヴェリテ様…………?」


 私の震える声に、彼は微笑みを浮かべた。

 それから、いつものように優しくて、いつものようにどこかぽやっとしていて、いつものように場違いなくらい柔らかな声で――――。


 いつもよりも、少し困った顔でうなずいた。


「はい。――――はい、エレノアさん」

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