6章

1話 ※???視点

 大地が腐り落ちる。

 草木が枯れ果てる。

 川は濁り、魚が息絶え、虫たちの死骸が積み重なる。

 鳥はとっくに逃げ去った。獣たちはやせ細り、兄弟が互いに喰らい合う。

 雨は大地を洗い流さない。雨が降るたび、穢れた泥が罪深い人間たちを呑み込んでいく。


 母の嘆きが止むことはない。

 母の怒りが消えることはない。

 罪人の住むこの地は呪われ、母の愛は永遠に失われた。


 なのに、なぜ。


 罪人を裁く役目を負ったお前が、なぜこの場所を――。


 人間たちを守ろうとするのだ、アドラシオン。




 私には、その価値がわからない。

 父を殺し、母を裏切り、天上の神々に背を向けてまで、守るべき理由が見出せない。


「――ええ」


 人間は醜く、愚かで、傲慢な生き物だ。地上を這うだけでは飽き足らず、己の祖を作り出した父にまで手を出そうとした。

 母の怒りは正当で、だからこそ私はここにいる。


「あなたの判断は常に正しい。あなたの目は正しく価値を見抜き、決してあやまつつことがない。だからこそ」


 男の顔に浮かぶのは、諦念と、揺るぎない意思だ。

 それこそ――。


「……どれほど言葉を尽くしても、今のあなたに理解していただくことはできないでしょう」


 どれほど言葉を尽くしたとしても、その意志を覆すことはできないと悟る。

 神の先兵として、破壊者として、絶対的な蹂躙者としてあり続けた男の変化が理解できなかった。


 人間にそれほどの価値があるとは思えない。

 ただ一人の少女のために、命を投げ出す意味がわからない。

 宝石を守るように少女を抱きしめ、己と相対する彼の――誰よりも信頼する弟の心が、今はまるでわからない。


 ――だが、あるいは。


『今の私』にはわからなくとも、いずれの私であれば理解できるのだろうか。

 罪深い人間の心に清さを見出し、守るべき価値を見つけられるのだろうか――――?








 ――こうして。


 ほろびをつげる神さまは、じひぶかくもすこしのじかんをくれました。

 どちらが正しいのかをみきわめるために、価値をしめすためのゆうよをくれました。

 これが、にんげんたちにあたえられたさいごの試練です。

 これまでのどんな試練よりもむずかしい、ながいながい試練のはじまりでした。





 〇





 予感がしていた。


 穢れを受け止め続けた体は、すでに限界を超えている。

 体の変化は、終わりの先触れだ。

 もはや彼には、新たな穢れを受け止めたいとも思えない。


 数百年ぶりに聞いた懐かしい名に、穢れの底に沈む記憶が揺れる。

 忘れていた過去が呼び掛ける。

 選択の時は近い、と。


 確信があった。


 荒く扉を叩く先にいるのは、揺れる天秤の最後に乗せるべき存在だ。

 本来ならばとっくに決断するべきだった――エレノアの穢れを受け止め、姿を変えたあの時から、ずっと先延ばしにしてきた裁定の時が来る。




 部屋の戸を叩く音に、エレノアが慌てて立ち上がり、小走りに駆けて行った。

 止まないノックに促され、無防備な彼女の手が、運命を決める扉を開く――――。

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