10話 ※アマルダ視点

 アマルダ・リージュは傷ついていた。

 無能神に命を救われ、喜ぶ人々の存在に、深く深く傷ついていた。


 ――ひどいわ。だって、悪いのはノアちゃんと無能神クレイル様なのに。


 彼女たちこそが穢れの元凶。この状況を生み出した張本人。

 そんな人たちに助けられて、どうして喜んでいられるのかが、アマルダにはわからなかった。


 ――正しいのは、私たちなのに。


「くだらん茶番だ! アマルダ様、惑わされてはなりませんぞ! こうして我らの正義を揺らがせるのが奴らの魂胆です!」

「神に仕える兵や神官ともあろう者たちが、こうもたやすく騙されるなど嘆かわしい! 目を覚ませ! それは穢れの元凶だぞ!」

「そうやって、愚か者を取り込むのが奴らの作戦だ! なぜわからん!」


 アマルダの正しさは、老神官たちの口々の言葉が証明してくれている。

 誰もみんな、この神殿では地位のある人たち。

 他の若い神官たちと違って、考えのしっかりした、簡単には流されない人たちだ。


 彼らがアマルダを正しいと言っている。

 彼らが、エレノアを穢れの元凶と言っている。

 人々を助けたのも、すべて茶番で作戦だと、彼らが言っているのだ。


 ――みんな言っているのよ。ノアちゃんが悪いって。


 それに、なにより――――。


「アマルダ様、こちらにはグランヴェリテ様がいらっしゃいます! グランヴェリテ様があなたのお傍にある限り、過ちなどあるはずがありません!」


 ――ええ。


 天上に向けてかけられる言葉に、アマルダはぎゅっと両手を握りしめる。

 悲しくて仕方がなくて、傷ついて苦しくて、うつむきがちだった顔を持ち上げる。


 視線を横に移せば、アマルダを見つめる金の瞳がある。

 この国における正義そのもの。絶対の力を持つ神々の王。

 アマルダを唯一の聖女にと選んだ、美しき最高神がいる。


「グランヴェリテ様……」


 アマルダは目の端ににじんだ涙を拭うと、最高神グランヴェリテへと手を伸ばした。


 ――…………泣いてなんていられないわ。


 アマルダはただ一人の、最高神の聖女。

 最高神の力を借り受けた、この国を導くべき正義。


 ――わかってもらえないこともあるけれど。


 なにもしていないのに嫌われてしまうこともあるけれど。

 理不尽な逆恨みをされてしまうこともあるけれど。


 伸ばした手の先。ぎゅっと握りしめた最高神グランヴェリテの冷たい手が、理不尽にも負けない力を与えてくれる。

 アマルダはなにも悪くない。アマルダこそが正しいのだと、その手の感触が教えてくれる。


 言葉などなくとも、手を握り返されることがなくとも、身じろぎ一つしなくとも、アマルダにはわかっている。

 こうして握る手を受け入れてくれることこそが、彼がアマルダのすべてを肯定している証なのだ。


 だから――。


「騙されないで、みんな!」


 ひどいわ、とはもう言わない。

 アマルダは唇を噛み締めると、強い瞳で前を向く。

 今にも泣きだしそうな気持ちは心の奥へ。誰よりも傷つき、誰よりも悲しんでいるけれど、それでもうつむくわけにはいかないと、握りしめた冷たい手が告げている。


「すべてはノアちゃんの作戦よ! みんなを騙して、自分の罪をうやむやにしようとしているの! お願い、わかって……!!」


 だからアマルダは、人々へと呼び掛ける。

 過ちへ向かおうとする人々を止めるために。

 なにが正しくて、なにが間違っているかをわかってもらうために。


 信じるべき相手はどちらなのかを、もう一度みんなに理解してもらうために。


「わかって……! だって私は――――」


 胸を張り、前を向き、涙の跡を隠さずに、凛とした声で叫んだ。


「私は、最高神グランヴェリテ様の聖女です! 長い歴史の中でただ一人選ばれた、最高神の聖女!」


 アマルダの強い声に、はっとしたように人々が振り返る。

 最高神と手を握り合うアマルダの姿に、少しずつざわめきが広がっていく。


 ――みんな、わかってくれるわ。きちんと話をすれば、ちゃんと正しさは伝わるの。


 見上げる無数の視線を受け、アマルダは最高神を握る手に力を込める。

 ひやりとした彼の手に、己への強い強い信頼を感じながら、アマルダは心を込めて言葉を口にし――――。


「最高神グランヴェリテ様は、私に力を貸してくれています! ここにグランヴェリテ様がいるのが何よりの証拠! ノアちゃんを裁くために、最高神が――――」

「…………最高神?」


 その途中で、低い疑惑の声に遮られた。

 なにかと視線を向ければ、扉からゆっくりと歩み出てくる赤髪の神の姿がある。


 彼こそは、神々の序列第二位。建国神アドラシオン。

 兄神グランヴェリテを――隣でアマルダが手を握る神を誰よりも尊敬しているはずの、弟神だった。


 だが、彼が最高神グランヴェリテに向ける目に、尊敬の色はない。

 神官たちが「無礼な!」「いかにアドラシオン様といえども!」「聖女の言葉は、あなたの兄神の言葉と同等のはずでしょう!」と口々に叫んでも、彼の視線は変わらない。

 まるで無機物でも見るかのような、冷たい目で最高神を見据え――それから。


 わずかに、哀れむようにこう言った。


「お前たちには、まだ『それ』が最高神に見えているのか?」


「…………『それ』?」


 アマルダは、虚を突かれたようにぽつりとつぶやいた。


 アドラシオンが口にしたのは、最高神に向けるには、あまりにも無礼すぎる言葉だ。

 だけどどうしてか、怒りはすぐに湧かなかった。


 彼の言葉に、侮りや蔑みの響きがなかったからだろうか。

 ただ単純に、ありのままを指摘しただけ。そう言いたげな彼の声に、誘われるようにアマルダは隣の最高神へと視線を向けた。


「グランヴェリテ様……?」


 目に映るのは、やはり美貌の最高神。

 アマルダと視線を交わし、まばゆい金色の目をにっこりと細める麗しの神は――――。




 次の瞬間。

 夢から覚めたかのように、どろりと大きく揺らいだ。

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