2話

 開けた扉を、私は無言でぱたんと閉じた。

 そのまま、大きく深呼吸。まだ朝も早い神様の部屋の中で、怪訝そうな神様の気配を背中に感じつつも、私は頭を一つ振る。


 ――…………ええと。


 現在の私は、神様との朝食を終え、レナルドとリディアーヌが訪ねてくるのを待っているところだ。

 二人が来る目的は、神様の今後についての作戦会議。

 昨夜の魔物騒動で姿を見せてしまった以上、神様の変化は知れ渡っている。

 朝のうちに、神殿からは呼び出しがあるはずだ。

 ならば、それよりもさらに早い時間に集まって、呼び出しに備えて対応を考えようというのである。


 レナルドは高位神官だけあって、神殿の事情には詳しい。

 なんだかんだと腹の立つこともあったけど、昨日の様子を見たあとでは、嘘をついているとも思いたくない。

 つまり、この時間に神官たちが神様の部屋を訪ねてくるはずがないのだ。

 ましてや――ましてや、一瞬ちらっと見えた亜麻色の髪のなんて、気のせいに決まっているのだ。


 ――悪い夢だわ。そうでなければ幻覚だわ……!


 固く閉ざした扉を前に、私は自分に言い聞かせる。

 外からものすごい勢いでノックされているけれど、きっと幻聴に違いない。

 嫌な予感なんてしていない。していないったらしていない。


 ――だって、どうしてあの子が来るのよ。今まで一度も訪ねてきたことなんてないのに。


 これまで、たまたま顔を合わせることはあっても、あちらから訪ねてきたことは一度もない。

 神様に選ばれておきながら、私に聖女の役目を押し付けて、あとはそれっきり。まるで、神様のことなんて忘れてしまったかのようだった。


 そんな彼女が、今さら神様に会う理由なんて――――。


「――やっぱりなのね」


 ひとつしか思い浮かばない。


 ――最悪だわ……!


 扉の外から聞こえた、間違いなく幻聴ではない声に、私は思わず天を仰いだ。

 予感ではなく、確信する。

 これから起こるのは最悪の展開だ。


「やっぱり開けてくれないのね。ああ……本当だったのね。あの方から聞いた通りだわ」


 悲痛な声が扉越しに響く。

 今にも泣きだしそうで、それでいて気丈に耐えるような声音に、表情さえも頭に浮かぶ。

 きっと今、彼女は扉の外で、目の端の涙をぬぐっていることだろう。


 だけどすぐに顔を上げ、唇を噛み締めて――――。


「やっぱり、あなたが穢れを生み出していたのね――ノアちゃん!」


 アマルダは凛と前を向くのだ。

 清らかな、穢れを知らない聖女の顔をして。


 ――どうしてアマルダがここに……! 誰がアマルダに知らせたの!?


 レナルド、ではないと信じたい。

 ならば、こちらも考えたくはないけれど――あの騒動の場にいた他の神官か、あるいは兵たちだろうか。


 魔物騒動が落ち着いたのは深夜。

 となれば、あんな真夜中から早朝のこの短い間に、わざわざアマルダに知らせたということになる。


 ――なんのために!? そりゃあ、いつかは神様のことがアマルダにも伝わるでしょうけど……普通は寝ている時間よ! 最高神の聖女を叩き起こしてまで伝えることじゃないわ!!


 動揺する私の前で、扉を叩く音が大きくなる。

 どん、と建付けの悪い扉が揺れて、アマルダの声が響き渡った。


「ノアちゃん、お願い、扉を開けて。私に本当のことを話して。ノアちゃんに、これ以上罪を重ねてほしくないの。だって私たち、親友でしょう!?」


 ――誰が親友よ!!


 よく言うわ!! ――と腹を立てている場合ではない。

 味方のいないこの状況でアマルダを相手にするのは、どこをどうとっても悪手だ。

 せめて神様の無実を証明できる人が――レナルドかリディアーヌが来るまでは、どうにか誤魔化さないと――。


「アマルダ様」


 そう考える私を嘲笑うように、冷たい声が響いた。


「呼びかける必要なんてありません。見ればすぐにわかるのですから」


 声の主はくすりと品よく笑うと、ぐっと部屋の扉を押した。

 神様の住まう部屋の扉を、許可もなく大きく開け放ち――彼は私には見向きもせず、神様を見て表情を歪ませた。


「ほら、いました。僕の言った通りでしょう?」


 端正な顔立ちには見覚えがある。

 涼しげな目元の、王子様然とした彼は――。


「あの化け物こそ、穢れの元凶です。僕は見たんですよ、昨晩、あの化け物が穢れを生み出す瞬間を!」


「マティアス様……!」


 神官でも、兵でもない。

 昨夜、悲鳴を上げて逃げて行ったはずの聖女――マティアスだった。

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