9話

「…………り、リディ!? どうしたの!? い、いえ、そもそもどうしてここに!?」


 見たこともないリディアーヌの態度に、私は混乱していた。

 声をかけてもリディアーヌは顏を上げないし、返事をすることもない。

 私よりも背が高いくせに、私の胸に頭を押し付けたまま、小さく首を振るだけだ。


「――――どうしても、なにも」


 代わりに私の問いに答えたのは、別の声だった。

 胸の中のリディアーヌを見下ろし、おろおろ戸惑う私へ、今度は横から衝撃が来る。


「あんたを捜しに来たのよ! このバカ!」

「ああもうバカバカ、生きててよかった! 今度こそ絶対にダメだと思ったわ!」

「ぎゅ」


 喉の奥から出たのは、締め上げられたアヒルの断末魔にも似た声だ。

 すでにリディアーヌがいるにもかかわらず、さらに横から飛び掛かられては無理もない。

 今度はなにかと目を向ければ、リディアーヌごと私に抱きつく、やはり見慣れた二人組。


 相も変わらず口の悪い、マリとソフィの二人である。


「な、なんで二人もいるの!? 捜しに来たって、だって穢れは……!?」


 三人分の重みに埋もれながら、私は喘ぐように言った。

 夢でも見ているような気分だけれど、何度瞬いても見える景色は変わらず、体にかかる重みも変わらない。

 三方向から抱きつく腕は強く、ひどく苦しかった。


「穢れに魔力が効くって聞いたから、集められるだけ聖女をかき集めてきたのよ! こんなときしか役に立たない聖女だもの!」

「そうしたら、リディアーヌも行くって聞かなくて……! 自分が一番魔力があるから、って!」


 ぎゅう、と呻く私へ、マリとソフィが次々に畳みかける。

 左右から響く半ば怒ったような声に、だけど私の理解が追い付かない。

 呆然と瞬く私には気づかず、二人はさらに言葉を続ける。


「仕方がないからリディアーヌも連れてきたのよ。大人数なら奥まで行けるだろうって、指示役のレナルドまでついてきて!」

「レナ……っ!? えっ、待ってレナルドまでいるの!?」

「途中で他の神様方とも会って、エレノアの神様とも合流して、でもエレノアは見つからないじゃない!? ずっとみんなで捜していたんだから!!」

「ほ、他の神様方……!? 待って待って、みんなって……!」


 待って――と言いながら、私はまさかと顔を上げた。

 視線は正面。神様が立つ扉の奥。

 神様に助けられて、居心地悪そうにもじもじする見張りの兵たち――の、さらに奥。


 暗い回廊には、まだまだ人の影がある。


 マリが言っていた、かき集められた聖女たち。

 取り残された人たちを助けていたのだろう、王家の兵らしき人たち。

 神殿兵に、神官に、それから――――。


「みんな……って…………」


 回廊の影の中に、目立つ巨漢の神官がいる。

 今も忙しなく他の神官に指示を出す彼の傍には、闇に溶け込む小さな影。

 私の視線に気が付いて、こちらに手を振る少女神がいる。


 視線を横に動かすと、少し離れて立つ生意気な顔が見える。

 私を見て口を曲げるのは、光をまとう少年神だ。

 彼の手前には、アドラシオン様の姿までもがある。


 ――――みんな。


 一瞬、言葉が出なかった。

 胸の奥、ぎゅっと詰まるような感情を、どう言葉にすればいいのかわからない。

 体にのしかかる三人分の重みは苦しくて、息をすることもできなかった。


「…………エレノア」


 息を呑む私の胸の中では、リディアーヌがぐすりと鼻を鳴らす。

 はっとして視線を落とせば、こちらを見上げる彼女とちょうど目が合った。


 赤い瞳が、私を映して瞬く。

 いつも気丈で、強気な彼女らしくもなく。


「心配……したんだからあ…………!!」


 少しのツンも見えないくしゃくしゃの泣き顔で、彼女は嗚咽交じりにそう言った。




 見たこともないリディアーヌの表情に、私はしばし呆気にとられていた。

 半ば驚き、半ば見惚れるように彼女の泣き顔を見つめてから、私はようやく、止まっていた息を吐く。

 長い長い息を吐き終えたとき、顔は知らず緩んでいた。


 胸に詰まる感情は、今もまだ言葉にはならない。

 たぶん――たぶん私は、今、すごく嬉しいのだと思う。

 だけどこの嬉しさを、表せる言葉が見つからない。

 だから言葉の代わりに――――私は三人まとめて、思い切りきつく抱き返した。


 三人の肩越しには、笑い合う他の人たちの顔が見える。

 兵も神官も関係ない。みんなが無事を喜びあっている。

 生きて、再会できたことを、誰もが喜んで――――。


 ――いや。




 いいや。

 喜んでいない顔ぶれが、ある。


「――――ひどいわ。ひどいわ、みんなして……!」


 天上から嘆きの声が響く。

 喜びを掻き消すように、強く、大きく。


「アドラシオン様まで一緒になって、みんなを騙そうとするなんて! ひどいわ!!」

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